ありふれた恋の物語

人生依存

ありふれた恋の物語


「坪田さん、余命は5ヶ月です」


 そんな言葉で俺は人生の終わりを意識させられることとなった。

 病名は難しくて覚えられなかった。

 ただわかったのは、腎臓が機能していないということと、余命が5ヶ月しかないということ、今から2ヶ月以内に臓器の移植手術をすれば自分の病気は治るということだ。


 部活の途中で体調不良を訴え、病院に行ってみれば余命宣告。

 あっという間の出来事で未だに信じることができない。


「まだ治る余地はあります。ただ、ドナーがなかなか見つからないので、すぐに手術をすることはできません。人工透析の必要もあるので今日からすぐに入院しましょう」

 話のほとんどを理解できない中、こうして俺の入院生活は始まった。


 はじめの方は実感がわかず、ひたすらYouTubeなんかで動画を見て過ごしていた。

 ほぼ毎日簡易検査をし、数日に一度人工透析をする。現実味のない毎日を送る中で刺激が欲しくなる。

 よくよく考えてみれば、最後に外の空気を吸ったのはいつだろうと思う。

 こうして俺は、入院してから2週間経った頃、はじめて病院の屋上に訪れた。

 少しでも外の景色を見て、少しでも外の空気を吸わなければ、自分が外の世界で生きていたことを忘れてしまいそうだった。


 一際薄暗く、錆びの目立つ最上階の階段を登り、屋上の扉に手をかける。

 屋上は10畳ほどのスペースに自動販売機とベンチが一つずつあるだけだった。

 自動販売機は中に陳列されたサンプルが乱れており、そのほとんどが売り切れという文字を表示していた。

 ひび割れたコンクリートの地面を歩き、俺は自動販売機で買った何時のものかもわからないコーヒーを片手にベンチに腰を下ろす。


 ドアの隣に置かれた自動販売機とは対極の位置に置かれたベンチに座り、屋上から見えるただの町並みを眺める。

 たった2週間ほど入院しているだけなのに、自分が目の前に見える町で暮らしていたと実感することができない。

 どれほど時間がったのだろうか、惚けるように空を眺めていると、唐突に屋上のドアが開いた。

 音にびっくりして扉の方を見ると、短い髪の毛を風になびかせる一人の女の子が立っていた。

 自分と同い年ぐらいの女の子は「あああああ!僕の特等席!」と言って俺を指差す。 

 これが、俺と彼女が知り合った時の話だ。


 正直、最初は彼女のことを男だと思っていた。

 女の子にしては高めの身長と低めの声をしており、髪も短く胸も無かった。

 極め付けは彼女の一人称だ。彼女は自身のことを「僕」と言う。

 多分ほとんどの人間は初めて彼女と知り合った時、男だと判断するだろう。


 そんな彼女は入院生活を送る中での俺の同志だった。

 つまり、同じ病気を患った患者だということだ。

 彼女は体の中でも胃と肝臓、さらには肺が片方機能しておらず、次は心臓にその前兆があるらしい。

 俺と彼女が侵されている病はその影響を受ける器官は違えど、同じ病なのだそうだ。


 俺と彼女は知り合ってからの毎日、検査の後に屋上で落ち合って話をするのが日課となった。

 将来の話や好きな食べ物、入院する前の生活や趣味、色々な話をした。

 病気を患っているにもかかわらず、自分よりも元気に気丈に振る舞う彼女はとても眩しかった。


 彼女との話で一番多かった話題は将来の話だ。

 彼女は将来、中学教師か小説家になりたいそうだ。 

 元気の塊みたいな彼女には似合わないと思った。

 俺が「似合わない」と言うと、彼女は少しだけ怒った。

 

