第二話 I


俺が、人との関わりを何となく避けるようになったのは中学三年生に上がってからだった。


それまでは人並みに親和欲求、愉楽欲求はあったし、それが一番だと思っていた。


ただ、ある切っ掛けが引き金になって他人との深い関わりは何となく苦手になっただけだ。


それを引きずりに引きずって一年後、根暗のボッチの出来上がりということだ。


そして今日もまた俺の苦手な集団、学校へと登校しなければならない日だ……まじだるい。


それもいつも以上に、入学して一ヶ月以上だったがこれが五月病か?


俺は目覚ましを止めながらゆっくりと体を起こす。今年は例年より春が来るのが遅過ぎる。未だに肌寒さを感じながら布団を綺麗に整頓しスリッパに履き替える。


このだるさは五月病かと思っていたが、今の俺には他に明確な理由があった。


土曜日、家に帰ってから昨日終日まで、一日中俺は外に出る気力が無かった。ずーっと引きこもってスマホの音ゲーでイベント周回。


音ゲーは神。それ以外は全部クソ。


流れるノーツを指二本で征するあの感じ、フリックの軽快な音、それだけが俺の心を穏やかにする。


女の子と二人でゲームセンターで遊ぶのも、音ゲーするのも、トイレで鼻を噛まれるのも嫌いだ、大嫌い。


俺はノーマルだ。特殊な性癖なんてありゃしない。あの出来事は嘘だ偽だ無かった。


なのに……未だに……胸を締め付けるあの香りが抜けないんだ。


「……お兄ちゃん、ぼーっとしてないで新聞くらい取ってきてよ」

「……あっ……」


俺は夢の中にいるような感覚から覚める。……今……一体何を考えていた?


「あーっとごめん。新聞だったっけ?」

「そういってるでしょ!もー何なの昨日から家事も一切手伝わずに部屋に引きこもって!家にカビ生えるかと思ったじゃん!」

「あー……ごめん、今日は俺が変わるから休んでいいよ」

「いい!今のお兄ちゃんぼーっとして何やらかすか分からないから!ほら新聞取ってきて!」


そうやって寝起きの頭に喝を入れてくる妹。


彼女は宮本みやもと里奈りな。俺と年子の中学三年生。思春期盛りの受験生だがとてもいい子だ。母子家庭に生まれ育った俺たちは、昼夜問わず働く母に変わり家事を受け持ち、母がゆっくり出来るようサポートしていた。日替わりで家事をして、妹が当番の日の俺は大体アルバイトを入れている。


昨日の担当は俺だったが、サボってしまったようだ……反省。


だが勘違いしないでくれ妹よ。このサボりは怠いからバックれたとか、妹を苛めたくなったからとかではなくちゃんとした理由があるのだ。そう、自分がノーマルだという事を証明するために……などと考えるも流石に口に出す事は出来ず、俺は椅子から立ち上がる。


時刻は七時前。これからゆっくりご飯を食べて支度をし、家を出れば八時過ぎの電車には間に合うだろう。いつもと同じリズムで行動すればの話だ。


だがしかし、神様はそれを簡単に叶えさせてくれない。


廊下をあくびしながら歩き玄関へ。閉まっていた二重の鍵を開き扉を外側へ押し出す。


眩しい朝日と涼しい風、小鳥のさえずりが俺の体を、憂鬱な心を癒してくれる。


こういう時に限って俺の一番会いたくない奴に会ってしまう。


「み、宮村君!?」

「……うわー……」


白いブラウスに真っ赤な細いリボン。ベージュのカーディガンに膝上まで上げた紺のスカート。黒のニーソックスにローファーという俺たちの通う私立高校の制服に身を包んだ朝田さんが……犬を連れてそこに立っていた。


一瞬、鼻が疼くような気がしたが、気のせいだろう。


「え、えっ……ここって宮村君の家なの!?ど、どうしよう……ま、まだ心の準備が……あ、あっでも朝一の宮村君だ……寝起きの鼻……やっぱり写真だけいいかな」

「……落ち着け」

「いたっ!」


俺は暴走してスマホを取り出したはいいが、震えてピントが合わずにいる朝田さんにチョップをかます。


少々加減を間違えてしまったのか、頭を抱えて座り込む朝田さん。


「うう〜ひどいよ〜写真くらいいいじゃ〜ん。せっかくのレアショットなんだから……」


前言撤回、少々威力が足りないようだった。


「……で、なんでここにいるんだ」


俺はツッコミどころを我慢して話を進める。


「な、なんだって偶々居合わせただけだよー。ほらっワンちゃんの散歩だよ。宮本君の鼻が好きすぎてストーカーしたり、待ち伏せたり、こっそり写真撮ろうとしてたわけじゃないから!」


