あなたの日常に心は必要ないのでは?

ちびまるフォイ

延滞料金はないけれど

いつも通う駅に見慣れないコインロッカーを見つけた。


「あの、このコインロッカーは荷物を預けるんですか?」


「いえいえ、これは心コインロッカー。心を預けるんです」


ロッカーの管理人と思しき人間は快く答える。


「……それって何の意味があるんですか?」


「心と身体はつながっているというでしょう?

 心が病んでいると体まで以上が出てしまう。

 そこで、このコインロッカーで心と身体を切り離すことができるんですよ」


「なるほど、全然わからない。

 まあでもちょっとやってみますよ。心を預けるんですよね」


「はい、お仕事帰りのときにでも取りに来てください」


ロッカーに自分の心を預けると、さっきまで感じていた不安感や

これから仕事に行かなければならないという絶望感。

家でひたすらに眠り続けていたいと思っていた欲望などなど。


108以上の煩悩が一瞬で取り払われて頭がクリアになった。


「これは……すごいな」


「でしょう。心が自分を苦しめることもあるんですよ」


心を預けてから今日という1日はいつもどおりに流れていた。


営業先のクレーマーにしこたま怒られたりしたが、

それで不快感やストレスを感じることなく、その足で午後のプレゼンに向かった。


「先輩、大丈夫ですか? あんなに怒られた後じゃ

 こんな攻めたプレゼン企画なんてできませんよ。リスケしましょうか」


「大丈夫だよ。心を預けているから、何も感じてない」


プレゼンは滞りなく進み、商談はうまくいった。

心があったなら怒られた言葉を頭の中で何度も繰り返しては凹み、

そんなコンディションでプレゼンに臨んで大惨事だっただろう。


その日の帰りロッカーへと戻った。


「こんばんは。108番ロッカーの心を取り戻しにきました」

「はいどうぞ」


預けていた心を取り戻すと、今日1日で身体に刻まれていたストレスがのしかかった。


「うっ……あんなに怒らなくてもいいじゃないか……」


心を預けていたとはいえストレスがなかったわけじゃないらしい。

重い心を引きずりながら家に帰った。


翌日もロッカーの前にやってきた。


「ということで、今日も心を預かってください」

「かしこまりました」


心を預けた途端に感じていたストレスが身体から分離するのがわかった。

精神に身体が引っ張られないので、本来の自分の能力が出せる。


「先輩ってすごいっすよね。どんなに怒られても、

 どんなにムカつくような状況でもいつも涼しい顔してますよね」


「ハハハ。心を表面に出すなんて、そんなのは社会人失格だよ」


「なんかコツとかあるんですか? 先輩みたいになりたいです!」

「それじゃ、今日は飲みにでも行くか!」


その日は珍しく飲み会にいった。

心を預けていると気を大きくして変なことも言わないから安心だ。


飲み会が終わって家に帰ったとき、あることに気がついた。


「……あ! 心忘れた!」


ロッカーに預けっぱなしのまま帰ってしまった。すでに終電もない。


「……まあいいか。どうせ明日も預けるわけだし。

 わざわざ心を取り戻す必要なんてないだろ」


心がないぶん特に焦ったり取り乱すこともなく、その日を終えた。

翌日も預けっぱなしで仕事に行き、そのまま帰った。


次の日も、次の日も、次の日も……。


いつしか自分の心を預けていることすら忘れたころ。

仕事で病院に新しい機械を売り込む営業にやってきた。


「……ということで、入り用のときはぜひウチの製品を!」


「わかったよ。考えておく。これから診察なんで、またいらしてください」


「はい!」


心乱されない営業力で今日も成功。

帰り際にすれ違った患者は目が真っ黒になっていた。


「あの、先生。今の人は?」


「ああ、あれは心喪失症。心と身体が離れすぎてしまって抜け殻になってしまったのさ」


「そんな……」


「ああなってしまったら、何を食べても何も感じないし

 何を見ても感動しないし、何をしても興味を持てない。

 自分の行きていることにすら関心がなくなり、たいてい自殺してしまう」


「治療はできるんですよね!?」


「できない。我々医者ができることはといえば、

 なくした心の代わりに、新しい心を芽生えさせるよう

 希望をもたせるようなことを話すだけだよ」


心は預けっぱなしなのに、それすらをも飛び越えて恐怖を感じた。

慌てて心ロッカーへとかけより自分のロッカーを開けた。


なにもなかった。


「おい! ここにあった俺の心は!? なんでないんだ!?」


「ああ、30日以上放置されたものは廃棄する決まりなんですよ。

 預けっぱなしにする人が多くて、ロッカーの空きがなくなるんでね」


「は、廃棄!?」


「ええ、まさか心を預けたままだったんですか?」


「うそだろ……もう心が取り戻せないなんて」


空っぽのロッカーを見てもなお、何も感じない自分が怖かった。

この先ずっとこのまま過ごすしかないと思っても何も感じなかった。



「先輩!」



声に振り返ると、仕事の後輩がやってきていた。

その手には見覚えのある俺の心を持って。


「それは、俺の心じゃないか! どうして!?」


「先輩、以前に心を預けているって話したじゃないですか。

 俺も先輩みたいになりたいと思ってロッカーを探したときに

 廃棄されるところだった先輩の心を見つけたんです」


「それじゃ……」


「はい、廃棄される前に僕が受け取っておいたんです。間に合ってよかった」


「ああ、ありがとう。本当にありがとう……」


感謝の言葉を告げるが心がないとどうしても伝わらない。

声に心や感情が乗らない。


「先輩、はいどうぞ」

「ああ」


いろいろ不便なところも多いけれど心と身体はつながっていて、

そのどちらもが俺を構成している大事なパーツなんだ。


こうして心を取り戻せたから、やっとそのことに気付くことができた。


俺はそっと自分の身体に心をはめ込んだ。







幾日をも身体に刻まれていたストレスが凝縮されて心に直撃した。

臨界点を超えた心は音もなく砕け散った。



「先輩……? 目が真っ黒ですよ……!?」

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