千秋楓
辰
第1話
毎年秋になると娘の楓を連れてふたりで京都三千院に来ることにしている。楓もようやく大原バス停から休まずに歩いていけるようになった。私は娘が生まれる前は祖母、おばあちゃんに手をひかれて毎年のように来ていた。おばあちゃんも孫ひとりしかいない私だけを連れて。母親は一度も三千院には行ったことがないという。母親とおばあちゃんはあまり仲がよくなく、私がおばあちゃんによくなついていた、という理由もあるが、おばあちゃんには秘密があった。おばあちゃんは三千院に来たときだけ私にそっとうちあけてくれたのだった。
三千院の紅葉はどの年に来ても圧巻の様相を魅せてくれる。まるで燃え盛るような真っ赤な楓。
おばあちゃんは何年か前の夏に亡くなった。いつも秋のことを想い、死に間際でさえ私の手を強くにぎって今年も三千院の紅葉を見に行こうと言っていた。夏のお墓参りを済ませるといつも秋の計画を立てた。私にとってはおばあちゃんの亡くなった夏よりも秋のほうに魂が下りてくる気がしていた。
おばあちゃんは途中、私の手を離すと決まって大木の節穴をひとりで覗き込むのであった。その間、私は近づいてはならない決まりだった。その訳もいつか教えてくれた。
おばあちゃんは戦争が本格化する前に、祖父ではない男性とお付き合いしていた。ふたりでなんとかお金を出し合って濃紅葉三千院に来たことがあったという。ふたりは結婚の約束をしていた。戦争で日本の状況が悪化の一途を辿るとその男性も戦地に赴くことになった。
おばあちゃんはその方との最後をいつまでも覚えていると言った。さよならと言った声、涙でかすんで雲が散らかっていたように見えたのが忘れられない、と。勘でもう二度と会えないとわかると、ただ泣きわめくしかなかったという。
終戦と同時にその方の戦死の知らせが来たという。うだるような暑さしか記憶がないと言っていた。また秋にふたりで来たかったのに、最初で最後のあのときの秋になってしまったと笑みを浮かべて話してくれた。その後私の祖父となる人と出会い、母が産まれて私が産まれた。だからその男性ともし結ばれていたら私はいなかったかもしれないと、おばあちゃんは私を強く抱きしめた。祖父にも母にも、このことは言ったことがないと笑っていた。おばあちゃんは木の穴の中でその男性と話をするとのことだった。だからそこだけは私は入ることができないのだった。また秋になったら来ようと約束した三千院。秋になればここで会えて話ができると、おばあちゃんは頬を染めるのだった。
往生極楽院本堂には阿弥陀三尊像があり、左右にある両菩薩は膝を少し開き上半身は前屈みに大和坐りをしており、極楽浄土にお迎えする様をみせている。おばあちゃんはきっとその男性と極楽浄土で暮らしていると思う。祖父には悪いけど。おばあちゃんも、ここにくればあの方と会えると言っていたのだから、おばあちゃんも秋になればここに来るのに違いはないはずだった。
娘の楓は小さな地蔵などにはしゃいでいるのにまだいっぱいだった。このこともきっと娘にだけ私は教えるだろうと思う。おばあちゃんが生きていたらきっとそうしているだろうから。
ふいに楓が私の手から離れて駆け出した。私が気をつけるようにと声をかけても娘は気にせずに走っていった。見失わないように楓を追うと娘は大木の穴を覗き込んでいた。私ははっとして声をかけようとすると
「ママ、この中いっぱい、なんかいる」
娘は言うのだった。私はなぜかその穴をのぞく気になれなかった。娘も私を促そうとしなかった。娘が笑うと、私はなぜかおばあちゃんがすぐそばにいるような気がした。
何千年たっても変わらない場所なのに、時だけが刻まれていく。思い出が瞬きするような一瞬に戻してくれる。おばあちゃんにとってはふたりで来た京都も、最後のお別れも同じなのだ。あれほどふたりで待ち望んで叶わなかった秋でさえも。
娘の後ろ姿を見ながら私は願いをつぶやいた。
「楓、あなたはおばあちゃんの分まで幸せになりなさい、ね」
娘は私に振りかえって椛を手に、いつまでも笑っていた。
千秋楓 辰 @tatsu55555
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