07 土壌診断と畝立て【尾倉香菜×メガネ】

 納屋の脇に設置された水道でメガネの土を落とし、タオルで拭いた後に装着した香菜。


 その仕草を脇で見つめながら、根木は自分の鼓動がやけに早く打っている理由について考えていた。


 同期で入社して以来、尾倉香菜とはまる四年の付き合いになるが、先ほどのようにしおらしい受け答えをする彼女は初めて見た。


 土起こしした地面でよろけないよう、根木は香菜の二の腕を掴んでここまで連れてきたのだが、いつもの香菜ならばそんな親切は「余計なお世話よ」と突っぱねていたに違いない。

 なのに、先ほどの香菜ときたら、「助かるわ、ありがとう」とはにかんで、むしろ根木のリードに全幅の信頼を置くように体を預けてきたのだ。


 何が彼女の心境に変化をもたらしたのかはわからないが、元々香菜の容姿は苺子のそれよりもずっと根木の好みに当てはまっている。

 彼女のきつい性格が要塞並みの堅固なガードを作り、さらにはそこから放ってくる言葉のやじりの鋭さに、彼女に近づきたいという根木の衝動はこれまで押さえられていた。


 けれども、これが本来の彼女であるならば、野良作業を通じてようやく自分のことを一人の男として認めてくれたということではないだろうか。

 彼女が慕い憧れる、神崎社長のように────


「尾倉さん、あのさ。良かったら今度、会社帰りに……」

「あら、根木君、まだそこに突っ立ってたの?」

「…………え?」

「転ばないようにリードしてくれて助かったわ。でもここまで来ればもう大丈夫だから。貴重な休憩時間なんだし、私に構わずさっさと戻って休んだら?」


 紅縁のオーバル型メガネの奥から険のある視線を寄越してくる香菜の言葉に、食事の誘いを口にしようとした根木は硬直した。

 鋭い鏃をこちらに向けてくる彼女は、根木の気づかないうちに再び要塞を築き、その内側に立てこもってしまったようだ。


「……親切にここまで連れてきてやったのに、そんな言い方ないだろ」

「だから、助かったってちゃんと感謝は伝えたじゃない。もうメガネは掛けたし、休憩場所までは一人で戻れるわ。ついでに手も洗いたいから、根木君は先に休憩してていいって言ったのよ」

「俺だって、ここまで来たついでに手を洗いたいんだよっ」

「あ、そ。じゃ、私は先に戻ってるわね」


 手洗い場から離れた香菜は、タオルで手を拭きつつさっさと那須田や苺子の座る場所へと向かっていく。


(まったく、さっきの可愛らしさは一体どこへいったんだよ……)


 その後ろ姿を一瞥し、根木は深いため息を吐いた。


 *


 休憩が終わり、次はいよいよ畝立ての作業に入る。

 区画の中心に再び四人を集め、越川がこの後の作業内容を説明した。


「最適な畝の幅や高さは土壌タイプや育てる野菜の性質によって変わるのですが、皆さんはまだ作付計画を立てていないので、とりあえずは応用のききやすいサイズで作っておきましょう。ですが、その前に簡単な土壌診断をしてみる必要がありますね」


 講師の越川は四人にそう説明するとその場にしゃがみ、手持ちの水筒を開けて土の上に水をたらした。

 その意図を図りかねたまま、四人はかがんで越川の作業を見守る。


 水が土にしっかりとしみ込んだところで、越川は指先で濡れた土をつまみあげ、それをてのひらにのせると、指先で捏ね始めた。


「ほら、見てください。こねた土がマッチ棒くらいの太さに固まるでしょう?」


 越川が差し出したてのひらには、捏ねられた土がミミズのように細くつながっている。


「多くの作物にとって好適とされる “壌土” と呼ばれる土質だと、これが鉛筆くらいの太さにしかなりません。逆にさらに粘土含有率が高くなると、紙縒こよりくらいまで細くなります。一方で、砂質の土だと捏ねても崩れてしまいます。マッチ棒くらいの太さになるということは、この菜園の土は “埴壌土しょくじょうど” と呼ばれる、やや粘土質の高い土壌だという判断がつきます」


 越川の解説に続き、香菜が「あの」と片手をあげた。


「越川さんの今のお話では、“壌土” が一番野菜づくりに適しているということですよね。ここの土はそれよりも粘土質なのだと理解しましたが、野菜づくりにはどんな影響が出るのでしょうか」


「粘土質の土壌の特性は、保水性、保肥性が高いということですが、裏を返せばそれは水はけが悪く、土が固く締まりやすく、空気の通りが悪くなりやすいということです。対策としては、先ほど尾倉さん達に腐葉土などの堆肥を混ぜてもらったように、土壌改良することで適度な通気性や排水性の確保を目指します。さらに、水はけを良くするために畝を高めに立てる必要があります」


 自分達が野菜づくりを始める土は、決して最初からベストな状態というわけでない。

 そのことを漠然と理解する(苺子を除く)三人の前で、越川はポケットから巻き尺を取り出した。


「先ほど、最適な畝のサイズは土壌の性質や野菜の種類によって異なるというお話をしました。粘土質寄りの土壌ということで全体的に畝を高めに立てることになりますが、畝で育てる野菜の種類によっても高さを考慮する必要があります。たとえば乾燥を好むトマトを育てる場合は高畝にして水はけを良くし、湿気を好むサトイモを育てる畝は保水性を保つために畝を低くするといった感じです。今日はまず畝の高さを一律15センチで立てることにして、作付け計画を立てた上で畝の高さを調整していくことにしましょう」


 越川が巻き尺を伸ばしながら、畝の幅を80センチに設定する。目印として、根木と那須田が短い杭を打ち込んでいく。

 通路として畝と畝の間に40センチの幅を取っていくと、Bグループの区画内には九つの畝ができることになった。

 区画の反対側の端にも同じ感覚で杭を打っていきながら、香菜と苺は両端の杭に麻ひもを地表すれすれに結びつけて直線状に張り、畝をまっすぐに整えるための目安とした。


「麻ひもで仕切った内側に通路部分の土をすくって移し、畝の高さを出していきます。男性陣がスコップで土を入れていきますから、女性陣は鍬で平らにならしていってください」


 九つもの畝を立てていくのは数人の人手があるとはいえ、やはりかなりの労働量であった。


「ちょっ、アンタッ! せっかくアタシ達が土を盛ってんのに、何で元に戻してんのよッ!?」

「えぇー。だって、鍬で土を平らに均せって、越川先生が言ったじゃないですかぁ」

「苺子ちゃん。平らに均すのは、麻ひもの内側でっていうことよ。麻ひもの線より外にはみ出したら、畝が高くならないじゃない」


 まるで要領を得ない苺子に那須田と香菜がぎゃーぎゃーと指導を入れているが、やる気のない彼女に何を言っても無駄でしかないし、かまう分だけ作業が遅くなる。

 効率を重視する根木は初めからそういう理由で苺子に干渉しなかったわけだが、この時も三人を後目に黙々と作業をこなしていく。


 それでも、最後の畝を作り終える頃には、那須田や香菜もスコップや鍬のさばき方が板についてきて、一つの畝を整える時間もだいぶ短くなっていたのだった。

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