第一話 II
「はあ〜疲れた!ありがとね宮本君!」
全三曲のゲームが終わり、朝田さんはポンと俺の肩を叩くと、伸びをして荷物をまとめ始めていた。
ベージュのベレー帽を被り、白のブラウスにカーディガン、そしてフレアースカート。
俺は初めて彼女の私服を見たが、なんというかオシャレだ。制服とは違った少し大人っぽい印象を受ける。
「宮本君はカミパラ勢かー……私もラウワンじゃなくてこっち通おうかな……」
ベレー帽を調節しながら朝田さんはそう呟く。
「いや、朝田さんに悪いよ。ラウワンにクラスメイトとか、音ゲー友達いるんじゃないか?」
彼女が一人でやっているはずがないもんな。多分音ゲーに関しても広い交流を持ってるはずだ。
「そんなわけないじゃ〜ん。これやってる友達いなかったんだよ?付き合ってくれるのは沙耶くらいだったもん。あっ沙耶は渡部さんだよ?クラスメイトの」
あー朝田さんと一番仲よさげなポニテの人か。名前は覚えているが話した事すらないと思う。クラス委員長だとかなんとか。
「まあ俺に否定する権利はないと思うから好きにしてくれ。」
「あっ!じゃ、じゃあ私行くときラインするね?都合あったらまたマッチングよろしくね!」
「えっ……」
……意外だ……朝田さんも忙しいだろうに俺にまでかまってくれるとは、社交辞令でも嬉しいものだな。
「ま、まあ空いてたらな……」
「了解っ」
朝田さんは無邪気な笑顔を俺に向ける。……この何をやっても許してしまいそうな笑顔……やっぱり苦手だ。
俺は鼻をかき、目をそらしてしまう。
「あっ……」
そこでまた彼女は目を見開く。
……なんだ?なんなんだ?俺の顔に何かついてるのか?
俺はメガネを外し少し顔をペタペタ触るが何もなさそうだった。その間朝田さんはまた頰を赤くして目線を下げていた。……もうよくわからん。
「……ところでさ宮本君」
俺がメガネをかけ直すと朝田さんは改めるように顔を上げていた。何というか童顔な彼女の上目遣いは思わず惚れてしまいそうなほど可愛かったが、何とか持ち直した。
「な、なんだ?」
「宮本君ってまだオトボウ……やるの?」
朝田さんは誰もプレイしていない筐体を指差しそう言った。
俺は少し考えた後に時計を見る。針は十六時を指していた。
「……そうだな。オトボウは疲れたからやらないかな。でも後小一時間は遊んで帰ろうかと」
「ほんとっ?じゃあ一緒についていっていい?」
「はっ……?」
……何を言っているんだ朝田さんは?学校でも目立つ方の彼女があろうかとか隠キャの俺なんかと遊ぶとでも言いたいのか……?意味がわからない……この掴み所がない所……やはり苦手だ。
「な、なんで?朝田さん一人で来たわけじゃないだろ?友達は?」
結果俺は否定する意味を持ってそう言った。
「あー……沙耶……沙耶はね……彼氏のとこ行っちゃった……」
虚ろな目をしながらそう答える朝田さん。これには何も反論できない。……だってぼっち同士って事だろう?
「で、でもいいのか?男と二人でとか……彼氏に怒られるだろ?」
石……なんとか君とかさ
「彼氏?そんなのいないってばー」
茶化すような苦笑いで手を振る朝田さん。……あれはただの噂だったてことか?