 二人が時間を共有するようになって2週間。俺が入院してから1ヶ月のことだった。

 いつものように屋上のベンチに並んで座り、いつものように話をしていた時、「ねぇ。君は余命何ヶ月なの?」と彼女は聞いてきた。

 そういえば、互いにどこの部位が病に侵されているのか話したが、余命については話して無かったなと思った。

「俺は、入院する時に余命が5ヶ月しかないと言われたから、今はもう4ヶ月かな」

「え!?移植の期限まであと1ヶ月しかないじゃん!」

「そうだな。でも、多分無理だと俺は思っているよ。ドナーって見つからないらしいじゃん」

「諦めたらだめだよ」

 俺の言葉を聞き、彼女はいつもの明るさに陰りを見せた。

 どうやら諦め気味の俺の態度が気に食わなかったらしい。

 自分の言葉を訂正して謝る俺に対し、彼女は「怖くないの?」と聞いた。


「何が?」

「死ぬことが」

「んー。まだ実感がわかないからなぁ。あと4ヶ月で死ぬなんて。根拠もないし。まだ怖くないな」

 俺が怖くないというと、彼女は大きな目を更に見開き、驚いたような表情を見せた。

 お返しに次は俺が質問をする。

「君はあとどれくらいなの?」

「あ!気になる?気になるよね!」といい、少しもったいぶったあと、彼女は残された時間を告げた。


「僕はね、あと3ヶ月半くらいかなぁ」

 俺よりも半月短かった。

「君こそあと2週間しか期限がないじゃん」

「大丈夫!もう手術の日程は決まっているんだ!」

 俺が彼女の心配をすると、彼女は陽気に笑って右手を突き出し、親指を立てて“大丈夫“と言った。心配する必要はないとも言った。


 次の日、簡易検査のあとに担当医に呼び出された。

 臓器移植のドナーが見つかったそうだ。

 簡単な手続きのあと、手術の日程が告げられた。

 その日からちょうど1週間後だった。


 俺は手術が決まった事を、一刻も早く彼女に伝えたかった。

 一足先に病気を治して待っていると言いたかった。

 だから、彼女に会うためにいつものように屋上に向かった。

 いつもは歩いて屋上に向かうのだが、この時ばかりは小走りで向かった。

 

 最上階から屋上に続く13段の階段を一段飛ばしで登る。

 薄暗い階段はいつもよりも明るい気がした。

 扉を開けて屋上に入るとまだ彼女は来ていなかった。

 検査に時間がかかっているのだろうか。

 俺はいつも通り自動販売機で何時のものかもわからないコーヒーを買い、一つだけあるベンチに座って彼女を待った。

 この日、どれだけ待っても彼女は来なかった。

 

 次の日も彼女は屋上に来なかった。どれだけ待っても来なかった。

 次の日もまた彼女は屋上に来なかった。

 次の日も、そのまた次の日も、彼女は屋上に来なかった。

 結局、彼女に手術の事を伝える事ができないまま、俺は手術の日を迎えた。


 俺の気のせいかもしれないが、手術当日は朝から病院内が騒がしかった。

 病院内の売店に行く途中、ナースステーションから看護師たちの会話が聞こえてきたが、どうやら危篤状態の患者がいるらしい。

 医者や看護師がその患者の対処のため、院内を走り回っていたから騒がしく感じたのかもしれない。


 昼になり、俺は手術の直前準備のために担当医の元に向かった。

 院内は相変わらず騒がしかった。

 今日で病気が治るのかと思い、ドキドキしながら廊下を歩いた。

 廊下を歩く最中、一人の患者が手術室に運ばれていくのが見えた。

「芹さん!大丈夫ですか!聞こえますか!芹さん!」

 

