第4話

 ケンタッキーで会計事務所を経営している辻健一がマンハッタンのホテルにチェックインした。その夜の辻はウォールストリートに近いイタリアンで田崎と夕食を共にすることにしていた。

 翌日に田崎のオフィスを訪れてあるM&Aの件で辻の意見を伝えることになっている。田崎はそれまでにも第三者の会計士の意見を必要とする際には辻に依頼することにしていた。

 早めにホテルを出た辻は、途中で商社のニューヨーク事務所に立ち寄った。商社に同年入社で鉄鋼部門に配属された村上勉が、米国法人の執行副社長に最近着任したことを報じる新聞記事を目にしていたからだ。

 秘書に目的を告げると、会議中の村上を呼び出してくれた。

 「村上、おめでとう。ひと言お祝いをいいたくて寄ったんだ。執行副社長とは大役だな」

 「辻、わざわざ、ありがとう。わが社も多くの優秀な人材を放出してしまい台所は火の車なんだ。それで俺にお鉢が回ってきたという次第だ。ところで、よいところに来た。実は会議室に同期の中畑がいるんだ」

 「あのシカゴ支店に駐在していた中畑和彦か?」

 「そうだ。奥さんといっしょだ」といって辻を会議室に案内した。

 辻の顔をみるなり中畑が、「いやー、久しぶりだな」と手を差し出す。

 辻が中畑夫人のサラに、「サラさん、お久しぶり。シカゴのお宅にお邪魔して以来ですね」

 村上が、「中畑のトラック会社と需要家を結ぶ事業がインターネットの普及で拡大してね。トヨタのカンバン方式が自動車業界だけでなく他の製造業でも在庫削減の妙案として採用され、どこも工場は数時間分の部品しか組立てラインの傍に置いていない。だから品質問題や欠品が発生すると、ラインを止めないために小口の緊急便を手配しなければならない。部品メーカーの頭痛の種だが、カンバン方式の盲点を見抜いた中畑の着眼がよかったからだ。それに奥さんがソフトの開発に加わっていて見事なプラットフォームが投入されている。それで、わが社も資本参加しようと、きょうはそのことで話をしたところなんだ」

 辻が中畑とサラを見つめて、「元社員とその伴侶が最先端のビジネス機会を提供する。このような時代が来るとは、新入社員の時には想像もできなかった。あらたな時代だな」

 中畑が、「サラが開発したインターネットを利用する事業形態が優れたビジネス・モデルだ、と投資銀行も関心を抱いていて、同期の田崎からも問い合わせがあった」

 驚いた辻が、「実は、今夕、その田崎と夕食を共にすることにしている。中畑、サラさんといっしょしないか?」

 「そうか。三人が顔を合わせるのはそれこそ独身寮の風呂場以来だな。今朝の新聞が、田崎が勤めていた電動工具メーカーが財テクで巨額の損失を計上したと報じていた。上場廃止に追い込まれるかもしれないそうだ。あいつは目聡いな。さすがはM&Aのプロだ」

 村上が「実は我が社もその財テクによる損失が心配される事態にあってね。これから国際電話で東京と協議することになっている。どうも本社では財務部門の大規模な人事異動になるようだ。ということで、残念ながら折角の同期会に俺はジョインできないが、田崎によろしく。ところで、長く独身貴族だったその田崎だが、つい最近婚約したそうだぜ」

 辻が、「それは知らなかった。相手はだれだか知っているか?」

 「先週末の日米協会の集りで耳にしたんだが、その電動工具メーカー時代の部下とかで優秀な女性らしい。田崎と相前後してもうひとつの投資銀行に転社したそうだ。日本本社の内情を察知するとは、その女性の目も確かだな。夫婦でM&Aを競い合うそうだ」


 イタリアン・レストランには田崎は女性を伴って現れた。村上が告げた婚約者に違いない。

 「田崎、婚約おめでとう」辻と中畑が迎える。

 「今夜は中畑もいっしょか。サラさんもいる。その節はご馳走になりました」とサラに手を差し出す。

 「ところで、ふたりともに地獄耳だな。どこで我々の婚約を知った?」

 「途中で商社の事務所に立ち寄ってね。執行副社長に着任した村上から耳にしたばかりだ」

 「村上とは、入社の際に鉄鋼輸出部に配属になった村上勉か?」

 「ああ、そうだ。新入社員研修で俺は村上と同じグループだったのでその後も付き合いがあるんだ。君や中畑は別のグループだったし、村上は実家が都内で寮生でもなかったしね」

