第二十二話 周到
すぐにチャットルームへ入り、一覧に並んだ『部屋』を確認しながらスクロールしていく。部屋主にミキと表示された「話の続き」というタイトルが一番下にあった。
(もう来てたのか)
チーズデニッシュの最後の一口を野菜ジュースで流し込んでから入室ボタンをクリックした。
「こんばんは。早かったね」
『そうでもないよ。さっき来たばかりだから』
「何か進展はあった?」
おとといの水曜日、神社まで行ったのに実行できなかったことを切り出せなくて、ミキの様子をうかがってみた。
『やっぱり酔って帰るところを突き落とすのがいいかな、と思ってる』
「どこで?」
『駅のホームとも思ったんだけれど、最近は監視カメラがあるじゃない? 突き落とすところが映ってるとマズいし』
「確かに」
『部長さんの住んでいるマンションの近くに歩道橋があるの。通り道にもなっているし、そこから突き落とすのが一番よさそうなんだけれど、呑んだ後はタクシーでマンションの前まで帰ってくることもあるみたいだから悩み中』
ずいぶんと詳しく調べてあるんだな。
でも歩道橋かぁ。階段から落とすのは僕と同じ方法だけれど、あの神社の石段みたいに急こう配なイメージはないし、段数はそれほど多くないはず。
せいぜい転んでけがをする程度で終わりそうだけれど。
「それってうまくいくの?」
『頭から転がり落とす、いい方法があるの』
モニターの向こうでミキがニヤリと笑った気がした。
『深夜に若い女の子が落とし物を探しているのを見かけると、酔った男の人は一緒になって探してくれるのよ。とくに、部長さんみたいなタイプの自信過剰な男は必ず声を掛けてくるわ』
どういうことか意味が分からずにキーボードを打つ手が止まった。
ミキは話を続ける。
『イヤリングを落としちゃったんです、って答えれば絶対に探してくれる。あの歩道橋で落としたのかもぉ、なんて困ったふりをすればわざわざ上ってきてくれるんだから』
『足元を見て探しながら、反対側の階段にあらかじめ落としておいたイヤリングまで誘うのよ。そうしたらどうなると思う?』
なんとなく先が見えてきた。
「見つけて拾おうとしてくれる……」
『そう。あ、それですぅ、なんて可愛く言えば絶対に拾おうとしてくれるから。そこを後ろから押せば簡単に頭から転がり落ちていくわ』
ただ歩いているところを突き落とすよりも簡単で確実だとは思う。でも――。
「そんなにうまくいくかなぁ」
『大丈夫。やったことがあるし』
えっ。
さらっと怖いことを書いてきた。
「マジ?」
『実はね、前にも交換殺人をやろうとしたことがあったの』
今回は二度目、ってこと? 噓でしょ。
信じられないようなミキの話はこうだった。
別の闇サイトで知り合った女性から、交換殺人を持ち掛けられたらしい。
その女性はある男に乱暴されて、そのときに撮られた写真や動画をネタに性的関係を強要されていたそうだ。
自分と似た境遇でもあり、ミキは交換殺人に同意した。
相手の男が酔って帰るときに歩道橋から突き落とし、自らが目撃者として通報したそうだ。
「それでどうなったの?」
『なーんにも。警察から色々疑われるかもと思って、答えを何パターンも用意していたのにあっさりと事故扱いで拍子抜けしちゃった』
その相手とは面識がなかったことが大きな理由だったのかもしれない。
でも、お爺さんがまだ生きているということは――。
『私が男を殺したのに、彼女の方は怖くなったのかどこかへ消えちゃった』
「急に連絡が取れなくなったとか?」
『そう。もちろん一度も会ったことがないし、名前さえも聞いていなかったからね』
自分が憎んだ相手がこの世から消えてしまえば、わざわざリスクを冒してまで見知らぬ人を殺すなんてしたくない。その気持ちは十分すぎるほどわかる。
でもそれってズルいというか、自分さえよければいいのかって自身を責めてしまいそう。
『だからね。カオルさんには逃げられないようにと思って』
え、どういうこと?
『今までのチャットもスクショで記録してあるんだ』
ログは残らないからって安心してたけれど、そうだよな、その方法があった。
『それとIDも調べてあるよ。kaoru0124でしょ。名前もたぶん特定できると思う。部長さんの会社も分かっているから、そこでパワハラを受けている人はすぐ見つけられるよ』
さらっと書かれた文章を見て、背筋に冷たいものが走った。
初めてミキと話したとき、いきなり交換殺人の話を持ちだしてくるなんて、ただのヤバい奴かもしれないと感じたのは間違っていなかったみたいだ。
やっぱり佐々部長からたどって僕のことを調べるつもりだったのか。うかつだった。できるだけ個人を特定されないように、わざわざネットカフェを使っていたのにIDまでバレていたなんて。
『安心して。念のための保険みたいなもんだから』
返信をしなくなってしまった僕に気づいた彼女がフォローを入れてくる。
『私とカオルさんの関係が知られてしまったら、交換殺人のメリットがなくなっちゃうもの。このスクショを第三者が見たら、私がカオルさんに殺人を依頼したことが分かってしまうし。だから二人だけの秘密。ほかの人に教えることなんて絶対にないわ』
たしかにミキの言う通り。
このやり取りが明らかになってしまったら僕だけじゃなく、彼女だってお終いだ。そこまでのリスクを負ってでもやり遂げたいということか。
これが二度目なら無理もない。
『ただ必ず実行して欲しいだけ』
そう、僕はもう彼女から逃げられない。
ミキが僕のことを特定しているからには、やるしかないんだ。
「わかったよ。僕は逃げない。お互いのために必ずやるよ」
『そうだよ。これで二人が自由になるんだもん』
「早い方が良いよね」
もう今となっては、おとといの失敗のことは話せない。彼女には秘密にしたまま、この決心が鈍らないうちに早く終わらせる。
『それじゃ、期限を一ヶ月にしようよ。四回チャンスがあればイケるっしょ』
ずいぶんと軽いなぁ、彼女は。
ミキは簡単に成功させた経験があるからそんな風に言えるんだろうけれど、簡単にはいかないことを僕は知っている。
『カオルさんが先に、っていうのは変えないからね』
「わかった」
忘れかけていた大きな重圧を念押しされてしまった。
それでも僕は同意した。自分自身へ言い聞かせるように。
「次は、いつ会う?」
『念のため、しばらく会わないようにしようよ。とりあえず一か月後に』
「ちょっと不安だな」
正直な気持ちを伝えた。
『それじゃ、急ぎの相談があれば二週間後の金曜日に部屋を立てることにしようよ。部屋が立ってなければそのままコンタクトは取らずにスルー。それでいい?』
「オッケー」
『メモの処分も忘れずにね』
「そうだね。忘れないようにする」
こうして最後の相談を終えて僕たちはログアウトした。
お互いに安らかな日が訪れることを信じて。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます