06 女子の不公平!?【尾倉香菜】
根木が土を起こした後、那須田が硬盤層を砕き、香菜と苺子が落ち葉堆肥とぼかし肥料を土に混ぜる作業に入る。
「うわぁ……。落ち葉堆肥って、べちゃっとしててグローブに泥がしみてきそう。あたしがぼかし肥料まくんで、こっちは香菜センパイにお願いしてもいいですかぁ?」
バケツの中を覗き込んだ苺子は、本音をまるで隠そうとせずに香菜を見上げた。
あまりに屈託のない笑顔を向けられ、ぐっと言葉を詰まらせた香菜だったが、「……まあ、いいけど」と返答した。
小ぎれいなスポーツウェアに着替えてきた根木を見て、香菜は畑仕事に取り組む気概に欠けると侮っていたが、彼は今やそのウェアを土で汚しながら懸命に土を起こしている。
同期のライバルである自分がこの程度で怯んでいては立つ瀬がない。
意を決してバケツに手を突っ込んだ香菜に、納屋からビニール袋を持って出てきた越川が問いかけた。
「尾倉さん。先ほど草むしりをした中で、この区画にどんな雑草が生えていたか覚えてますか?」
不意に問われた香菜は、先ほど越川としゃがみこんで草を抜いていた時のことを振り返る。
パーマカルチャー談義の合間に、彼は抜いた雑草の名前を香菜に教えてくれていたのだった。
「いろんな雑草がありましたけど、多かった印象があるのはホトケノザやヨモギ、あとはスギナだったでしょうか」
「どのエリアにどの雑草が多かったかまで覚えていますか?」
「えーと、スギナは確か、あの辺りに多く生えていたような……」
畑の一角を指示した香菜の回答に満足げに頷くと、越川が再び講義に入った。
「今、僕が生えていた雑草の種類を尾倉さんに尋ねたのには理由があります。実はその土地に生えている雑草で、土の肥え具合を判断することができるんです。ハコベやオオイヌノフグリ、ホトケノザが多く生えている部分は、土が肥えていて良い状態です。一方で、ヨモギやスギナが多く生えていた部分は、土が痩せて酸性に傾いています。酸性に傾いた土壌を中和するためには石灰が多く使われるのですが、今回はこの
そう説明した越川が、手にしていたビニール袋を胸の高さへ掲げて見せた。
透明な袋の中には薄灰色の粉が入っている。
「一括りに草木灰と言っても、原料や燃やす温度によって成分や効果が多少異なります。今回僕が用意したのは、冬に自宅の薪ストーブを使って出た灰です。木が原料になっていて、しかもある程度の高温で燃やしてますから、肥料分は少ないですがアルカリ性に傾ける効果は高いです」
「へえー。先生のおうちには薪ストーブがあるんですかぁ。おっしゃれー」
「それもパーマカルチャーの実践の一つなんですよ。山で集めた薪を燃やし、その灰を畑に使う。カリウムの多い肥料とするために、刈り草を低温で燃やして草木灰を作ることもあります(※)。土から生まれ土へと還る自然の循環の中で、自分の生活をデザインしていくんです」
講義の重要ポイントとはおよそ無関係な部分に目を輝かせた苺子にも、越川は穏やかな笑顔で説明する。
パーマカルチャーを実践する越川の生活とは、一体どのようなものなのだろう。
香菜もまた、苺子とは少々違う視点で、越川の私生活に興味を抱き始めていた。
「そういうわけで、尾倉さん、野田さん。ヨモギの多かったエリアには、この草木灰も一緒に土に混ぜるようにしてください」
「はい」
「はぁい」
越川の差し出した草木灰は、苺子がさっと手を伸ばして受け取った。
結局、サラサラとしたぼかし肥料と草木灰を土に振りかけるのは苺子の担当となり、湿った落ち葉堆肥をまき、鍬を握って混ぜ込むという汚れ作業は香菜が請け負うことになった。
(なんだか不公平だよなぁ……)