 「村上が耳にした通りで、こちらが婚約者のロレインだ」と田崎が皆に女性を紹介する。

 「ロレイン、以前にお電話をいただいたロレイン?」

 「サラ、そうよ。その節は貴重な情報をありがとうございました。おかげさまで滞っていた売掛金を一年で一掃できました」 

 辻が田崎と中畑に向かって、「ロレインさんとサラさんがこれまでに接触があったとは奇縁だな。きょうは素晴らしい会になりそうだ。俺がこの夕食を皆さんに供することにする」

 「辻、それはありがとう。商社時代の俺を知る人と会うのだ、とロレインも楽しみにしていた。君だけでなく中畑からも俺の過去が暴露されることになるな」

 田崎が皆に、「それにしても、村上が執行副社長にね。大抜擢だな」

 「村上は謙遜してお鉢が回ってきた、といっていたが、協調性に富み、大きな組織の下で秀でた調整能力を持つあいつのことだ。二、三年で米国法人の社長に、その数年後に日本に帰任すれば専務か副社長は間違いない。その先はひょっとして社長になるかもしれんな」

 「辻、独身寮の風呂場で皆が語った夢を文字通り実現するようなものだな」

 感慨深い中畑に向かって田崎が、「この十数年、我々三人はそれからは随分と懸け離れた環境に身を置いてきた。組織に縛られずに、組織の一員では見ることのない別の世界を体験する。大きな組織の商社にいたからこそ、その醍醐味を味わうことができるともいえるな」


 全員がテーブルに着く。

 「本来はゲストに好みのワインを尋ねるのが礼儀だが、今晩は俺に選ばせてくれるかな?」

 田崎が、「辻、君がワインの大家だったとは知らなかったな」

 「いや、大家ではなく、ひょんなことからワイナリーの女性オーナーと懇意になってね。彼女の自信作を久しぶりの同期会に供したいんだ」

 中畑とサラが意味ありげに頷く。

 歩み寄ったウェイターに辻がテキサス産のワインがあるか、と尋ねる。

 ウェイターが、「このところテキサス産に人気が集っていましてね。雑誌や新聞に紹介されたとかで、お客さんから頻繁にオーダーされます。どのブランドにいたしますか?」

 「ビッグベンド・ワイナリーのピノ・ノワールはあるかね?」

 田崎とロレインが驚いて顔を見合わせる。

 「お客さんは通ですね。完全な有機ワインということもあって引っ張りだこのブランドで、最後のケースを開けたところです。次回は翌年物になるそうで、入荷は数ヶ月先だそうですよ」

 ウェイターが立ち去る。

 「辻、そのピノ・ノワールは美味い。ロレインと先日味わったばかりだ。ケンタッキーの会計士が、テキサスのワイナリーのオーナーと懇意とは、君も隅に置けないね。将来のミセスか?」

 「そうなんだ。いずれ皆さんに紹介するよ」

 サラが辻に、「ケン、そのワイナリーのオーナーとは、アパッチの女性の方でしょう? 主人からその方との神秘的な出遭いのお話を聞いて感動しましたのよ。まるで映画を見るようだわ。素晴らしいご夫婦の出現ね」

 「サラさん、お聞きでしたか。来年には出荷するケースが増える見込みです。それでも大手トラック会社の定期便を利用する量ではないので、ナカハタ・トランスポーテーションのお世話になります。よろしくお願いしますよ」

 「ケン、任せてちょうだい」

 中畑が、「インターネットの威力は凄いね。サラはトラック会社のソフトを改良して、場所や組織に縛られずにネット上で仕事を請負う人と仕事の発注者をつなぐプラットフォームの構築にも手を着けたところなんだ。ギグ経済と呼ぶそうだよ」

 田崎とロレインの目が同時に輝く。投資先を嗅ぎ分ける本能がなせる業であろう。

 


                     完


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続 ブルックリンの女  ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi

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