追懐

@tinpu

追懐

 夢から覚めると、私はしばらく自分の人生を振り返る。ここ数年はそれがルーティーンとなってしまっている。

 自分は何をし、どう生きてきたのか。その一つ一つの事柄に影響され、またときには影響し、今の私がいる。


 幼稚園に入園したころ、母の運転する自転車に揺られながら、よく下校中の中学生を目にした。幼い私からみる中学生はどこか大人びていて、穢れのない印象を受けた。それぞれが個々の方向を向き、自分の信じた道一点だけを見て歩んでいるように見えた。自分も中学生になればそうなるものだと、幼稚園生の私は思っていた。

 

 小学校に上がると、私は人を羨むようになった。

 みんなそれぞれの光り輝く自分を持っていて、私は到底足元にも及ばないのだと実感した。

 そしてもちろん私の通っていた小学校でも「いじめ」というものは存在して、それからは逃げることはできないのか、という感情を抱き、息をひそめるようにして生活した。変わりに暗記に没頭した私は、三年生の時にはすでに元素記号をすべて覚えていた。答えのない人間と比べて、答えのある暗記のほうが楽だった。

  両親はそんな私を心配するような眼差しを向けてきていたが、口を出すことはなかった。


 中学生になって私は初めて自分が生きるのが下手だということに気づいた。

 授業が終わると毎日何かから逃げるようにして学校を後にし、図書館に通った。親のつながりで、幼稚園の頃の友達から届く年賀状を見てため息をついた。ある子は生き生きとバスケに打ち込み、ある子は検定に合格し、ある子は一家で外国旅行。とにかく今の自分に自信があるようで腹が立った。それをただ自慢されているようだった。自分の中を見るとがらんどうで、もうどうでもよくなった。

 幼稚園生の頃に感じていた大人びた中学生への憧れは、もうすっかりなくなっていた。その感情が、根っこから消え去ったのか、自分の血に溶けたのかは知らないが、そんなに気持ちのいいものではない。周りは案外子供だった。勉強のできる能力だけが上がっていき、思考は幼稚園のまま、といった人が何人もいた。おそらく私もその中の一人だろう。


 高校生になって、自閉症が発覚した。これまでそれを知らずに生きてきて、なんだか損をした気分になった。今までのことすべて合点がいったかの様に、両親は心配の眼差しを向けてこなくなり、変わりにすべてを理解するといったような眼差しが向けられた。

それが少し心地よかったのもまた事実だ。しかし、その心地よさと同時に、大きな不安もあった。私の事情を知っている親、先生に守られながら育ち、いざ社会へ出るとなれば、私はどうすればいいのだろうか。それが途端にわからなくなった。


 私は社会に出たくない一心で大学へ入学した。

 社会に出て自分を一人間として曝すのが怖かった。もう少しだけ守られていたかった。

私はその頃、哲学に熱中していた。人間の持つ陳腐な概念を外し、自ら生み出した説を提唱していく。答えがなければ作ればいい。作れなくても努力していればいい。哲学は、徐々に私の居場所となっていった。


 大学二年の冬。 

 私はいつものように図書館へ向かっていた。鳥が空を飛んでいるのを見て、私はぼーと考えながら歩く。生きずらいと感じている人間がいるように、鳥もそんなことを思っているのか? とひそかに妄想するのだ。思っているとしたどんな風に? 思っていなかったら何を考えているの? もしかすると何も考えていないかもしれない。すべて本能で決めて生きているのかも。人間だって、何かの拍子で体の中にハリガネムシが入ると、本能で吐き出そうとする。そんな風に、吐き出すものと吐き出さないものの選択を本能に任せて生きているのかもしれない。鳥って面白いな。と思うのだった。

 そして右ほうから聞こえてくる轟音に気づく。私ははねられた。拳を突き上げたような衝撃の後から先は何も覚えていない。

 気付くと私は暖かい場所に寝かされていた。母のすすり泣く声が聞こえる。父の声は聞けずとも、存在は感じられた。私は父の姿を確認しようと目を開けた。が、目の前は暗いままだった。目がなくなってしまったのかと驚き、手でこすってみる。しかし、腕が動いている感覚もなければ、目をこすられている感覚もない。おかしいなと思いながらも全身に力を入れてみる。でも、私の体は動かなかった。

 それからどれだけ経っても私の体が動くことはなく、「ああ、ずっとこのままなんだ」と理解したのはずいぶんと時間が経ってからだった。頻繁に私のもとに訪れた両親もいつのまにか来なくなり、私はついに孤独となった。それもおそらく何年も前のことだろう。


 以前まで当たり前のように動いていた体の感覚がなくなると、「私」という存在がどこにあるのか。それが手に取るようにわかって気持ちよかった。今まで必要のない感覚に埋もれていた私が際立ったようだった。

 私はようやく自分を見つけることができた。不幸だなんて思っていない。この目が眩むほどまぶしい世界から隔絶された場所で、私はようやく生を実感できている。

 ここが世界に染まれなかった私の唯一の居場所なのだ。

 

 


 

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