19 冗談だとしても全然面白くない話【根木颯太郎】
「那須田さん、何言ってるんですか。冗談にしたって、そんな話全然面白くありませんよ」
自分がトマトの精霊に取り憑かれていただなんて。
今どきの小学生だってそんな稚拙なでっち上げはしないだろうと、根木は鼻で笑った。
「アタシだって冗談を言うんなら、もっとマシな脚本を考えるわよ」
ひとしきり説明を終えた那須田が、やれやれと肩をすくめてため息をつく。
「根木サンこそ、“トマティーヌはドッキリでした~☆” なんてことはないんですかぁ?」
怯えた様子の苺子が、香菜の背中越しに恐る恐るこちらをうかがっているが、自分が冗談を言った記憶などはまるでない。
記憶があるとすれば、先日の越川宅で一瞬意識が飛んだときのような、朧げな夢の中の出来事だ。
目が覚めたと同時にひどく霞がかってしまったその記憶では、自分が越川に腕を絡ませて体をくねらせていたような気がするが、那須田じゃあるまいし、ノンケの自分がそんなことをするはずがないだろう。
この状況で根木に真実を教えてくれそうなのは、越川と香菜の二人だ。
特に同期として数年の付き合いがある尾倉香菜は、ミーティングの際の四角四面な発言や普段の堅苦しい態度からして、この状況で冗談を言うはずがない。
一番信頼できる人物と言っていい。
「尾倉さん。俺に本当のことを教えてくれない?」
真面目な顔で彼女に問うと、彼女はこくりと頷きながらも、言いにくそうに上目遣いで根木を見た。
「こんな話、根木君が信じられないのはすごくよくわかるけど……。でも、根木君の口から語られる野菜の知識は越川さんを上回るくらいに深くて、野菜の気持ちを代弁していたの。あれは根木君にトマトの精霊が憑依したって信じなければ説明がつかないわ。それに、トマティーヌが確かに現れた証拠に……」
香菜がすっと根木の腰元辺りを指さす。
「根木君、ズボンのポケットの中を探ってみて?」
言われるがままにポケットに手を入れると、指先に硬質な物体が触れた。
心当たりのない感触に驚いて、すぐにそれを取り出すと────
「え……? なんで俺が、尾倉さんのメガネを──」
「トマティーヌが私のメガネを外したの。私がトマトに親近感を持てるように、彼女はトマトの気持ちをわかりやすく伝えてくれたのよ」
香菜にそう説明を受けて、必死に記憶を手繰り寄せる根木。
朧げな記憶の中で、一つのシーンが浮かび上がる。
香菜のメガネを外し、会話を交わしたのが、夢ではないのなら────
「俺は本当に、トマティーヌとかいう別の誰かにすり変わっていたのか……?」
頭を抱えた根木を慰めるように、越川がぽんと肩を叩いた。
「根木さんが混乱するのも無理はありません。しかし、体調不良などの異常がないのならば、あまり気にしない方がいいんじゃないでしょうか。トマティーヌさんは僕達に非常に有益な情報を与えてくれますし、根木さんの体を使って何か悪さをしているわけではありませんから」
「そうぉ? 根木チャンの姿で迫られて、越川センセは随分困ってたみたいだけど?」
「えぇっ!? 俺が越川さんに迫ったのも、夢じゃなかったってことですか!?」
「えっ、僕が困ったのはむしろ那須田さんで……いえ、何でもありません。さあ、根木さんも元に戻ったことですし、日も傾いてきましたから、残りの植えつけ作業を急ぎましょう」
慌てた様子の越川が、擦り寄ってきた那須田から逃げるように水場へと向かう。
「あの、根木君、そろそろ私のメガネを返してもらえるかな?」
「あっ、ご、ごめん……」
手にしたままだった紅縁メガネを根木が香菜に手渡した。
香菜が受け取ったメガネを装着し、ふうっとひと息吐く。
閉じられた目が開いたとき、彼女の纏う柔らかな空気が一瞬にして硬質なオーラに飲み込まれたように感じ、根木は驚いて目を見張った。
「では早速、先ほど教わった植えつけ方を実践してみましょう」
「「「はい!」」」
水を張ったバケツを両手に提げて戻ってきた越川の元に、香菜や那須田、苺子が苗を持って行く。
ポリポットから出した苗の土を落とし、根を水の中で振り洗いする作業を見て、根木は愕然とした。
「あれっ!? さっきの講習では、苗の根鉢を崩さないようにして植えつけるって話じゃ……」
「確かに僕はそう言いましたが、野菜の種類によってはどうやらこの方が嬉しいみたいなんです。トマティーヌさんが根木さんの体を借りて現れたのは、こういう野菜の側からの要望を伝えるためだったようですよ」
皆が黙々と作業するのを、訳の分からない根木はただ呆然と見つめる。
「野田さんも、随分真面目に作業してるんだね……」
「だってぇ、根木サンの姿で叱られるのは苺子的にダメージが大きすぎますもん。トマティーヌがどこかで見てるって思ったら、サボったりなんかできないですよぉ」
自分の意識が飛んでいた間に、苗の植えつけ方や苺子の態度を大きく変える出来事が起こったのは間違いないらしい。
それらが本当にトマティーヌとかいう精霊の仕業なのだとしたら、皆が口を揃える馬鹿げた話を事実として受け入れるしかないのだろうか────
「根木君、いくら記憶がないって言っても、体調不良じゃないなら作業に加われるでしょう? 日が暮れる前に終わらせるんだから、ぼーっとしてないで苗を植えつけてちょうだい」
「あ、ああ、わかったよ……」
険のある香菜の言葉に促され、根木は一旦考えるのをやめて作業に加わることにした。
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