センポクカンポク

安良巻祐介

 

 センポクカンポクと名乗る素性不明の男が家の庭に侵入したと聞いて、自室での終わりの見えぬ符丁数えの手を休め、膝に毛布を引っ掛けたまま「それっ」とばかりに駆けつけてみれば、ぽかぽかとした陽の当たる縁側に、口の広さが耳まである、尋常ならざる人物が腰かけて休んでいた。

「どなたですか」と尋ねると、返事代わりにふところから樺色のパイプを出して、その大きながま口に横っ咥えにし、燐寸を擦って、ぽくりと満月の煙を吐いた。

 薄青い煙塊は、軒の辺りまでうっすら浮いてから、雨どいに引っかかってぽくぽくと割れ、辺りに上等の甘茶のような薫りを漂わした。

 鼻を蠢かしつつ、その有様を陶然と眺めていると、ジイコジイコジイコ…と電話を回す時のような音がしたので、ぎょっとして向き直ると、その、センポクカンポクという名前らしい男が、パイプを咥えたまま、笑っているのだった。

 よく見れば、その顔は、両の眼が黄色く、パイプと逆の側に出た桃色の舌長く、そして全体に扁平で、どこか滑稽味の異相である。

 ここに至って、先刻までの性急な、浮足立ったような気持ちもようやく落ち着いて、こちらも縁側に腰を下ろし、膝に引っかかっていた毛布を畳んで脇に置いて、「ようもはろばろいらっしゃいました」と言葉をかけたところ、何が可笑しいのかセンポクカンポク氏はまたジイコジイコジイコと電話を回し、こちらの肩をぽんぽんと叩いた。

 その叩き方が、いかにもこちらの疲れを労うような、肩の荷を下ろさせようとするような、優しい具合なので、思わずこちらも恵比寿顔になる。

 そうすると、かの人は、ふいと片手を上げ、家の中を指さした。

 縁側からすぐには仏間があり、ここからでも黒塗りの立派な仏壇が見える。

 その、薄く開いた戸の中に、まだ新しい位牌が立ててあって、そこに書いてあるのは、何という事であろう。ほかならぬ私の名前であった。

 ぽっかりと口を開けて、時計の針がゆっくり一回りするくらい、たっぷりとそれを見つめた後、色々と思い出し、後先もはっきりして、物事が納得されてきたので、私はその男に促されて立ち上がり、ようやく生まれ育った、愛しい生家を離れた。

 甘茶のような薫りが、鼻腔にまだ残っていて、墓地までの道行きの間、浮世を少しずつ、忘れられそうであった。

 わすれてた。わすれてた。

 さようなら。さようなら。

 ありがとう。ありがとう。

 遠ざかっていく縁側で、私の畳んだ毛布が、少し薄れかけた陽に当たっている。

 家の奥では、家族の誰かが立って、どこかに電話をかけているらしい。…

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センポクカンポク 安良巻祐介 @aramaki88

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