 運ばれた患者は芹さんというらしい。

 少しだけ距離が離れていたから患者の顔は見る事ができなかったが、おそらく芹さんがナースステーションで噂されていた危篤状態の患者なのだろう。


 医者からの説明はドナーに関するものがほとんどだった。

 事情はわからないが、臓器を提供してくれる相手は身元を開示して欲しくないらしい。

 俺は相手の情報を追求しない事を約束し、手術用の服に着替えた。 

 そのあと俺は手術室に運ばれ、酸素マスクのようなものを口に付けられた。

 酸素マスクにも似たそれは麻酔の役割を果たしていたらしく、俺は目上に広がる手術室のライトを眺めながら意識を失った。


 次に目を覚ました時、すでに手術が終わってから数時間経っていた。

 よくわからないが、手術自体は成功したらしい。

 看護師さんに今後の日程を軽く説明され、暇になった俺は一縷の望みをかけて屋上に向かった。

 せめて手術が成功したと彼女に伝えたかった。

 だから君も頑張ってくれと言うつもりだった。

 もちろん彼女は屋上に居なかった。朝8時頃なのだ。

 彼女が屋上に居ないのも無理はない。いつもよりも数時間早いから。


 屋上からの帰り道、一つの病室の前を通りかかった。

「ミズキっ!ミズキぃ!嫌!嫌!ああああぁあ」

 そんな叫び声の響く病室だった。

 中には身内と思われる人達と医者、看護師がいた。

 一人の女性が患者を抱きかかえながら叫んでいた。

 どうやら、患者が一人亡くなったようだった。

 興味本位で病室のネームプレートを見た。“芹 瑞樹”と書かれていた。

 どうやら、僕が手術前に見かけた患者だったようだ。


 手術から数日後、担当医に呼ばれた。

 退院手続きをしてくれと言われ、手続きをした。

 俺は書類に目を通す中、気になっている事を医者に聞いた。

「先生。あの…俺と同じ病気の女の子を知りませんか」

「同じ病気ですか…何人もいますからね。どの方の事を言っているのでしょうか」

「名前は分かりません。髪の毛は女の子にしてはすごく短いです。目が大きくて、一人称が“僕”の女の子なのですが」

 

 俺が彼女の特徴を説明すると、医者は意外な事実を告げた。

「あぁ。あの子ですか。あの子ならもうこの病院にはいませんよ」

 医者の言葉に俺は少し安堵する。この病院に居ないと言うことはもう手術は終えたのだろう。

「そうだったのですか。あの…彼女が今どこにいるのか分かりませんか?」

「……申し訳ないですが、あの子の希望で身元は開示しないことになっているんです」

「あ…そうなんですか…すいません」

 どこかで聞いた話だなと思いながらも俺は引き下がらなかった。

「せめて、彼女の名前だけでも教えていただけませんか?」


 結局の話、医者から彼女の名前を聞き出すことはできなかった。

 ただ、医者の元から去る際に手紙を渡された。それは、宛名も差出人名も書かれていない封筒に入っていた。

 俺はその手紙を持って屋上に向かった。

 なぜだか分からないが、そうしなければいけない気がしたからだ。


 俺はいつも通り自動販売機で何時のものかも分からないコーヒーを買い、ベンチに腰を下ろした。

 ひと口だけコーヒーを飲み、封筒を丁寧に開ける。

 無地の便箋には、3枚にかけて長々と要点を得ていない内容が書かれていた。


 手紙の冒頭は『拝啓 坪田洋一様』と、なぜか俺の本名が書かれていた。

 俺はそんな些細なことは気にせずに読み進めた。


『僕はまず謝らなければいけません。余命を言い合った時がありましたよね。あの時に僕がいった余命は嘘です。あの時すでに僕の余命は残り2週間でした。機能している臓器よりも機能していない臓器の方が多い僕は、あの時すでに腸も役割を果たさなくなっていました。心臓も度々不調を訴え、何度も鼓動が止まったりもしました。』


 たった数行を読み、息が詰まった。

 手紙の一人称は“僕”だった。差出人はいつも屋上で話をしていた彼女だ。

 彼女の病状が自分の想像よりも重いこと、彼女が嘘をついていたことを俺はこの時初めて知った。


『それと、僕は手術の日程は決まっていると言いましたが、これは嘘ではないので安心してください。ちゃんと手術はします。あ、手紙を渡してもらうのは手術の後なんだから、ちゃんと手術はしました。かな?』


 手紙を読み進めるごとに、俺の心は見えないロープで締め付けられているような錯覚を覚えた。

 自らの意思とは関係なく、勝手にパズルが完成していくような感覚があった。


『僕自身は手術で病気を治すことはできません。でも、僕が病気を治してあげることはできます。間接的ではあるけどね。僕にはまだ動いている臓器があります。心臓…はもう無理だけど、腎臓と片方の肺、膵臓、脳…と、これくらいしか思いつかないな(笑)』