「あー、そうなのか。でも俺といたって何もないぞ?ちょっとアーケードゲーとかクレーンゲームとか触って帰るだけだし」
「それでもいいよっ!さあ!行こう!」
朝田さんは俺の袖を掴んで無理やり進もうとする。流石にこのテンションについていける俺ではなかった。
「ちょっ!ちょっとまてって!なんで俺なんだよ!」
朝田さんごと踏ん張り止まる俺。
「なんでって……別に?特に理由はないけど」
「ないって……」
振り返った朝田さんは逆になんで?と言いたそうな顔をしていた。
「いや……なんて言うか……朝田さんが俺と遊ぶ理由なんてあるのかって言うか……こんな隠キャと遊んでも何も無いと言うか……」
「んー、まああえて言うなら楽しかったから、かな?」
「楽しかった?」
朝田さんはふいっとオトボウの筐体に向く。
「宮本君とするオトボウ。店内マッチングでプレイしたのは初めてだったけど、知り合いと同じゲームを共有しあえるってのは一人でやるよりも数倍楽しいと思うんだけど、宮本君はどうだった?楽しくなかった?」
……そうか、朝田さんは別に俺を隠キャと見ていたり、ボッチと見ているわけでは無かったのか。俺に対しての接し方は彼女の嘘偽りない本心での行動だったのか。
なら俺も、隠キャやボッチという単語から逃げずに、今の素直な気持ちを答えればいいだけだ。
……まぁ正直、朝田さんが音ゲーをする事に驚いたが、実際プレイしていると相手のコンボも見えるから競いたくなってしまったし、同じボタンを、同じリズムでタップするときの一体感は今まで経験したことのない〝楽しさ〟だったかもしれない。
まだ、俺の中には親和欲求が残っていたのか……
「うん、そうだな。楽しかった正直」
俺がそう答えると朝田さんはにこっと満面の笑みを浮かべ
「そっか、よかった」
と言って俺に一歩近づいた。そして、
「じゃ、遊ぼっか」
と俺の袖を引く。
……しかしこの時の俺の選択が、不覚にも楽しいと感じたこの選択が、俺の高校生活を斜め下に変える出来事に発展するとは一片も思いはしていなかった。
変 変 変
約一時間、俺たちはそれなりに楽しい時間を過ごしたと思う。
普段朝田さんと話さない分、彼女の知らなかった一面が色々と知れた。
相手が誰であろうと、お喋りな所。テンパるとすぐに取り乱してしまう所。そこから少しドジな点も出てきた。正直見てて飽きないが、教室や人目の多いところで、名前を連発したり、大声で叫ぶのはやめてほしい。注目されるから、まじ心臓に悪い。
でもやはり、たまにおかしな視線を送ってくる理由は分からなかったし、自分から聞くこともできなかった。
まあともかく、久しぶりに異性と二人で過ごす時間は中々楽しく、親和欲求も遊戯欲求も満たされた。多分高校三年分のコミュニケーションをしたと思う。いやマジで。
あれやこれやで、時間も過ぎていき、そろそろいい時間かなと思っていた矢先、それは起きた。
「……なぁ、大丈夫か?」
俺はクレーンゲームのレバーを操作しながら、横目でそう言った。
「だ、だから大丈夫だって!ほら!三分の一出たよ!後はひっくり返してしまえ!」
朝田さんは、ぬいぐるみを指してそう言う。少し焦っているようだった。
「ってもな、さっきから明らかに様子おかしいんだよなあ。顔赤くないか?本当に大丈夫なのか?」
彼女は時間が経つにつれ、体調が悪いのか頬の赤みが増し、気持ち目が潤んでいるように見える。
「もう!しつこいって!大丈夫って言ってるじゃん!」
「いや息使い荒いぞ?熱でもあるんじゃないのか?」
そう言っていると人形のマトが外れ、クレーンは空振りに終わる。
「ほらあ!そんな事言ってるから取れなかったじゃん!もう一回!……てかさ!妹とかじゃ無いんだから!心配しすぎ!」
……まぁ妹じゃ無いですけど、妹がいる身からすると心配になるのは仕方ないじゃ無いか、もう中三だけど。
まあ、朝田さんはそう言っているし気にしながらもクレーンゲームを操作して人形を落とす。軽快な音楽がなり、店員さんがベルを鳴らす。その店員さんに袋をもらい、俺が抱える。
「……そろそろいい時間だし、帰るとするか」
「そ、そうだね!今日はありがとね!楽しかった!」
「いいや、こちらこそ。……朝田さんは帰る方向駅側?」
俺は曲がりなりにも男子、このくらいの気は効かせられる。
