ライトノベルはお好きですか?

キム

第1話 ライトノベルはお好きですか?

「暑い……」

 思ったことが無意識のうちに口から出ていた。

「なんでこう、地元はこんなに暑いかな……」


 私は今、仕事を辞めて実家で暮らしている。

 いわゆるニートである。

 世間では、とりあえず三年は働けなどと言うけれど、いざ働いてみるとなかなかに厳しいものがある。

 就職をきっかけに東京に引っ越して一人暮らしを始めてみたものの、慣れない家事や働くことの大変さを身に感じ、そんな生活を二年も続けられずに仕事を辞めてしまった。

 しばらくは働かずにアニメを見たりゲームをやったりしながら、ゆっくり休みたい。

 そう考えた私は、こうして実家に帰ってきて、働かない生活を続けているのだった。

 そして実家に戻ってきてから迎えた初めての夏。


 外の日差しは強く、連日猛暑日を記録している。

 隣の市では、最高気温が四十度を超えたということでニュースにもなっていた。

 こんな暑さでは、家でクーラーをつけても涼しさはあまり感じられない。

「この家、結構古いからクーラーをつけてもあんまり冷えないんだよね……」

 家に居ても涼しくならないことに、少し辟易していた。

 どこか近所に涼めるような場所はないだろうか。

 そう考えていたときに、

「あ、そういえば駅前に図書館が移転してきたんだっけ。」

 私が東京に引っ越してすぐに、実家の最寄り駅の前に図書館が移転してきたことを思い出した。

 以前は自転車を三十分くらい漕いだ場所にあったため、外に出るのが億劫な私は足を運ぶことはなかった。

 しかし、駅前なら歩いて五分もせずに着ける。

 それぐらいの短い時間ならば、この猛暑の中を歩くのも我慢できよう。

「図書館ならクーラーがちゃんと効いてて涼しそうだし、明日行ってみよう。」

 虚空に話しかけるようにして、私の明日の予定が決まった。


 * * *


 翌朝、さっそく図書館にやってきた。

(涼しい!生き返るー!)

 空調でしっかりと温度と湿度を管理しているのだろうか、家とは段違いに快適である。

 家を出てから図書館に来るまで、わずか五分。

 まだ午前中とはいえ、炎天下を歩き続けていれば、汗が玉のように吹き出すには十分な時間だ。

 私は首元と額に流れている汗をハンカチで拭いながら、図書館の中を見渡した。

 静かに本を読むお姉さん。

 黙々と勉強をする学生さん。

 悩みながらもノートパソコンと向き合うサラリーマン。

 いろんな人が、それぞれの目的でこの場所を利用しているようだ。

 私も涼むのが目的とはいえ、図書館に来たのだ。何もせずにただ入り口に立っているのは、あまりマナーが良いとは言えない。

 ここは図書館。本を借りて読むための場所なのだから、それに見合った行動はするべきだろう。

(とりあえずは本を借りるために会員カードを作らないと。)


 * * *


 受付で会員カードを作り終えた私は、ぶらぶらと本棚の間を歩いていた。

 学生時代は少しばかり本を読んでいたが、就職してからは本を読む時間も気力もなく、本を読むことをやめてしまっていた。

(ライトノベルは、と。ここかな。)

 とりあえず、学生時代に読んでいたライトノベルと呼ばれる本を探してみることにした。

(うわー、全然知らない作品ばっかり。あ、これはこの前アニメ化してたやつだ。)

 知らない作品。

 名前だけは聞いたことのある作品。

 昔読んでいた作品。

 本棚に並んでいる本の背表紙を見ながら、一つ一つ確認していく。

 そうして歩いていると、本棚のある一角に、紹介用のポップが置いてあるのが目についた。

(このポップはなんだろう?「本山らの一押し作品!」?本山らの、って誰?)

 そのときだった。


「あの……」


 ささやくような声で、後ろから話しかけられた。

「ひゃっ」

 ポップの内容に集中していた私は、驚きのあまり図書館にあるまじき声を出してしまった。

「あ、驚かせてしまってすみません。」

「いえ、こちらこそ大声を出してしまって……ごめんなさい。」

 お互いに小声で謝りながら、私は相手の姿を確認した。

 大きな丸メガネに、黒く長くて艶のある髪の女性。

 落ちつきのある雰囲気が漂っている。

 歳は私よりも少し若そうだから、二十歳前後だろうか。

 相手をまじまじと見るのも失礼なので、私は視線をわずかに下げる。

(あ、この人、ここの職員さんかな?)

