17 根っこだって伸び伸びしたい【根木颯太郎×トマティーヌ】
『ああん、こうしてコッシーと愛を語り合えるなんて、なんて幸せなのかしら!』
「ちょっとアンタ! 見た目が根木チャンのくせに越川センセに密着するなんて、とんだハレンチ精霊ねッ」
『コッシーは、いつも恋人に触れるような優しさで私に触れてくれるのよ。人の体を借りてる時くらい、自分からコッシーと触れ合いたいと思うのが人情ってものでしょ』
「トマトのくせに人情を語るんじゃないわよ! さっさと根木チャンの体から離れなさいってば!」
『あら、せっかく今からあなた達に有益なアドバイスをしてあげようと思っているのに、それを聞かないまま追い出してもいいのかしら?』
オネエの那須田と、オネエにしか見えない
そこに挟まれて苦りきった笑みを浮かべていた越川が、トマティーヌの言葉に活路を見出したのか、「そうだ!」と声を上げた。
「僕としては、野菜の声が聞けるなんて夢のようなことです。トマティーヌさん、苗の植え付けに関して早速アドバイスをいただけませんか?」
『そう? コッシーの頼みとあれば仕方ないわね』
越川の要請に、トマティーヌはトマトの精霊としての使命を思い出したのか、姿勢を正すとコホンと咳払いをした。
『まず一つ目。私たちの生命線である “根” についてなんだけど』
そこで一旦言葉を区切り、トマティーヌは自分が宿る苗を植え付けられたばかりの地面から無造作に引き抜いた。
「あっ! そんな風に引き抜いたら、大事な根が傷んでしまう!」
『心配は無用よ、コッシー。植え付け直後、しかも根鉢が回ったままなら根の損傷はあまりないし、そもそも私たちトマトの根の再生能力は高いんだから』
トマティーヌは平然とそう告げると、植え付け前より形の崩れた根鉢の部分を指さした。
『人間のやり方では、大事な根を傷つけないように、この “根鉢” を崩さずに植え付けるってのが定説みたいね。けれど、私たち野菜からすれば、ポリポットの中で窮屈だった根っこをようやく伸ばせる環境になったんだから、新しい土で根を伸ばしやすいように植えてほしいと思うわけ』
「確かに根鉢が回り過ぎている時には少しほぐすこともありますが、いたずらにほぐしては根を傷つけることになりませんか?」
植え付けの定説を覆すようなトマティーヌの主張に、越川が疑問を呈した。
それに対して、トマティーヌは深く頷く。
『そうね、私たちトマトの根は少々切れたくらいじゃへっちゃらだけれど、ナスやピーマンは確かに根のダメージに弱いわ。だから、根鉢をほぐすのは水の中でやってほしいのよ』
そう答えると、今度は香菜に向かって指示を出した。
『ちょっとあなた、そこのバケツに水を入れて持ってきてくれる?』
「え? あ、はい……」
言われたとおりに香菜が水の入ったバケツを用意すると、トマティーヌは自分の苗の根を水の中で優しく振り洗うようにして根をほぐしていく。
『こうして根をほぐせば、ダメージを軽減させることができるわ。それに、ポットの土を洗い落とすことも、早い時期にしっかりと活着するためには大事なポイントね。育苗用の培養土と畑の土じゃあ味も感触も違うから、未知の土になかなか根を伸ばしだからない子もいるの。ポットの土を落とすことで、畑の土にもすぐに馴染むようになるってわけ』
土で濁ったバケツの水からトマティーヌが苗を引き上げると、長く伸びた無数の白い根が姿を現した。
『うん、これでスッキリした。けど、もっとリフレッシュしたい気がするわね』
自分の魂が宿る苗をしげしげと見つめていたトマティーヌ。
独りごちると、おもむろに越川が腰に提げた作業用のバッグから園芸ハサミを取り出して、自分の根の先3分の1ほどをバッサリと切り落とした。
自傷行為とも言えるその行動に、見ていた四人は「あっ」と声を上げる。
「大事な根なんですよね? そんなに切って大丈夫なんですか!?」
『品種によるけど、私たちトマトは大丈夫。むしろ、古い根をある程度切ってもらった方が新しい根が沢山出やすくなって、水や養分を沢山吸収しやすくなるのよ』
心配する香菜達をよそに、トマティーヌは先程苗を引き抜いた植え穴に、短くなった根を四方に広げるようにそっと置いた。