 そこまで読み進めると彼女の言っていることが徐々に理解できてきた。

 手紙に書かれた“(笑)”という文字に自然と目がいく。

 彼女はどういう気持ちでこんなことを書いているのか。

 彼女はどんな気持ちでこの手紙を書いたのか、僕には分からない。


『僕は決心しました。のこり2週間の人生はもういらない。僕が2週間を捨てるだけで何十年もの時間を手にできる人がいるのなら、僕はそれでいい。だから、僕は自分の臓器をあげることにしました。』


 もうここまで来ると彼女が言っていることなんて明白だった。

 俺はお腹のあたりを手でさする。腎臓はこの辺りにあるのだろうか。

 手紙の本文は『僕の腎臓。もらってくれるよね?異論は認めないよ』という言葉で締められていた。

 

 俺は泣かないように頑張った。

 彼女は俺に泣いて欲しくて腎臓をくれた訳じゃあない。なら、泣いてはいけないんだ。

 必死に涙をこらえ、手紙の差出人名を確認する。

 俺の涙の堤防を支えているのは、か細い希望だけだった。

 

 手紙には彼女が俺に腎臓をくれたとしか書かれていない。

 だとしたら、まだ彼女が余命宣告をされたタイムリミットまでは時間がある。彼女が生きている可能性は十分にある。

 俺に残された彼女の手がかりは、便箋に描かれているはずの差出人名だけだった。

 ここに書かれている名前をヒントに、彼女に会いに行こうと思った。


 差出人の名前は3枚目の便箋の裏側に書かれていた。

 まるで、あわよくば見られないようにと書かれたみたいだった。

 書かれていた差出人名は“芹瑞樹”

 手術の後に見かけた病室の名前と一緒だった。


「なんで……うぅ…」

 涙をこらえるのも限界だった。

「くそ!どうして!どうして!」

 そうやって何度も何度も叫びながら俺は泣いた。

 彼女は俺の手術の当日、亡くなっていた。


 こうして俺は病を克服し、普通の学生に戻った。



 後になって聞いた話だが、瑞樹は俺が手術を受けている隣で息を引き取ったそうだ。

 まるで、俺に腎臓を渡すまで待っていたようだと思った。

 

 俺は別に彼女に特別な感情を抱いていたわけじゃない。

 友人として彼女のことが…瑞樹のことが好きだった。

 ただ、彼女の眩しい笑顔には何度も救われたと思っている。


 病院を退院した後、俺は瑞樹の家族の元を一度だけ尋ねた。

 彼女は家族に対して臓器提供の話はしていなかったそうだ。

 俺が彼女の臓器をもらったと言うと、彼女の家族は驚きながらも「瑞樹の分まで生きて欲しい」と言った。

 俺はそれにしっかりと頷いた。


 別に瑞樹に対して負い目を感じていたわけではないけど、俺は高校を卒業した後は大学に通って教育学を学び、中学教師になった。

 俺は元々サッカー選手になりたいと思っていたのだが、怪我を機に夢を断念することになった。

 その時たまたま興味を持ったのが教師という仕事だったわけだ。

 少なからず影響を受けたのかもしれないが、断じて、負い目を感じていたわけではない。


 俺は一人称を直した。教師になるのだから、自分のことを“俺”と言っていては生徒が少し恐怖感を抱くのではないかと思ったからだ。

 決して、負い目を感じていたわけではない。

 髪の毛も短くした。目にも耳にも髪の毛のかからない長さにした。

 それは、瑞樹と同じくらいの髪の毛の長さだった。特に深い理由はないはずだ。


 桜の咲き乱れる季節に、僕はいきなり初めての担任を務めることになった。

 まだ見慣れない廊下を歩き、教室に入る。

 生徒の視線を一気に浴びながら、僕は教壇に登る。

 お腹のあたりを手でさすり、今日も彼女の存在を確かめる。

「初めまして。僕は坪田洋一と言います。好きなように呼んでくれて構わないよ。初恋の相手の名前で呼んでくれてもいいかな。瑞樹って」

 そんな冗談を交えながら、僕は生徒の笑いを誘おうと務める。


 これが、僕…“坪田洋一”が“芹瑞樹“と言う女の子に囚われて生きるまでの話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ありふれた恋の物語 人生依存 @999harmony

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