第三十五話 無常
人が死ぬのって、あっけない。
ついさっきまで話していたのに、あっという間に動かなくなる。
臼井老人も佐々部長もそうだった。
*
事故現場にはすぐに救急車とパトカーがやってきた。
救急隊員が二人、佐々部長をはさんで向き合うようにしゃがみ込んでいる。もう死んでいると素人の僕でもわかるくらいなのに、いったい何をするんだろう。
トラックを運転していた白髪交じりのおじさんは怒ったように警察官へ説明をしている。
自転車で駆け付けた二人の警察官が横断歩道の前で立ちすくんでいる僕に近づいてきた。
「被害者の方はあなたのお知り合いですか?」
(あぁそうか。目撃者なんだから状況を説明しないといけないんだな)
妄想の中で起きていることのように、なんだか頭がぼぉッとしている。
「はい。会社の上司です」
「被害者の方のお名前と、差し支えなければ会社名と連絡先を教えて頂けますか」
僕は聞かれるままに部長の名前と会社名、電話番号を答えた。
「被疑者の方が転ぶように道路へ出てきた、という証言があるのですが間違いありませんか?」
黙って話を聞いていた年配の警察官が今度は質問してきた。
何か言い方にとげがある。僕が突き飛ばしたとでも疑ってるのか。
「部長は松葉杖を滑らせて転んだんです。僕は突き飛ばしてなんかいません!」
「ええ、わかってます。運転手も被害者が転んだみたいだと言っていますから」
マズい。先走ってやぶ蛇になってしまったかもしれない。
その後も警察官は交互に質問を重ね、近くの会社へ打合せに来たこと、部長は数日前に歩道橋から転んで落ちて左足を骨折していたこと、滑ったときに部長は態勢を立て直そうとしたけれどつんのめるように頭から道路へ倒れて行ったことを伝えた。
話をしているあいだに救急車はサイレンを鳴らしながら去っていった。部長が倒れていたところでは鑑識の人がメジャーを持って何かを測っている。
ひと通り警察への話も終わって、ようやく会社に連絡することができた。
「はい、よつばエステートです」
この声は小島さんだな……。
「山瀬です。支店長に変わってください……はい、至急の要件です」
こういう時はなんて報告すればいいんだろう。
考えることを止めてしまったまま会社へ戻ると、何だか大騒ぎになっていた。当然なんだろうけれど、そうなることすら予想も出来ないほど身も心も疲れていた。
「おい、大丈夫か? 顔色、悪いぞ。こんなことがあったから仕方ないとは思うけれど……」
すぐに水野が席まで来て心配してくれた。
僕からの連絡のあとに警察からも連絡があって、その後は社内もわちゃわちゃしてしまい仕事にならなかったらしい。
あんなにも憎んで嫌っていた人なのに、殺してほしいとまで願っていた人なのに、いざ死んでしまうと、それも僕の目の前でいきなり命を落とすなんて。
もちろん悲しくなんかない。
でもうれしいわけじゃない。
僕自身では何もしていないけれど二人の死に関わったことは間違いない。
臼井老人のことはこの手で殺そうと計画を練った。
佐々部長だって、あのときにもっと早く僕が注意するように声をかけていれば事故は起きなかっただろう。
これでよかったのか……。
定時を過ぎても社内は慌ただしいままだった。
仕事の打合せで外出した先での事故だから労災になるとか、こちらへ向かっている部長のご家族と葬儀の打合せをしなければいけないとか、部長が担当していた業務の引継ぎや先方への連絡とか、あちこちで話の輪が出来ているのにどこにも入れない。
支店長から「今夜は帰って、ゆっくり休みなさい」と言われて会社を出た。
どこかへ寄る気にはなれず、更井駅からまっすぐ家へと向かう。
途中でパトカーとすれ違った。例の通り魔を警戒中なのかのろのろと動いている。
マンションに着き、エントランスで郵便受けをあけて溜まっていたチラシを取り出した。それを一つずつ眺めながら部屋の前まで来たとき、足が止まった。
「うそでしょ……」
各住戸の玄関ドアには新聞受けがついている。普段は使っていないそこに見覚えのある封筒が差し込まれていた。
いまこのときも誰かに見られているような気がして、思わず辺りを見回した。
封筒を手に取ると封もしていないし、宛名のラベルも貼られていない。
中から取り出した紙には、また「ツギハ オマエノバンダ」という文字が書かれている。
まだ終わってはいなかった。
ふと、昼間に佐々部長から言われて胸に引っ掛かっていたことを思い出した。
異動を内示された藤崎君の次は、僕が同じように異動させられるという意味だった。
このメッセージが同じ意図なら……。
そうか!
僕はいま来たばかりの道をネットカフェへ向かって駆け出した。
封筒は宛名もなく、封もしないまま新聞受けに挟まっていた。
メッセージの送り主が僕の家まで来たんだ。
もうぐずぐずと迷っている時間はない。休む間もなく走る。
金井さんを問いただす必要もなくなった。彼女は総務、勤務時間中に外出することはないから僕の家まで来ることなんて出来やしない。
そうなるとやはりミキだ。
部長と同じ意図でこの言葉を使ったのなら「殺された臼井老人の次は僕が殺される」ということになる。
ミキにとっては、どうせ誰かを殺すなら自分と関係のない佐々部長ではなく、臼井老人の殺害計画を知っている僕を殺せば口封じにもなって一石二鳥というわけか。
わざわざ殺害予告をして精神的にも追い込むつもりなのかもしれないけれど、そうはいかない。
とにかく彼女を探し出さなきゃ。
店の階段を上るころにはさすがに息が切れていた。
「あ、いらっしゃい。どうしたの、そんなに慌てて」
たまたま入口の方に顔を向けていた店長がすぐに気づいた。
大きなヘッドホンを外して首に掛ける。
「店長さんはパソコンにも詳しいですよね」
会員カードを差し出しながら、力を借りれないかと思って聞いてみた。
「設定とかハードのトラブルには強いけれど。何?」
「いや、何か困ったら教えてもらおうかなと思って」
「いつでも言って。俺で出来ることなら、手を貸すよ」
この感じだと、ハッキングなんかはお願いできそうにもないな。
仕方ない。そうなると手掛かりはあの闇サイトだ。
ダメもとで、この前と同じように「ミキを知っている人」というタイトルでチャットルームを作った。掲示板にも「ミキというハンドルネームの人を探しています。情報があれば教えて下さい」と書き込んだ。
待っているあいだに臼井老人のことも調べなおしてみる。だけど出てくるのはお爺さんが会長をしていたという光仁不動産のことばかり。ミキにつながる手がかりはない。
二時間ほどのあいだに掲示板への書き込みが三件、いずれも名前が同じ別人の情報だった。
やはり僕ひとりではミキへたどり着けないのかもしれない。
何か理由を考えて藤崎君に協力してもらうよう頼んでみようか。
そう思っていたときにチャットルームへの入室を知らせるチャイムが鳴った。
あわてて画面を切り替える。
入室者の名前はミキと表示されていた。
まさか……。
あわててキーを打ち込む。
「ミキ本人なの?」
あいさつなど交わす余裕もない。
『そうだよ』
「どうして連絡をくれなかったの」
『それはこっちのセリフだよ』
「どういうこと?」
『とぼけるなよ。カオルは何もしていないじゃないか』
おたがいに間をおかず文字列を打ち込んでいたのが、ここで僕の手が止まった。
どうして知ってるんだ?
さらにミキが続けて書き込んできた。
『会って話がしたい』
「僕も聞きたいことがある」
会うのは危険かもしれない。でも、会ってはっきりさせなければいつまでたっても終わらない。
『明日の夜九時に、ふじみ台のあの神社で』
明日は水曜日。臼井老人を殺そうとしていたのが水曜の九時。これは偶然に決めたわけじゃなさそうだ。
「分かった」
短い答えを確認したのか、何も反応せず彼女は退室していった。
明日の夜、すべてが分かる。
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