18 トマトの一番花はとても大切【根木颯太郎×トマティーヌ】

『いい? 一番花っていうのはね、トマトにとってすごく大切な花なのよ』


 そう言うと、トマティーヌは今にも泣きだしそうな苺子を後目しりめに、先ほど植え付けたばかりの苗の前にしゃがみ込む。

 野菜づくりに関しての重要なアドバイスが聞けそうだということで、香菜や那須田、越川も苗の周りに集まった。


『見てちょうだい。ここに、私が咲かせた花が二つあるでしょう? 私たちが大地に根を下ろすのにベストなタイミングが、この一番花が咲く頃なわけ。コッシーは私たちのことをよくわかってくれてるから、植え付け時にこの状態になるよう、育苗日数を逆算して種をまいてくれたのよね』


「苗が若すぎると、定植後に草勢が強くなりすぎて花や実がつきにくい、いわゆる “樹ボケ” になりやすいと言われてますし、逆に老化苗だと活着が悪かったり、沢山の実をつける体力ないと言われていますからね。トマトの育苗日数は六十日から七十日ですが、今年は四月に気温の低い日が多かったので苗の生育が遅れ気味でした。皆さんの植え付けに間に合ってよかったです」


『コッシーは、ナス科、特に私たちトマトの一番花がどうして重要なのかも当然知ってくれてるのよね?』


「一番花を確実に着果させることで、 “栄養成長” と “生殖成長” のバランスが上手くとれるようになるためですよね?」


『難しく言うと、まあそういうこと。けど、そこの若い娘には、もっと噛み砕いて教えなくちゃ伝わらないと思うのよね』


 トマティーヌが苺子をじろりと見やった。

 香菜の背中に隠れていた苺子の肩がびくりと跳ねる。


『生きとし生けるものの宿命として、私たちトマトも、自分のDNAを未来へ繋いでいくという最優先使命を背負っているわ。実をつける、つまり種をつくることで、私たちはその使命を達成できるってわけ。そこはおわかり?』


「は、はぃ……」


『一番花が実を結ぶことで、私たちトマトの生命メカニズムは、 “もっと沢山の実をつけて種を残さなきゃ!” っていう方向へ向かうことができるの。これが、コッシーの言う “生殖成長” ね。けど、もしも実を結ぶ予定だった花が何かのトラブルで落ちてしまったら、どうなると思う?』


「えぇっとぉ……。“オッケードンマイッ☆” ですかね?」


『話の流れ的にその答えは有り得ないでしょ……。まあ、そうやって気持ち切り替えて、次の花に実をつけられる野菜も確かにいるけどね。私たちトマトの場合、そうはならないのよ』


 トマティーヌが渋い顔でかぶりを振る。


『私たちトマトの場合、一番花が落ちたときはこう考えてしまうの。“実をつけられない状況ならば、自分自身が生き延びるしかない!” ってね。その結果、実をつけて種を残すことよりも、自分の枝葉を大きくすることにエネルギーを使うようになるの。これが “栄養成長” ってこと。一番花の実がつかないってことは、自分自身の成長を優先させて、後の実つきが悪くなるのよ。わかったら、闇雲に花をむしるんじゃないわよ!?』


「ご、ごめんなさぁい」


 トマティーヌの迫力に気圧されたか、はたまた根木の姿であることが功を奏したのか、苺子が素直に頭を下げて謝った。

 怯えつつも反省する彼女の様子を見て、トマティーヌは満足そうに微笑んだ。


『わかればいいのよ。とりあえず今日あなた達に伝えたいのはそのくらいかしら。そこのお嬢さんが心配してることだし、大地のパワーもそろそろ尽きてきそうだから、この体は持ち主に返すわね』


 そう言って立ち上がるトマティーヌ。

 だが、思い出したように再び越川に擦り寄ると、名残惜しそうに腕を絡めた。


『コッシーの手元を離れて畑に根を張るのは嬉しくもあるけれど寂しいわぁ……。ねえ、お願い。せめて私の一番花は、コッシーが受粉させてくれない?』


「ちょっとぉ!? 越川センセに受粉させるとか、突然なにエロいこと言い出してんのよッ」


『受粉のお願いのどこがエロいのよ!?』


「じゃあアタシも一番花……はもう元彼にあげちゃったから、五番花を越川センセに捧げちゃうんだからっ!」


「まあまあ、那須田さん落ち着いてください。トマティーヌさんのお願いというのは、こういうことですよ」


 貞操の危機を感じたらしき越川が、青ざめた顔に引き攣り気味の笑みをつくり、トマティーヌの苗の前で屈んだ。

 黄色い花弁を反り返らせて咲いている一番花を、指先で優しくトントンと揺らす。


「トマトの花は、この突き出た袋状の雄しべの中に、雌しべがあるんです。こうやって指で軽くはじいてあげると、雄しべの内側から花粉が出て、中の雌しべにつくんですよ」


『あぁ~ん! コッシーの指づかい、優しくて愛を感じるわぁっ』


「やだー! やっぱりエロいんじゃないのよッ。アタシもセンセに受粉させられたいッ」


 身悶えする那須田をよそに、トマティーヌは立ち上がると。


『それじゃあまたね! 困ったことがあったらいつでも私を呼んでちょうだい。まあ、呼ばれなくてもコッシーと愛を語らうために、また出てくるとは思うけど♪』


 と、笑顔で手を振ったのだった。


 ***


 ぱちん、と何かが弾けたような微かな衝撃で、浅い眠りの中を漂っていた根木は目を覚ました。


 柔らかな日差し。草と土の匂い。

 一瞬ここがどこなのかわからなかったが、周囲を見渡し、菜園で苗の植え付け作業中であったことをすぐに思い出した。


 苺子と苗を植え付けている最中に、密着してきた彼女の香水の香りが強すぎて、ほんの一瞬意識が飛んだような気がする。

 しかし、その一瞬の間に、妙な夢を見たような気もするが……。


「……え? みんなどうしたの?」


 根木を囲むように立つ同僚達の様子が明らかにおかしいことに、彼はすぐに気がついた。


「根木さん、意識が戻ったんですか!?」


 ほっと安堵したように微笑む越川。


「アンタ、ほんとに根木チャンなの? また越川センセに絡みつくんじゃないでしょうね」


 なぜか敵意を全開にしてこちらを睨む那須田。


「根木サンに怒られてるみたいでショックだったですぅ……」


 香菜の背後に隠れつつ、怯えた視線を向けてくる苺子。


「根木君、体を返してもらえたのね! 気分悪くなってない?」


 涙で瞳を潤ませながら自分を見上げる香菜は、何故かいつものメガネをかけていない。


「え……っ!? ちょっと待って。なんだよ、みんなのその反応は!?」


 自分に向けられた四者四様の視線に全く心当たりのない根木は、誰にどう反応すればいいのかわからず、ただただ狼狽えた。





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