「いや、すぐこそだよ!自転車だから大丈夫!宮本君は意外と男らしいね!」
「ま、まあ……どうも……」
「あっでも帰る前にちょっとお手洗いだけ行かせて!」
そう言えば数時間ゲームに夢中なっていたが、お手洗いというワードを聞いて妙に尿意が近くなる。俺も行っておこうか。
「分かった」
俺はそう言ってお手洗いへと向かったのだ。朝田さんについていく形で。
しかし何故この時の気づかなかったのだろう。ここのゲームセンター一階には三箇所のトイレがあり、先程のクレーンゲームの近くに改装が終わったばかりの綺麗なお手洗いがあったはずなのに、そこをスルーして奥へ進んでいってしまった事に。
俺は何も思わずに、トイレで用を足した。長年使われた小便器にはアンモニア臭が染み付いており、思わず息を止めての用足し。
乾燥していて何となく触りたく無い石鹸を湿らせつつ手を洗い、ハンカチで拭く。
女性はお手洗いが少し長い。俺が少し待つ形になるだろうと、そう考えながら洗面台から方向転換、出ようと思ったその時……
「宮本君っ!」
「は……ちょっえ!?」
そこには朝田さんが待ち構えていた。
「な、何やってんだよここ男子トイレだぞ!?」
幸い他に用を足してる人は居ず、現場には俺と彼女二人だけだった。
「……わ、わかってる」
朝田さんは少し俯きつつも真っ赤に染まる頬は隠しきれていなかった。
「分かっているけど……ごめん」
そう言いつつ顔を上げる朝田さん。目は光に反射して輝きそうなほど潤い、呼吸も荒い。妙な色気さえ感じる姿に、少しどきりとした。
「……でも……でもどうしても……」
彼女はゆっくりと俺に近づいてくる。俺は何故か止めることができなかった。朝田さんに合わせて、一歩引き下がる。
洗面台の前まで押し戻されてしまった。
そして———
「我慢できないから!」
そう言って彼女は勢いよく両腕で俺をホールド。洗面台をバックに両サイドをブロックされた。つまり逃げ道なし。
「ちょっ…な、何のつもりだよ!」
そこでようやく言うことを聞き始めた体で、彼女を退かそうと腕を掴みにかかる。……しかしそれも朝田さんの手に掴まれて失敗する。
「動かないで」
「っ!……」
潤った目で牽制され、どうしようもなくなる。
朝田さんは顔をゆっくり近づける、反って避けるも限界がくる。
朝田さんは足りない高さを、体をくっつけることでカバーして更に近く彼女の色っぽい瞳や唇。
耳には俺のなのか、彼女なのか分からない鼓動の音しか響いてこなかった。
吐息がかかる。朝田さんの、女の子の香りが鼻を刺激して緊張と興奮が加速する。俺は硬直状態になった。
抵抗できず、鼓動も鳴り止まず、思わず目を瞑った俺に彼女の唇が迫り、距離はゼロへと。
そして———
「……はむっ……」
俺の〝鼻〟を噛んだ
「!?」
俺の体は状況を判断しきれないまま反射が働き限界突破、腰の苦労も考えず思いっきり反った。
結果蛇口に後頭部を強打した。
「いっっっつ!!!」
その音と、痛みに耐えれず叫んだ声に驚き、朝田さんは一歩俺から離れた。
「わっわっ!大丈夫!?」
「大丈夫……じゃねえよ……」
俺は後頭部を抑えながら噛みしめるように言った。
「それはそうと……なんだよ……今の……なんで俺の鼻を噛んだ」
俺は警戒しつつもさっきの出来事について問い詰める。
朝田さんはまだ赤い頬をかきながら微妙な笑顔を浮かべた。
「え、ええっと……ひ、引かない?」
「心配するな。もう十分に引いてる」
あれだけの出来事、引かないはずがない。
「そ、そっか。そうだよね……よし」
朝田さんは自分に気合いを入れるよう手のひらを握りしめる。
「ちゃんと聞いてね、宮本君」
「あ、ああ」
そして精一杯、溜めに溜めた思いをぶちまけるべく彼女は口を開いた。
「わ、私ね……す、好きなの!〝鼻〟が!!」
「は、はな?」
「そう〝鼻〟!お花じゃなくて、お顔についてる鼻!」
鼻が好き?……これは理解が追いつかないぞ。
「私ね、変なの!病気なの!ずーっと前からお鼻に魅力を感じちゃう病気なの!それでね、入学式の時に、宮本君のお鼻見たとき、ピンッというかガツンというか、とにかく宮本君のお鼻にひ、一目惚れしちゃってずっと気になっていたの!」
一目惚れだと……?これはなんの告白だ……?
「それでね!今日は二人で遊んでいつもより距離が近かったからというか……なんか興奮しちゃって……モヤモヤがムラムラが最高潮に達しちゃって思わず……噛んでしまったの!」
と、というかこれって……彼女って……
「あ、あぁ……お鼻をかいたときに曲がる先っぽが可愛かったり、メガネのちょこんと乗ったところが愛しかったり……い、今でもお鼻にかぶりつきたい舐めたいしゃぶりつきたい……宮本君の鼻息が漏れるの勿体無いし……あぁ!匂いを嗅いで欲しい……というか寧ろ鼻で吸い込んで欲しい……」
朝田さんは止まらない。一人で暴走していた。
……やっぱり……彼女って……
「……変態じゃん」
もう十分引いたと思っていたが……これはガチで引いた。いわゆる彼女はアブノーマルな性癖をお持ちで、それに当てはまる相手が俺だと言う。朝田さんは性的欲求に支配されている状態だった。
「ね!ね!だからさ!一回その可愛いお鼻で私のこと吸ってみてよ!」
「はあ!?」
いきなりトンチンカンな要求をされ驚いてしまう。
「なにを言ってんだよ!突然!」
「だ、だってさ!こんなチャンス今まで無かったんだよ?ずーっと気になっていたお鼻が目の前に……これは今まで溜めてきたモヤモヤを満たすチャンス!」
「だからと言って俺を巻き込むな!やめろ!近づくな!俺はノーマルだ!」
彼女はもう一度俺へと歩みを進める。
「一回!一回だけだから!」
そして俺の頭を、まだ痛み残る後頭部を抱え自分の胸へと抱き寄せた。
「っ!」
「ほらっ吸って!遠慮はいらないから!」
その小さな体からは考えられない大きなクッションに包み込まれる。流石に息を止めることが出来ず、思わず吸ってしまった。すると……
「……っ」
朝田さんの、なんとも言えない甘い香りが鼻腔を刺激した。
……なんだこれ……これは知らないぞ……
女の子はいい香りがすると言うがあれは制汗剤などの消臭剤の匂いであって、女の子自身の香りではないと思っていた。
しかし朝田さんのそれは、作られた人工的なフローラルの香りとかでは無く、言葉では言い表せない不思議な香りがした。
……これがフェロモンなのか?
「はああ……吸われてる……朝田君の鼻に」
そんな変態の声が聞こえるが気にならなかった。
俺は何故か彼女の香りを求め始めていた。
朝田さんが頭を抱き込むように、俺も彼女の体を抱きしめてしまう。
「んっ……み、宮本君……そんなにがっつかないでよ……」
……違がう……こんなの俺じゃない……
そう思いながらも荒くなる鼻息と加速する鼓動。
……違う……これは香りのせいだ。朝田さんの甘い香りのせいでちょっとおかしくなってしまっただけだ。
頭に彼女の鼓動の音が響く。
か細い体を抱きしめる腕に力が入ってしまう。
……違う認めない……俺が……朝田さんの香りに興奮してしまってるなんて……
流石に息が苦しくなり、新鮮な空気を求めるため彼女から無理やり顔を離した。息はまだ荒い。
「……はあっ……はあっ……やっぱり……思った通り……」
顔が熱い……まともに朝田さんを見れない
「……私達相性バツグンだよ……」
「……何が……バツグンだよ……変態が……」
「宮本君も人のこと言えないじゃん……ちょっと苦しかったかも……」
朝田さんは荒い息を深呼吸で和らげ乱れた服を直す。
「はあー……堪能した。宮本君の鼻に吸われてるっていい!……んーっ!」
そう言って伸びをする朝田さん。鼓動が落ち着いてきた俺はようやく彼女を見ることが出来た。
「あっもうこんな時間!ごめんね私先帰るねっ!」
慌てた様子で彼女は振り返り出口へと向かう。その去り際に……
「気持ちよかったよ」
と一言残して見えなくなる影。俺はしばらく喋る事も動く事も出来なかった。
おかしい……頭がおかしい……
俺はノーマルだ、決してあの香りに興奮したわけじゃない……
そうだ……彼女の香りが悪いんだ……この気持ちもきっとそれのせい。決して新しい扉を、門を開いたわけではない。
だからあの香りはいい香りではない……あれは……あれは……
「……くせえよ」
ようやく開いた口からはそんな言葉しか出なかった。
これが、これからの高校生活を斜め下へと進める最初の出来事だった。
性的欲求にまみれた変態は俺の心をかき乱し、別の色に染め始めていた。
トイレに染み込まれたアンモニアも感じなくなるほど、俺の中には朝田さんの香りが色濃残っていた。
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