 首からぶら下げている職員用のカードと思わしきものが視界に入り、この女性が図書館の人だと推測する。

「何か、お探しでしょうか?」

「ああいえ、特にこれといって探しているものがあるわけではないのですが……」

 ただ涼みに来ました、などとは言えない。

「何か面白そうなライトノベルはないかなー、なんて……」

 すごく、ふわっとしたことを言って、とりあえずその場をやりすごそう。

 そう考えて口にした発言は、しかし私の思惑とは違う方向に話が進むきっかけとなった。

「ライトノベル、ですか。」

 気のせいだろうか、彼女の目が一瞬、光ったように見えた。

「それでしたら、私のオススメ作品をご紹介しましょう。」

 声量は変わらず小さめで、それでいて先程よりも重く力強くそう言いながら、彼女は「本山らの一押し作品!」のポップが置かれている棚に手を伸ばした。

「あ、もしかして本山らのって……」

「はい、私です。あ、自己紹介がまだでしたね。私、本山らのといいます。ここでアルバイトをしています。」

 彼女が伸ばした手をひっこめて、こちらを向きながらそう名乗った。

 藪蛇だった。

 つまり私は、他人に勧めるほどライトノベルが好きな人に、「面白いライトノベルはあるか?」と言ったのだ。

 ポップを作って布教用のスペースを設けるほどの熱量。只者ではないだろう。

 私が自分の発言に後悔する横で、本山らのは再び棚に手を伸ばし、いくつかの本を手にとった。

「これとこれと、あとこれも。この棚に置かせてもらっている作品はどれもオススメしたいのですが、とりあえずはこの三作品ですね。」

 そう言って見せられた本の表紙絵は、どれも色鮮やかであった。


 ひとつは、黒い猫と赤い服を着た女の子が、無表情ながらも可愛く映っているもの。

 ひとつは、本を持った制服姿の女の子が、優しそうに微笑んでいるもの。

 ひとつは、弓矢を構えた赤い髪の男の子が、今にも絵から飛び出してきそうなもの。


 それぞれが全く違うジャンルの作品に見えることから、彼女が偏ったジャンルではなく、万遍なくライトノベルを読んでいることがうかがえる。

「じゃあ、これで……」

 そう言って私は、本を持った女の子が表紙のライトノベルを手にとった。

 その本を選んだのは、学生時代に読んでいたジャンルと似ている雰囲気を感じたからだ。

 せっかく三作品も勧めてくれたのだから、全部借りるのが礼儀なのかもしれないが、まずは一冊だけ借りて、本を読むリハビリとしよう。

「はい。では、貸出の手続きを行いますね。」

 私は選んだ本を彼女に渡し、貸出の手続きをしてもらった。

 借りた本を片手に読書スペースへ行き、空いていた椅子に座る。

 改めて表紙を眺めてみた。

 本を持った制服姿の女の子が、優しそうに微笑んでいる。恐らく、恋愛ものだろう。

 そう思いながら、私はそっと表紙をめくる。

 空調の音。

 他の人が本をめくる音。

 ノートパソコンのキーボードの打鍵音。

 そうしたものが少しずつ意識から消えていくのを感じながら、本の世界へと入っていった。


 * * *


 結局、図書館が開いているうちに本を読み終えられなかった私は、そのまま家に持ち帰って最後まで読んだ。

「すごい、良かったな……この本、好き。」

 読み終えた後の気持ちは、口にするとなんとも薄っぺらい言葉となってしまう。

 しかし、この本を読んで感じた暖かさは、確かなものだった。

 今まで読んだライトノベルも、もちろん面白かった。

 でもこの本は、読み終えたときにそれまでとは違った気持ちが湧いてきた。

 間違いなく、今の私の中で、一番好きな作品だ。

 この本に出会えて、本当によかった。

「今度会ったときに、本山さんにお礼を言わないと。明日もいるかな?」

 明日も図書館に行く気となっている自分に少し驚きつつも、今日勧めてもらった他の二冊に期待が高まりつつある。

 そんなことを考えながらふと時計を見ると、時刻は夜の八時を示していた。

「もうこんな時間か。ご飯を食べないと。」

 家で食べて寝るだけの不規則な生活をしていると、変な時間に食べることが多くなってしまうが、今日は比較的ちゃんとした時間に食事をすることになりそうだ。

 母が作ってくれているであろう夕食を求めて部屋を出ると、お風呂から出てきた母と目があった。