その行為ひっくるめてストーカーだけどな。

まぁ偶々なら仕方ない。意外と近くに住んでいたんだな彼女。


無邪気に笑う朝田さんを見てると、一昨日の出来事をフラッシュバックするように思いだしてしまう。……う……これはやばい。


「あれ?宮村君顔が赤いよ?……まさか!また私の匂い……また嗅ぎたかったりする?」


朝田さんは今度はニヤニヤと俺の顔を覗き込む。


「ち、ちげーよ。というかただお前が吸われたいだけだろ変態」

「うっ……変態って……分かってるけど言うのは酷い……」


そんな会話をしていると足元にちょっとした重みを感じる。下を見てみると朝田さんの連れている犬、白と茶のコーギーが前足を俺の膝にちょこんと乗せてこちらを見上げていた。人懐っこいな。


「……名前はなんて言うんだ?」


なるべく会話は続けたくなかった。しかしワンちゃんに罪はない。俺は屈んで撫でてあげる。無抵抗で撫でさせてくれるし、尻尾の振りも大きくなる。大分人には慣れてるようで可愛いもんだった。


「ポン太って言うんだよ。もふもふしてて可愛いでしょ」

「そうかポン太か。よーしポン太、よしゃよしゃよしゃ」


俺はポン太を撫でに撫でまくる。ポン太はヘッヘと下を出しながら大いに喜んでるようだった。


「なんか手慣れてるね、犬の扱い」


それを見た朝田さんも屈みながらそう言った。


「まあな。俺も前までは飼ってたからな、黒のダックスフンド。寿命で亡くなったけどな」

「あー、そうなんだね。もう飼わないの?」

「……まあ今の所は無いな」


俺はポン太をもうひと撫でして、立ち上がろうとする。するとポン太は前足でぴょんと跳んで立ち上がり俺の鼻をぺろっと舐めた。ざらっとした感触の後ひんやりと湿った感触が残る。


「あー!!ポン太が!ポン太が朝の一番鼻を舐めたあ!私のなのにー!先に舐めたーっ!」

「……て、お前のじゃねーよ!変態!」


鼻に関しては犬にも敵対するのかよ。


朝田さんはあははと無邪気に笑う。柄にもなく大声で突っ込んでしまった。……何となく仲良く話しているようで嫌な気分になる。


人と深く関わるのは危険だと分かっているはずなのに……


朝田さんの高いテンション、悪ノリするところ、この声の大きいところも俺は苦手だ。


だから……やっぱり気のせいだ。さっきから何となく香るあの匂いも、脈を早める鼓動も。話が盛り上がったのも彼女に乗せられていただけ。


「お兄ちゃーん、何してんの!遅い!」


家の中から里奈が叫んでいるのが聞こえる。


「ああ、妹が呼んでるから行かないと」


俺は朝田さんと目も合わせず振り返る。


「あっ分かったけど、その前に宮村君忘れ物!」


その声に思わず止まってしまう。


「挨拶だよ、おはよう!」


「……おはよう」


俺は彼女に背を向けたまま挨拶を返し、自宅へと入った。


「もう、お兄ちゃん何油売ってんの!味噌汁とご飯冷めるから早く食べちゃってよね!早く座らないと食器下げるから」


リビングに戻るとセーラー服にエプロン姿の里奈が腰に手を当てて不機嫌そうに立っていた。

出来立ての味噌汁の香りが鼻に付く。


思わず鼻をかく。


「何またぼーっとしてるのお兄ちゃん!食器洗えないから早く食べて!先にいただくからね!」


里奈は忙しそうにエプロンを外し、席に着く。


「……里奈、最近どんどん母さんに似てきたな」

「はあ!?私母さんほど五月蝿くないよ!やめてよーそういうこと言うのー!いい加減座ってよね!」


声が大きい所とか……まじお母さんかっての。


「はいはい、里奈お母さん分かりました。座りますよー」


俺は怠そうにあくびをしながら椅子に座る。


「お母さん言うな!後お兄ちゃん牛乳入れて!」

「……座ったばかりの人にそれ言う?」


とこんな風にどうでもいい会話をしながら今日が始まる。


憂鬱で怠惰な朝だが過ぎる時間に抗うことは出来ず、今日もまたいつも通りの静かな一日を過ごしたいと強く願う。


俺は鼻が未だむず痒くて、指でかいてしまう。


「……マスク、あったかな」


暖かい味噌汁をすすりながら、何となくそう思った。




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俺たちは斜め下の変態《アオハル》に溺れてしまいそうだ セイヤ。 @daks0008

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