16 精霊の憑依【根木颯太郎×トマティーヌ】

「ええ~!? 根木サンがまたおかしくなっちゃったぁ!」


「ちょ……っ、根木君、いきなりどうしたの? また気分が悪くなった?」


 ピーマンの植え付けをしていた香菜が、隣の畝の妙な雰囲気を察して振り返り立ち上がった。


 根木の顔色をうかがおうと歩み寄ったが、当の根木はというと気分が悪い様子もなく、むしろ晴れ晴れとした表情で、瞳は生気に満ちあふれている。

 そんな根木が香菜と視線を合わせたかと思うと。


『あなた、こないだトマトが嫌いだって言ってた娘よね。この男の子のおかげでまた話せるようになってよかったわ』


「え……っ? この男の子って……」


『この体の持ち主、根木颯太郎のことよ。彼と私は生命エネルギーの波長が合うみたい。こんなにバッチリ同期できたのは何十年ぶりかしら』


「根木君? さっきから何言って──」


『あら? まさかあなた気づいてないの? 私とだと思っていたけれど、所詮 “工業製品” は人間の波長に完全には同期できないみたいね』


 なぜか勝ち誇ったような笑みを向けてくる根木。

“同類” だの、“工業製品” だの “波長” だの、一体何を言い出すのだろうと、香菜は首を傾げて彼の様子をうかがう。


「香菜センパイ! 根木サンどうしちゃったんでしょう?」

「アンタ達、何をギャーギャー騒いでんのよ?」

「ミニトマトの植え付けで、何か問題でもありましたか?」


 根木の突然の豹変に怯える苺子だけでなく、那須田や越川まで様子を見に集まってきた。


(言葉遣いとか、言ってる内容だけじゃない。佇まいや顔つきすら、私の知ってる根木君じゃないわ……)


 まさかとは思いつつも、香菜は直感で頭に浮かんだ疑問を口にした。


「あなた……一体何者なの?」


その問いに、根木は待ってましたとばかりに胸を張って答えた。


『私の名前はトマティーヌ。トマトの精霊よ』


「「「「トマトの精霊!!?」」」」


 根木(であって根木ではない何者か)の名乗りに、他の四人が一斉に素っ頓狂な声を上げる。


「あらやだ、根木チャンってば、頭おかしくなっちゃったの?」


「那須田さん、落ち着いてください。にわかには信じられませんが、根木君は何者かに憑依されているみたいです」


「えー!? 根木サンにオネエの怨霊が取り憑いちゃったんですかぁ!?」


『失礼ね、私はれっきとした女です! ……もっとも、精霊に生物学的な性別は存在しないから、気持ちの上での女性ってことにはなるんだけど』


 根木の口から “気持ちの上では女性” だと断言されると、余計にオネエのイメージを拭えなくなってしまう。

 複雑な表情の香菜と苺子を見て、那須田が顔をしかめた。


「根木チャンがアタシのキャラに被せてくるなんて、なんだか面白くないわね。ねえ、越川センセ、人に取り憑いた野菜のお化けを追い出す方法はないのかしら」


 いきなりの無茶ぶりに、さしもの越川も首をひねる。


「農家や園芸家の方達からも、野菜の精霊に取り憑かれた人間がいるなんて話はこれまで聞いたことがありません。僕もどうすればいいのやら……」


『心配無用よ。悪霊じゃあるまいし、この子の体を乗っ取るつもりなんてないわ。言いたいことだけ言わせてもらったら、私は彼から離れるから』


 トマティーヌと名乗った(自称)トマトの精霊は、微笑みを口の端にのせて四人を見回した。


『私たち野菜は、人間の食べ物として無数の植物の中から見出され長い時間をかけて改良されてきた、いわば植物界のマイ・フェア・レディ。故郷を離れ馴染まない気候や風土でも高品質の実を沢山つけられるようにと、人間はあれこれ世話を焼いて大切に育て上げてきた。そのおかげで、私たちはかなりワガママに育ってるの』


 そう言いつつ、根木……もとい、トマティーヌは越川の隣に歩み寄り、彼の肩に親しげにのせた手に頬を寄せた。


野菜わたし達が好む扱われ方はそれぞれの品種で違うし、人間側の都合の良い扱い方とも違ったりするわけ。だから私は仲間たちを代表して、これからも野菜の都合からあなた達に物を言わせてもらうわ。ただ、私の魂が宿った種を愛情いっぱいに育ててくれたコッシー越川には、全幅の信頼を置いてるけどね』


 至近距離で注がれる熱を孕んだトマティーヌの視線に、越川は腰を引きつつ複雑な表情を見せる。


「トマティーヌさんが本当に野菜の精霊ならば、僕を信頼してくれるのはとても嬉しいことですし、野菜の言葉を聞けるなんて願ったり叶ったりなんですが……」


 頭ではこの突然のオカルト的展開を好意的に受け止めようとしながらも、どうしても根木に熱視線を送られているという違和感が拭えないようだ。


 そんなBL風味を醸し出す二人に、香菜が水を差した。


「それって、トマティーヌはこれからも根木君に憑依するってこと?」


『“憑依” って言い方は化け物扱いされてるみたいで面白くはないけれど……まあそうね。私には野菜達の声を人間に届けるっていう大切な使命があるし、それにコッシーとの愛もさらに深めていきたいし♡』


 越川の肩になおも手をかけつつ、トマティーヌが微笑む。

 香菜には、その眼差しがまるで恋する乙女のごとく輝いているように見えた。


 越川の並々ならぬ野菜への愛情にトマトの精霊が応えているのだと理解しても、根木の体や声を通してそれを表現されると、たとえようもなく微妙な気分になる。


「どうでもいいけど、あたしの根木サンを早く返してくださいよぉ」

「越川センセはアタシも密かに目をつけてたのよね。ライバル出現だなんて燃えるわぁ」


 反応はそれぞれ異なるものの、苺子と那須田もトマティーヌの存在を受け入れたようだ。


「これからどうなっちゃうんだろ……」


 楽しみなはずの野菜づくりに暗雲が立ち込め、香菜は思わず頭を抱えてしまった。

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