「あ、ちょうど良かった。ちょっとあんた、牛乳買ってきてくれない?」

「え、いつ?」

「いまよ、いま。お風呂上がりに牛乳飲もうと思ったけど、切らしちゃってるのを思い出したの。」

「別にないなら飲まなくて良くない?」

「毎日飲んでるんだから、今日だけ飲まないわけにはいかないの。それに、あんたいつも家でぐーたらしてるんだから、ちょっとはおつかいを頼まれてくれてもいいんじゃない?」

 それを言われては、言い返す言葉もない。

「わかったよ。行ってくる。」

 私は部屋に戻って財布を取ると、すぐに家を出た。


 * * *


 家から一番近いスーパーは駅前にある。

 図書館より少し歩いた先にあるので、今朝図書館に向かうときに通った道を再び歩きながら、今日の出来事を思い返す。


 本山らの。


 図書館でアルバイトをしている女の子。


 本棚の一角をオススメ作品で埋めてしまうほどの、ライトノベル好き。


 そんなことを考えなら図書館の前を通ろうとしたときに、図書館から出てくる人影が見えた。

 本山らのだ。

「あ……」

 少し暗い夜道でも、長い髪とメガネのお蔭で、その人影が彼女であると気づくことができた。

「あら、あなたは……」

 私の声が聞こえたのか、彼女もこちらに気づいた。

 私は小走り気味に彼女に近づき、

「あ、あの……」

 勧めてくれた本、面白かったです。

 そう言おうとした私の思考は、彼女の格好を見て止まってしまった。


 狐のものと思われるケモノ耳。


 毛並みが良さそうな尻尾。


 まるで闇夜に紛れることを目的としたような、黒い忍者のような服装。


「その恰好は……?」

「これですか?このあと、『お仕事』が入ってしまいまして。」

 少しばかり悲しそうな表情をしているのは、その『お仕事』があまり嬉しくないことだからだろうか。

(しかし、『お仕事』……コスプレの撮影とか?)

 一体このような恰好でできるお仕事とは、どのようなものなのだろうか。

 考えても答えが出てこない気がしたので、私は考えるのをやめた。

「そうでしたか。お疲れ様です。あ、そうだ。今日勧めてくれた本、とっても面白かったです。ありがとうございました。」

 最初に言おうとしたことを思い出し、感謝の気持ちを伝える。

「そうですか。それは良かったです。」

 そう言いながら、彼女は微笑んだ。

 装いこそ動物のコスプレをしたであるが、その笑顔から彼女が図書館で会った本山らのであることが感じられた。

「明日は、今日勧めてくれた他の本を借りに来ようと思います。」

「どちらもとても面白いので、オススメですよ。」

「はい。ありがとうございます。では、これで。」

 言いたいことだけを言い、スーパーに向かうためにその場を去ろうとした。

 そのとき。


「あの……」


 背を向けた私に、本山らのが声をかけてくる。

 振り返ると、期待と不安がこもった眼差しを向けられていた。


「ライトノベルはお好きですか?」


 本山らのが、私に問いかける。

 その問いかけの意味を、じっくりと考える。

 おそらく彼女は、自分がライトノベルを好きなだけじゃなくて、自分以外の人にもライトノベルを好きになってほしいのだろう。

 だから好きな本を勧めたり、図書館の一角に自分専用の棚を作ってまで本を読んでもらおうとしているのだろう。

「う~ん。好きかどうかは……正直、わからないです。」

 彼女の気持ちを考えながら、しかし私は、彼女が期待しているであろう言葉を口にはしなかった。

「そう、ですか……」

 彼女の表情がわずかに曇る。


 好きなライトノベルは、いくつかある。

 今日読んだライトノベルも、とても面白くて好きになれた。

 だが、ライトノベルが好きかと言われると、それはわからなかった。考えたこともなかった。

 ライトノベルについて語れることは少なく、過去の名作や話題の新作も、全くと言っていいほど知らない。


「わからないです。でも……」


 それでも、と思う。

 はっきりとした理由なんてないけれど、予感する。

 私はこれから、彼女を通じて、ライトノベルを好きになっていくだろう。

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