第三十二話 葛藤
ベッドに入ってからもなかなか眠れない。
僕はどうすればいいんだろう。
(本当に
誰かをだましてまでするなんて……。
僕は自分のためだけじゃなく、ミキの境遇に共感したから交換殺人をやろうと決心したのに。
割り切れないやりきれなさが胸から離れない。
結局、ミキのことは何もわからなかった。あのメッセージの送り主も誰だか分からない。
顔が見えないネット空間で僕は迷子になってしまった。
もう何もかも放り出して現実の世界に戻りたい。
佐々部長が生きていようが、支店長になろうが、もうどうだっていいじゃないか。
僕は僕のやりたいことを考えればいい。
でも、僕が人を殺そうとしたことを知っている人間がどこかで生きている。
もしバラされたら……そう思うとこのゲームから抜け出せない。
頭の中は堂々巡りで、一睡もできないまま朝を迎えた。
はれぼったい
歩いていても、電車の中でも、いくら考えても答えは出ない。
「どうした、そんな顔して。徹夜でもしたのか」
モニターに向かってキーボードを打っていると水野が後ろから声を掛けてきた。今日は佐々部長が休みなので社内の空気もゆるい。
それにしても、相変わらずヤツにはバレバレだな。
「うん、まぁ、そんなところ」
「あの通り魔のことで眠れなかったとか。とうとう殺人事件になったからなぁ」
えっ、そうなの⁉ 昨日はニュースも全然チェックしなかったけど、また通り魔が出たのか……。
寝不足の理由を正直に言うことは出来ないし、ここは水野の勘違いに乗っかっておこう。
「
「うん、二駅となり」
「ニュースで見たときに電話しようかと思ったんだけどさ。事件が起きたときは七時過ぎだっていうし、山瀬が帰るころには警察も警戒しているだろうから俺が連絡してもウザいかな、って」
最後は照れくさそうな顔をしていた。そんな遠慮することないのに。
「心配してくれてありがとう。でも怖いよね、こういうことが近くで続くと」
「最初の事件は服を切っただけだったんだろ? 段々エスカレートしてとうとう殺してしまって。マジにヤバイと思うよ。警察もだらしないよな、これだけ被害が続いているのにさ」
「早く捕まるといいな」
「しばらくの間は帰りに気をつけろよ」
この事件が起きるのは真夜中というわけじゃなく、夜とはいえむしろ早い時間帯ばかりなのに目撃者はいないのかな。裏通りで人の少ないタイミングを狙っているのかもしれないけれど。
水野の言うとおり、帰り道は気をつけないと。
明日は休みを取っているので、今夜はきりの良いところまでやってから帰ることにした。
会社近くのコンビニでカルボナーラを買い、食べ終えてからもう一仕事。週明けの火曜日に佐々部長が打合せに行くための資料を作り、プリントアウトして部長席に置いて会社を出た。
更井駅の跨線橋を渡り、改札を出て今日もネットカフェへと向かう。まだ迷いはあるけれど『ブラックエンジェル』で昨日チェックした五人について、一応チェックしておきたい。
入店を知らせるチャイム音とともに中へ入るとカウンターには誰もいない。と思ったら、通路の奥から店長の新井さんが現れた。いつものヘッドホンは外して手にバケツと雑巾を持っている。
「ごめんね、ちょっとドリンクバーの掃除をしていたから」
そう言うと、カウンターへ入り受付作業を始めた。
「また通り魔が出ましたね」
キーボードに入力している店長さんへ声を掛ける。
「とうとう殺人になったからなぁ。この近くに住んでいるのかもしれないし、山瀬さんも帰りは気をつけて」
「ありがとうございます」
店長が掃除したばかりのドリンクコーナーでカルピスソーダをコップに入れた。
昨日のメモを見ながらアドレスを入力して、闇サイト『ブラックエンジェル』にアクセスする。
掲示板へ移動すると、やはり個人情報を掲げている書き込みが目立つ。
僕みたいに上司をあげている人もいれば同僚や元恋人だったり、友人に裏切られた、なんて話もある。
スレ主の中にミキという名前もあった。同じ名前なので、つい目で拾ってしまう。この人も会社の上司への不平、不満を書き並べていた。
メモに残していたハンドルネームのうち、三人は今日も書き込みをしている。
みぞれという人は元恋人からつき合っていたときの写真をネタにゆすられているらしい。
tamakiは上司からのパワハラ。先月、仲の良かった同僚がパワハラを苦にして自殺したと書いてある。
もう一人、ケントは結婚を望んできたので邪魔になった不倫相手を殺したいようだ。
第一候補はtamakiか。僕の話にも共感してくれるだろう。
ケントは無しだな。誰よりも交換殺人の話に乗ってくるかもしれないけれど。
ここまでチェックしておきながら、次のステップへ進むことにまだ迷っている。
いっそのこと、今度こそ僕も人を殺せばいいのではなどと馬鹿げたことさえ考えながら店を後にした。
人影や路地を通るときに注意しながらワンルームマンションまでたどり着いた。
エントランスに入り郵便受けをのぞくと、数枚のチラシと一緒に見覚えのある茶色い封筒があった。
この前と同じように、住所と僕の名前が印字されたシールが貼られている。
背筋に軽い震えが走った。
部屋に入り着替えももどかしく封を開ける。
取り出した紙には前回と同じように「ツギハ オマエノバンダ」と直線的なカタカナが書かれていた。
警察はもちろん、僕が誰にも相談できないことを分かっていてこんな手書きのメッセージを送りつけてきているのだろう。
具体的なことは何も書かず、精神的に追い詰めることを狙っているのか。
(もう僕は次のパートナーを探し始めて――)
そう。僕は迷いつつも、新しいパートナーを探す準備は始めている。
もう僕の番として行動しているのに。
でも、それをどうやって知るつもりだったんだ? この送り主は。
分かるはずがないじゃないか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます