好きすぎて…

平中なごん

好きすぎて…(※一話完結)

「――別れよう」


 静かで他人の干渉をあまり受けない馴染みの隠れ家的喫茶店に彼女を呼び出した俺は、開口一番、ストレートに本題を告げた。


「ええっ!? どうして!? どうして別れなくちゃいけないの!? あたし、こんなにあなたのこと大好きなのに!」


 対して彼女はそんな話をされるとは露ほども思っていなかったらしく、ひどく驚いた様子で俺にその理由を激しく問い質す。


「そこなんだよ……別れなきゃいけない理由は、君が俺のことを好きすぎる・・・・・からだ」


 そう……俺が彼女との別離を考えた理由はまさにそこにある……。


 彼女の容姿はどの角度から見てもとても美しく、ミスコンに出てもおしくないくらいの超絶的な美人さんである。


 その上、頭もよく、性格も明るく社交的で話し上手、聞き上手だ。


 そうした点では非の打ちどころのない女性だといっていい。


 比べて大した取り柄もない俺なんかにはもったいないくらいだと、デートで並んで歩く度に思っていた。


 …………だが、彼女は俺のことを好きすぎるのだ。


 いや、そう聞くと「重すぎるから」だとか、「ストーカーの気があるから」だとか思うかもしれないが、そういうことではない。


「そんなのおかしいよ! どうして好きじゃいけないの!? 好きだからこそ一緒にいたいと思うんじゃない!」


 まあ、その言葉を字面通りにとれば、至極ごもっともなことを言っているのではあるが……。


「ハァ……それじゃ、俺の好きなところを言ってみて」


 納得がいかず、俺の論理に異を唱えて反論する彼女に、大きな溜息を一つ吐いてから尋ねた。


「あなたの目が好き! その鼻も唇も耳も。それから肩も胸板もお腹もお尻も脚も、ぜーんぶ好き!」


 すると、彼女は考える間もなく、円らな瞳をキラキラと輝かせながら俺の好きな所を次々に列挙する。


「じゃ、なんで好きなの?」


「おいしそうだから!」


 しかし、〝好き〟であるその理由を重ねて尋ねると、いつものながらになんだかおかしなことを弾んだ声で言い出した。


「大好きで、おいしそうだとどうしたい?」


「もちろん食べたい!」


 そして、さらなる質問には堪らず口から涎を垂らし、思わず舌なめずりなんかまでしている。


「ハァ……だからだよ。俺だって、まだ食い殺されたくなんかないんだよお……」


 すでに食欲を抑えきれなくなっている彼女を前にして、俺は再び大きな溜息を吐くと、両手で頭を抱えて泣きそうな声で嘆く。


 そうなのだ。一見、非の打ちどころのないように見える彼女にも一つだけ大きな問題があった……。


 彼女には〝食人趣味〟があったのである!


 それは、その……オトナな男女の営みをしている最中に、大事な部分も含めて何度となく喰われそうになっていい加減気がついた。


 最初はそういう〝噛みつく〟性癖の持ち主なのかとも思ったがそうじゃない。甘噛みどころか充分、歯が食い込むくらいに強く噛みついて、出血するとその血をおいしそうにペロペロ舐めるのだ!


 最早そこにベッドの上で愛をはぐくむ男女の関係性はなく、むしろ、巣の中でこれから喰い殺されようとしている草食動物と肉食獣の間柄である。


 けしてイイ男でもない俺とつきあい始めたのも、最初からその欲望ゆえのことだったように今では思う。


「ま、そういうわけなんで、これでさよならだ。その〝ハムカツサンド・パン抜き〟は最後に俺のおごりだ。今度は食欲からじゃなく、純粋に好きな人のできることを祈ってるよ」


 言うべきことは伝えたので、うっかり喰い殺される前にと俺は卓上の注文票を手に取って早々に席を立とうとする。


「待って! お願いだから別れるなんて言わないで! あたしにはあなたが必要なの!」


 だが、彼女は俺のシャツの裾を鷲掴みにすると、涙目になって必死に俺を引き留めようとする。


「その〝必要〟ってのは、食料としてってことだろう?」


「そ、そんなこと……ない……わよ……」


 いや、嘘だ! 振り返りざまにした今の俺の質問に、彼女は目を逸らして明らかに本心を偽ろうとしている。


「な? だから俺達はもう無理なんだよ。このまま一緒にいれば、きっと俺は君の胃袋の中に納まって、君は猟奇殺人犯としてムショ行きだ。これはけして俺のためだけじゃない。俺と君、二人のためなんだ」


 いまだ裾を離そうとしない彼女に、俺は微笑みを浮かべると努めて穏やかな口調で、幼子を諭すようにそう言い聞かせる。


「なら約束する! もう噛んだり、血を吸ったりしないから! 食べたくなっちゃってもただそのパリパリ触感がおいしそうな皮膚を舐めるだけにするから! だからお願い! そんな別れるだなんて言わないで!」


 しかし、彼女は溜まった涙を両の目から溢れさせ、今度は俺の腕にしがみついてなおいっそう大きな声で駄々を捏ねる。


 ……いや、食べられないとしてもそれはそれで嫌だしね……それに、いつそのままガブリ! とされかねない寸止めの恐怖なんてもっとまっぴらごめんだ!


「いいや。どんなに頼まれても俺の心は変わらない。もう、決めたことなんだ。頼むからわかってくれ。俺なんかよりイイ男は世の中いっぱいいる。もっと君にぴったりな相手がきっと見つかるはずさ……あ、いや、そいつも食べちゃだめだけどね……」


「……グスン……わかった……そんなに言うんなら、あなたのことは諦める……」


 それでも、しがみつく彼女の白く可憐な手を握り返し、熱っぽく潤んだ瞳を見つめながら懸命に説得を試みる俺に、ついに頑なだった彼女もわかってくれたようだ。


「……グスン……だから……グスン……最後に一つだけ……あたしのお願い聞いてくれる?」


 溢れ出す大粒の涙を手の甲で拭いながら、無垢な少女のように必死で嗚咽を堪えるその姿に、俺ははからずもカワイイと思ってしまった。


 確かに何度も喰われそうになって、今や恐怖の対象以外の何ものでもないのだけれど、最初は俺だって好きだからつきあい始めた相手だ。


 その〝食人趣味〟さえなければ、なにも好き好んで別れようだなんて俺も思わなかっただろう。


 別れ話を切り出しておいて、こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、今でも彼女を憎からず思う気持ちは俺の中にあるのだ。


 ……ダメだ。こんな姿を見せられては決心が揺らぐ……でも、ずっと前から長い時間考えて、考え抜いた末に決めたことなんだ。


 悩んだ末に出した答えを、そんな一時の感情で簡単に覆すことはできない……最後に一つだけ、彼女のワガママに付き合ってやって、それできっぱりサヨナラをしよう。


「ああ、わかった……これが最後に聞いてやれるお願いだしな。だから、もうそんなに泣くなって」


 泣きじゃくる彼女の頭をポンポンと軽く叩きながら、俺はありったけの微笑みを湛えて、そう、優しく声をかけてやる。


 すると、彼女は涙でくしゃくしゃになった顔を上げて、上目遣いに鼻をすすりながら、おねだりするように俺に告げる。


「……グスン……それじゃあぁ……小指の先っちょだけでいいから、ちょっとだけ食べさせてくれる?」


「断固、拒否します……」


 俺は、やっぱり別れる決心をして正解だと思った……。


                           (好きすぎて… 了)

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好きすぎて… 平中なごん @HiranakaNagon

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