第九話 休日

 スマホのアラームが鳴る前にいつも目が覚めてしまう。それは今日みたいな休みの日でも同じ。手を伸ばしてスマホの時刻を確かめるとまだ六時半にもなっていない。

 セットしていたアラームを解除してから、もう一度布団にもぐりこんだ。


 二度寝から覚めるとカーテンの隙間から柔らかな光が射し込み、掛け布団の上に白く細い線を作っている。


(よかった。今日は天気がいいみたいだ)


 起き上がってベッドに腰掛け、スマホを見ると八時になろうとしていた。

 両手を思いっきり上に伸ばしてから立ち上がる。

 うがいをして顔を洗って、冷蔵庫から牛乳を取り出した。食パンが焼けるまでに昨日の夜にゆでておいた卵の殻をむく。

 ソーセージでも焼こうかなと思ったけれど面倒でやめた。ワンルームマンションのキッチンってどうして電気式の一口コンロばかりなんだろう。これって火力もイマイチだし、料理をする意欲をぐからなぁ。


 うっすらときつね色に焼けたトーストへ切ったゆで卵をのせ、マヨネーズをかけて半分に折って食べる。おいしい。

 そうだ、とパンをお皿においてブラックペッパーをとってきた。パンを開いて粗挽きのブラックペッパーを少々……さらにおいしい。


 お腹もふくれて落ち着いたところで、手を伸ばして小さな本棚から分厚い建築雑誌を取り出した。付箋をつけたページを開くと、仙北せんぼく市のふじみ台に建てられたオフィスビルの新築写真が掲載されている。ここからは一時間ほど、今日の休日はこの建物を見に行くのを楽しみにしていた。

 もともと建物を見て歩くのが好きでこの会社を選んだ。不動産を扱うから色々な建物に触れることが出来て楽しかったのに、あの男が――いけない、休みの日くらいは嫌なことを忘れよう。


 シャワーを浴びてから着替えて部屋を出た。管理人さんは館内の清掃をしているのか、管理室には姿がない。

 ここ数日はどんよりとした曇り空ばかり見ていたけれど、僕の休日に合わせてくれたのか気持ちのいいほど澄んだ秋晴れ。足取りも軽くなる。

 いつものコンビニへ寄るとレジにはもちろんズンさんの姿はなく、店長さんらしきおじさんがいた。ペットボトルのジャスミン茶を買い、駅へと向かった。


 お目当てのオフィスビルの前にもう一カ所見たいところがあって、電車を途中で降りた。県の西部、山間やまあい二森にもり町を目指してバスに乗る。

 コンクリート造りのビルが少しずつ減り、戸建ての家々も少なくなるとその代わりに畑が増えていく。平日の昼前とあって人通りも少ない街道沿いでバスを降りた。

 次のバスの時刻を確認してから通りに沿って歩き出す。

 三分ほど進むと小さな青い看板があり、そこを左に曲がるとすぐに目指す建物が目に入った。開けた丘のふちにあり、鋭い三角屋根の頂には十字架が掲げられている。


「思っていた以上に小さいんだな」


 観光地でもない場所に建つ県内最古の木造教会。一度これを見てみたかった。

 あらわになった柱は茶色に、壁は白い下見板張りで仕上げられていてコントラストがきれい。濃緑色の屋根はスレートかな。重厚感がある。

 これが百年以上も経っているなんて。手入れも行き届いていて、大切に使われているのが分かる。

 聖堂の中へも入ってみた。正面には何人かたたずむ絵が色彩豊かに描かれていた。キリスト教のことは全く分からないけれど、どこの聖堂にもふしぎと厳粛な空気が漂っている。

 帰ろうと振り返ったとき、壁に貼られていた一枚の紙に目が留まった。


『人をうらまずにゆるしなさい』


 思わず声をあげてしまいそうなほど驚いた。

 まるで僕に投げかけられた言葉のよう。たくさんの人が同じように悩んでいるということなのか。

 

「でも、それが出来たら誰だって苦しまずに済むんだけれど」


 そっとつぶやいて、誰もいない教会を後にした。


 再びバスに揺られ、ふじみ台駅に着いたころには十二時を過ぎていた。

 駅前にあった中華屋さんの赤い暖簾をくぐってカウンターに座る。壁に貼ってあるメニューを見て塩ラーメンを注文した。流行りのこってり系でも魚介系でもなく、昔ながらのといった味わいがあるスープにたまご麺。これはこれで美味しい。

 食べ終えてから、スマホで地図を確認する。ここからなら五分もかからないだろう。


「あれだ!」


 遠目にも周りとは一線を画すデザインの建物が見えてきた。通称「木のビル」と呼ばれているだけある。

 二階から三階が木製の縦ルーバーでおおわれているだけでなく、四階から上の柱や梁は鉄骨の外側に集成材をかぶせた「木質ハイブリッド構造」を採用しているそうだ。集成材が鉄骨への耐火の役目を持つらしい。

 木は燃えると炭化して断熱層を作り、内部への燃焼を食い止めるという性質を応用した技術。その柱もここから目にすることが出来る。

 初めて雑誌で知ったときは「こんなことが可能になったんだ」と驚き、それが見に行ける距離の地に建つことを知って舞い上がった。


 オープン間もないこともあって多くの人が写真を撮っている。

 僕も近づきながら何度もスマホを構えた。

 ガラス張りになった一階はモノトーンの内装でまとめたお洒落なイタリアンレストランになっていた。


「せっかくだからここで食べればよかったなぁ」


 後悔先に立たず。また今度、食べに来てみよう。



 昨日は僕の唯一の趣味である建築巡礼をたっぷりと楽しんだおかげで、一日中気分よく過ごせた。目覚めもいい。

 教会と「木のビル」は早速プリントアウトして枕元のコルクボードに貼ってみた。なかなかよく撮れている。引き延ばして額に入れたらインテリアとしても良いかもしれない。


 足取りも軽く部屋を出たはずなのに駅へと近づくにつれ体が重くなっていく。

 顔の見えない人たちの流れに合わせて、自動改札が目覚ましアラームのような乾いた音を鳴らしている。

 混雑した車内で揺られる度に僕は憂鬱ゆううつな日常へと引き戻されていった。


「おはようございます」


 誰にともなく声を掛けて席へ座る。

 休み明けの日は、まず最初に連絡メモをチェックする。何かあればパソコンのモニターに十センチ角の付箋紙を貼るのが賃貸部ここのルール。

 三枚の付箋紙が貼られていたけれど、どれも急ぎの要件ではないらしい。

 パソコンを立ち上げてメールの確認をしていたら水野がやって来た。

 眉間に軽くしわを寄せて、何やら浮かない顔をしている。


「おはよう」

「あぁ、おはよう。どうしたの?」

「うーん、ちょっとな。お前に話があるんだけどさ、今日の夜は予定あるのか?」


 いつもの水野らしくない。明るく快活、といった話っぷりなのに、今は声を潜めてはっきりしない物言いだし。


「いや、ないけど。なに、話って」

「ここじゃあれだから。飲みに行って話すよ。藤崎も誘うから。いいだろ?」

「まぁ別に構わないよ」

「じゃ、今夜な」


 藤崎君も飲みに誘っての話なんて。

 悪い予感しかない。

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