講義の最中は根木の横顔をチラ見したりモンシロチョウを目で追ったりと、あからさまに気もそぞろな苺子だが、楽してこなせる作業を嗅ぎつけると、ちゃっかりとゲットして大変な作業を回避する。
その素早い判断力を普段の仕事にもぜひ生かしてほしいものだと呆れると同時に、そんな苺子に何も言わない根木に対してもモヤッとしたものを感じる。
苺子が根木に好意を寄せているのは明らかなのだから、彼が苺子に苦言を呈すれば、彼女ももっと真面目に取り組んでくれそうな気がする。
ライバルである香菜には常に歯に衣着せぬ物言いをするくせに、苺子がいくら年下で自分に気があって可愛らしい容姿をしているからと言って、良い顔ばかりして何も言わないのはなんだか納得がいかない。
鍬で土を混ぜていく香菜の腕に力が入る。
俯き加減で下を見ていたら、額をつたった汗が紅縁メガネのレンズに滴った。
持っていた鍬を置いて両手にはめたグローブを外し、レンズを拭おうとして──
「あっ」
香菜が小さな声をあげた。
メガネを取り落としてしまったのだ。
慌てて拾おうとしたら、隣で土を起こしていた根木が腰をかがめてそれを先に拾った。
「メガネを取り落とすなんて、手に力が入らなくなってるんだろ。昔取った杵柄だからって張り切りすぎじゃない?」
メガネを差し出す根木の言葉を、いつもの香菜ならば「余計なお世話よ」と突っぱねていたことだろう。
しかし、この時の香菜は。
「心配してくれてありがとう。確かに、ちょっと疲れてきたかも」
そんな返しを自然と口にし、メガネを受け取ったのだった。
メガネについた土を払おうと下を向いた香菜は、いつになく素直な彼女を目の当たりにした根木の動揺に気づかない。
「……あんまり無理するなよ。ここで少し休憩入れる?」
「根木君、優しいね。じゃあ、そうさせてもらおうかな」
「…………っ」
頬を赤らめた根木が、土起こしを手伝う越川を呼んだ。
「そうですね。最後に畝立てという大仕事が残ってますし、ここらで一旦休憩としましょうか」
越川の声掛けに、硬盤層を突き崩していた那須田も、額に滲んだ汗を花柄のタオルハンカチで押さえつつ、安堵の表情を浮かべる。
「尾倉さん、メガネ汚れたんなら納屋の横にある水道で洗ってきたら?」
「うん、そうする」
またしても素直に頷いた香菜が納屋に向かって二、三歩歩いた途端、盛り上がった土に足を取られてよろめいた。
根木が慌てて駆け寄り、香菜の腕を取る。
「ただでさえ足場が悪いのに、よく見えてないんだ。通路に出るまで支えててやるから、ゆっくり歩きなよ」
「ありがとう……」
頬を染め、恥じらいつつも根木のサポートを受け入れる香菜。
「えぇーっ!? なんで根木さんと香菜センパイがくっついて歩いてるんですかぁっ!? 香菜センパイずるーい!」
汗ひとつかいていないくせに真っ先にレジャーシートに腰を下ろした苺子が、二人のただならぬ空気を察知して騒ぎ始めた。
しかし、いつものツンツンした態度からは想像もできない香菜の豹変ぶりに全意識を持っていかれていた根木の耳に、苺子の抗議はまるで届いてはいなかったのだった。
(※)草木灰を作るなどの目的で焼却炉以外の野外焼却(野焼き)を無断で行うことは、廃棄物処理法や地方自治体の条例などで原則的には禁止されています。ただし、廃棄物の処理及び清掃に関する法律では、例外の一つとして「農業、林業又は漁業を営むためにやむを得ないものとして行われる廃棄物の焼却」をあげています。
個人が野焼きを行う際には、上記の法律を踏まえ、地方自治体の条例や周辺住民の理解など、様々な条件をクリアした上で行う必要があります。
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