05 天地返しは重労働【根木颯太郎】

 香菜と越川が草をむしり、苺子がタンポポやオオイヌノフグリと戯れる後方で、那須田と根木が畝立ての準備作業に入った。


 剣先スコップを地面に突き刺し、の要領で土を起こす。すくった土は横へとどける。

 雑草を根ごと引き抜いたおかげで表層の土はだいぶほぐれているものの、三十センチの深さまで耕すには力がいる。

 長靴を履いた足を片方、スコップの根元に掛け、体重をぐっとのせてスコップを深く刺し込む。起こした土はスコップ一杯分でもそれなりの重さで、Bグループの割り当て区画の半分ほどまで耕す頃には、根木の腕に力が入らなくなってきていた。


 さらに、根木にとって想定外だったのが、那須田の早々の戦線離脱だ。


「きゃあぁ! また出てきたわぁっ」


 根木が掘り上げたところに鍬を入れ、硬盤層を砕いて空気を入れる作業をしていた那須田が野太い声を上げた。


「はいはい」


 那須田の叫びを合図に、トングを手にした越川が、土からのぞいた白い芋虫をつまんでバケツに入れる。


「もー。那須田さんが虫嫌いだなんて聞いてないっすよ。 “天地返し” をするのが俺一人じゃ、畝立ても進みゃしない」


 首に巻いたタオルで汗を拭いながら根木がなじると、那須田は口をとがらせて反論してきた。


「虫嫌いったって、脚のついてる昆虫は平気なのよ。まさか起こした土の中からこんなに大量のが出てくるとは思ってなかったわ」


「自分だってガチムチのくせによく言うよ」


 四つ年上の先輩に向かって根木が悪態をつきたくなるのも仕方があるまい。


 三年ほど前までは地主さんが野菜を育てていたというこの菜園だが、起こした土の中からはダンゴムシやオケラに混じって、ムチムチとした芋虫系の幼虫がしょっちゅう出てくる。

 越川いわく、根切り虫と呼ばれる夜蛾ヤガ類の幼虫やコガネムシの幼虫は野菜の苗や根を食べて枯らしてしまうことから、これから若い苗を植えたり種まきをしようとしている畑ではできる限り駆除しておくのがいいとのこと。

 そのため、“天地返し” をして出てきた幼虫を見つけるたびに越川に回収してもらっているのだが、イモムシ系が大の苦手だという那須田は、開始早々に悲鳴を上げながら戦線離脱してしまった。

 結局、根木が土を掘り上げた後に、虫の生息域よりも深い硬盤層を那須田が砕くという役割分担になったのだが、スコップで土をすくって持ち上げる根木の方が力のいる作業をする羽目になったのだ。


「根木サン、すごい汗ですよぉ。みんなで休憩しませんかぁ?」


 野花と戯れていた苺子が、草むしりの終わりそうな香菜や越川に声をかけた。

 お前は始めから休憩しかしてないだろ、とツッコミたくなる根木だったが、疲弊した今は彼女の提案がありがたいので黙っておく。


 香菜が持参したレジャーシートに皆で座り、行きがけにコンビニで調達したお茶を飲んでいると、香菜が根木を一瞥してふっと笑みをこぼした。


「根木君、せっかくのお洒落ジャージが汚れちゃったわね」


 嫌味たらしい一言だが、香菜に応戦する気力もない根木はペットボトルから口を離すことなく黙っていた。

 すると、香菜はオーバルメガネの紅縁を指で押し上げながら言葉を続けたのだ。


「でも、そこそこ広い区画をひとりで “天地返し” するなんて見直したわ。営業部門のホープだなんて口先だけで評価されてるのかと思ってたけど、わりと根性あるじゃない」


「土にまみれた根木チャンも、男くさくて嫌いじゃないわ」


「根木サンは何をしてもかっこいいですぅ~」


「俺に一番大変な作業やらせといて、皆よく言うよ」


 不満げに一言を返した根木だが、那須田や苺子だけでなく香菜までもが自分を認めてくれたことで、ペットボトルのキャップを締める手にいくらか力が戻ってきているのを感じる。


「草むしりもほぼ終わりましたから、僕も “天地返し” の方を手伝いますよ。尾倉さんと野田さんは、根木さんが掘り上げた土に “落ち葉堆肥” と “ぼかし肥料” を混ぜてもらえますか。まずは僕がお手本を見せますね」


 休憩を終えた越川が、土のようなものが入ったバケツを持ってきた。


「有機・無農薬の野菜づくりを続けて良い土ができていれば、無肥料で不耕起の自然栽培にチャレンジしてもいいんですけどね。この土地はしばらく使われていなかったので、まずはことから必要なんです。これは落ち葉堆肥、いわゆる腐葉土ですね。向こうにあるぼかし肥料とこれを土に混ぜてから畝を立てます。ぼかし肥料は、米ぬかや油かす、魚粉などの有機物を発酵させぼかして作った肥料です」


 香菜と苺子を呼び寄せると、越川はバケツの中の落ち葉堆肥を土の上へとまいてみせた。

 続いてぼかし肥料をさらさらと振りかけ、鍬で器用にそれらを土に混ぜ込みながら、那須田が砕いた硬盤層の上へ戻していく。


「堆肥や肥料ってすっごく臭いイメージだったけど、土の臭いしかしないんですねぇ」


「牛や鶏などの家畜の糞を原料にした堆肥は、未熟なものだと臭いがありますね。ですが、堆肥も肥料もしっかり発酵させたものであれば悪臭を放つことはほとんどありません。ただ、家畜の糞には窒素が多く含まれているので野菜の生育が良くなる反面、虫が寄ってきやすくなるというデメリットがあります。今回は “団粒構造” といって、植物性堆肥によって微生物を増やし、保水性、保肥性の高い土に変えることを目指しているんです。ただ、皆さんは野菜づくりに初挑戦するわけですから、やはりある程度の収量がないと楽しくないですよね。ですから、ぼかし肥料を混ぜることで適度な栄養も供給していきます」


 淀みない越川の説明に、四人は感心して頷いた。

 畑を耕すことは単なる肉体労働だと思っていた根木だが、土起こしにしても、堆肥や肥料にしても、生物学や化学などの知識に裏づけされた理論があるのだ。


「見直したわ」と微笑んだ香菜の言葉。

 自分達の畑仕事が、野菜を健康に育てるため、それを食する人間が健全な心身を育むために合理的で必要な作業だと納得できたこと。


 それらによって、根木の心に溜まっていた澱のようなものが溶け去り、腕の痛みも軽くなる。

 越川の援護を受け、残り半分の天地返しを黙々とこなす根木であった。


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