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2019年6月24日 20:24
なるほど。作品に共感するという力の向きは享受者から作品に対して向いているのに対して、動機付けをぼかして享受者が知らないうちに共感することを握られてしまう。そして、一気に「そりゃそうだよな」ということで引き寄せられる感覚でしょうか。ある意味善意を期待するという感じもなくは無いですが、知らず知らず、解放させられた感じは、ある意味「してやられた」という感覚で落ち着くのでしょうね。いずれにしても、色んな方法があるものですね。
作者からの返信
不快な場所に不快なキャラを配置するというのは当たり前と言えば当たり前ですけど、それ以外の感情についても意識的に使うことによっていろんな応用が開発できそうです。要は享受者が感じているであろうことを主人公が肯定してあげれば主人公の動機付けが強化され、同時に主人公への感情移入が促進されるということですね。
なるほど。
作品に共感するという力の向きは享受者から作品に対して向いているのに対して、動機付けをぼかして享受者が知らないうちに共感することを握られてしまう。
そして、一気に「そりゃそうだよな」ということで引き寄せられる感覚でしょうか。
ある意味善意を期待するという感じもなくは無いですが、知らず知らず、解放させられた感じは、ある意味「してやられた」という感覚で落ち着くのでしょうね。
いずれにしても、色んな方法があるものですね。
作者からの返信
不快な場所に不快なキャラを配置するというのは当たり前と言えば当たり前ですけど、それ以外の感情についても意識的に使うことによっていろんな応用が開発できそうです。要は享受者が感じているであろうことを主人公が肯定してあげれば主人公の動機付けが強化され、同時に主人公への感情移入が促進されるということですね。