『そうは言っても、新しい土に根を張るのは、やっぱり相当なエネルギーを使うわけ。過度なダメージを与えられると私たちの体力がもたなくなるから、植え付けるときはなるべく根を傷つけないようにして、どの方向にも根を伸ばしていけるように、なるべく広げてね。あっ、それからコッシー、ネギの若い子を何株か連れてきてちょうだい?』
「ネギですか? ネギなら、昨日Cグループの区画に九条ネギを定植したばかりですが……」
越川が隣の区画を指さすと、トマティーヌはそちらを向いて、何かごにょごにょと呟き出した。
『OK、話はついたわ。あの子達、分けつして増える予定だし、もう少し株間が開いても問題ないんですって。同居の了解ももらったから、数本間引いてこっちへ引越しさせてくれる?』
「は、はいっ」
混植の意図を察した越川が、隣の区画からミニトマトの株数分のネギを引き抜いてきた。
「そう言えば、以前コンパニオンプランツの講義の中で、ネギとの混植はトマトの病気を防ぐ効果があるって話でしたね」
自分の苗の根の上にネギをのせるトマティーヌの横で、その様子を観察していた香菜が紅縁オーバルメガネのフレームをくいっと押し上げながら発言した。
『あらあなた、トマトが苦手って言ってた割には、よく勉強してくれてるのね。ちょっとは私たちに興味を持ってもらえたのかしら』
「仕事をする上での知識の獲得に、個人的な好みを差し挟むつもりはありませんから」
『私としたことが、あなたに聞くべき質問ではないことを失念していたわ』
ネギと一緒に自分の苗に土をかぶせたトマティーヌが、根木の手にはめられていたグローブを外すと、突然香菜の顔に手を伸ばし、香菜のかけているメガネを取り去った。
「え!? ちょっ、いきなり何を……」
『さあ、今度はあなたが答えてちょうだい。先日私はあなたに、私たちのお世話を通してトマトを好きになってもらいますって宣言したわよね。今の私の話を聞いて、私たちを少しは身近に感じてくれた?』
トマティーヌの再度の質問に、裸眼の香菜がきょとんとした顔で首を傾げる。
それから、はにかむような笑顔でこくんと頷いて。
「うん……。窮屈な場所から広い場所へと出たら伸びをしたくなる気持ちとか、伸びすぎた長い髪をバッサリ切ってリフレッシュしたくなる気持ちとか、何となく人間に置き換えて共感できるかも。そう考えると、あなた達の気持ちに寄り添うことで、苦手なトマトにも親近感が湧いてきそうな気がするわ」
そう答えた香菜に、トマティーヌは満足げな笑みを見せた。
『それは良かったわ。私たち野菜は、人間と仲良くすることで肌に合わない気候や土壌の中でも生きることができるわけだし、病気や虫の被害からも守ってもらいながら種を繋いでいける。長年のパートナーである人間から嫌われるのは、私たちにとってはとても悲しいことだもの』
「今日はあなたの言葉が聞けて私も良かった。けど、あなたに体を貸してる根木君のことがちょっと心配で……。こないだも正気に戻った後で気分を悪くしていたし、そろそろ体を返してあげてくれないかしら」
『ふうん……』
気遣わしげに眉根を寄せる香菜の瞳を、トマティーヌがじっと覗き込む。
端正な根木の顔で正面から見つめられ、香菜は図らずも赤面した。
『メガネを取ると、やっぱり色んな感情が見えてくるわね。こないだは大地のパワーが十分に得られないままに無理やり彼と同期したせいで、彼の体調にも悪い影響を残してしまったの。これからは、同期しても大事な彼に負担はかけないから心配しないで』
「へっ!? “大事な彼” って、何を言って……」
「そうですよぉっ! 大事な根木サンを早く返してくださいよぉ」
二人のやり取りに割り込んできた苺子を、トマティーヌが横目でちらりと見た。
『そうそう。あの子に体を返す前に、何もわかってないこの若い娘に一言物申さなくちゃいけないのを思い出したわ。ちょっとあなた、さっき私の苗に咲いていた花を摘み取ろうとしてたわね?』
「えー? だって、黄色くて小さくて可愛いんだもん。蕾もいくつかついてるし、一輪くらいもらったっていいでしょ?」
『いいわけがないでしょ!! あの花は今後の実つきを左右する、大切な一番花なんだからっ!』
窘められた子供のように頬をふくらます苺子を、トマティーヌが般若の形相で叱りつけた。
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