第2話 小さな願い

 家に帰り着いた。窓の暗さを目にした雄介は、ほっとした表情を見せる。鍵を開けて堂々と中に入っていった。

 靴を脱いで隅に揃えると、軽い足取りで階段を上がる。短い廊下の途中にある自室に入り、壁のスイッチを押した。念の為にドアを閉めて鍵を掛ける。

「もう、出てきても平気だよ」

 その声に反応して星はパーカーのポケットから飛び出した。

 雄介は背負っていた鞄を下ろして机の横のフックに引っ掛けた。椅子には座らないでベッドに腰掛け、ふわふわと浮いている星を眺めた。

「話の流れで連れてきたけど、これってすごいことだよね」

「ボクにはわからないよ」

 浮かんでいた星はぷるぷると震える。雄介は困ったような笑みを見せた。

「そうだよね。君はやっぱり、見た通りの星なのかな」

「うん、そうだよ。ボクは流れ星で、みんなの夢を叶えにきたんだよ」

 体の輝きが増した。口角が上がって自信に溢れた顔付きになる。雄介は遠慮がちな目で話を続けた。

「泣いていた理由を、聞いてもいいかな。みんなが見てくれないって、言ってたけど」

「……あのね、ボクがね。空を流れても……誰も見てくれないから……それで悲しくなって……」

 星の光が弱まった。花が萎れるように全体が丸くなる。

 雄介は腕を組んだ。やや視線を下げて口にした。

「塾の帰りの夜空に、星は見えなかったよ」

「そんなことないよ! だってボク、がんばって何回も飛んだよ! 空の端からピューンピューンって!」

 星は怒ったような口調で迫ってきた。困ったような表情の雄介が手で押し止める。

「そうなんだと思う。でも、街からは星が見えなかった。君だけじゃなくて、全ての星が見えない状態になっていたんだよ」

「そうなの?」

 星は体全体を傾けた。雄介は思いを伝えるように頷く。

「星が見えない原因は、なんて言ったかな。そうだ、思い出した、光害こうがいだよ」

「それ、なに?」

 星の傾きが大きくなった。雄介は笑って言葉を足した。

「光が原因で自然が壊れるみたいなものかな。動物にも影響があるって。あ、今は関係ないね。えっと、街のたくさんの光が空を照らすから、小さな光の星が見えなくなるんだよ」

「ボクが、どれだけ空を飛んでも、ダメなんだね」

 しょんぼりとした声を受けて雄介の表情が暗くなる。

「……君が夢を叶えたいって思う気持ちは、とてもうれしい。僕も勉強が大変でさ。学校の友達とゆっくり話すヒマもないし。塾の問題は難しくて」

「大変なんだね」

 星は柔らかい光で雄介を照らして聞き役に回った。

「そうだね。大人も大変なんだよ。塾の帰りによく酔っ払いを見るんだけど、みんな何かに怒ってるんだ。両親は共働きで、今も働いているし」

「ボクが、なんとかしないとね!」

「そのためには街の光を、でも方法が……どうやって……」

 暗い気持ちに引き摺り込まれるように言葉がずぶずぶと沈んでいく。

「……そうだよ」

 力の籠った一言を呟いた。不安な要素は消し飛び、雄介はすっくと立ち上がる。瞬く間に壁のスイッチを押して部屋を暗くした。

 宙に浮かんでいた星が唯一の光となった。

「どうしたの?」

「君をみんなに見て貰える方法を思い付いたんだよ」

「本当に!」

 星の輝きで雄介は眩しそうな薄目となった。

「その前に、できるかどうかを聞きたいんだけど」

「いいよ! なんでも聞いてよ!」

「僕の願いを先に叶えて貰いたいんだ。部屋の中で流れ星って、できるかな」

 星は大きく頷き、勢いでくるりと回った。えへへ、と笑って部屋の一方の壁に移動した。

「おまけだよ! ゆっくり飛ぶから、その間にお願いしてね!」

「声に出して三回でいいんだよね」

「長いお願いの時は三回くらいないと、ボクが覚えられないから!」

「そんな理由なんだ」

 雄介は複雑な表情となった。思い直したように星に笑い掛ける。

「始めていいよ。少し長いお願いだけど」

「じゃあ、いくね!」

 星は輝きを増して水平に流れる。

 雄介は早口で挑んだ。繰り返す時に何回か言葉に詰まり、慌てて修正した。星が対面の壁に到達する直前、三回の願い事を言い終えた。

 雄介は心配そうな顔を星に向ける。

「どうかな」

「これでいいよ! みんなのためにボクの友達にも手伝ってもらうね!」

「僕も用意をしないと。その前に」

 雄介は部屋の窓を開けた。星は元気に飛び出していく。一瞬で空の彼方に吸い込まれた。

「黄色いヒトデじゃなくて、本当に星なんだ……」

 空の一点を驚きの表情で眺めた。

 窓を閉めると雄介は机に向かった。引き出しからメモ帳を取り出して一枚を破る。そこにシャープペンシルで文章を綴った。


『忘れ物をしたので取りにいく。すぐに帰るから心配しないで。雄介より』


 見直す間もなく、部屋を飛び出した。一階に駆け降りると目立つ居間のテーブルに書き置きとして残す。

「いってきます」

 小さな声で雄介は家を出た。繁華街に向かう道を全力で走る。抑え切れない感情が笑みとなって浮かんでいた。

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