30 「……どうして、一言も俺に言わなかった」




 雪那が、余計なことをしてこの国を壊してしまうのがこわいと言った。

 わたしも自分が作った景色を一度やり直したいと思いながらも、それがこわいと思った。

 あまりに同じ景色しか記憶になくて、他に何か想像しようとしても焼き付いている景色を──いっそ一度まっさらにしてしまえばという衝動に駆られたことがある。

 違う。この国じゃない。何か変化を。でも目の前の景色しか見えなくて、何も思い描けなくて。

 この景色を一度消してしまえば。最初からやり直せば──滅ぼせば。


 雪那は壊そうと思ってはいなかった。自分が打つ政策があったとして、結果的にそれが国を損なってしまう可能性を考えて怖がったのだ。

 けれど、わたしは『壊したい』と思って、そう考える自分と、本当にそうしてしまう未来が来ることが怖かった。


「当然滅ぼすわけにはいかない。……そんな風になってしまったわたしはいらない。それなら、正当なお役ごめんがきた。だから、死んだ」

「──そう思ってしまうくらいなら、どうにか変えてしまえば良かっただろう。死ぬことは、なかった」


 そう言う紫苑に、わたしは「積み重ねた時を否定して?」と、首を傾げた。

 紫苑は口をつぐんだ。

 ごめん、意地悪な言い方だったね。単に、紫苑はわたしの死を重要視してくれたのに。

 紫苑は、長すぎる年数を躊躇いなく否定するような人間じゃない。六百年を迎え、長い、と語ったからこそ。意地悪な言い方だった。


「わたしも何度か考えた。とにかく思いきって大きな変革を行ってみようか。色んなことをしてみようかって」


 そんな思いを抱えるくらいなら、いっそ変えれば済む話だろうから。

 だが、だ。わたしは遅すぎた。長く長く国を治めてきて、それから思い立ってしまった。


「でもね、そもそもの話、そう思うのはやっぱり遅すぎた。わたしの国は一度完成していた。国が一度完成した後に何かしようとするのは、実験になってしまう。簡単に完成形を崩す正当な理由はなかった。だから死ぬ方を選んだの。『わたしの時代は終わり』って」


 国が変わるのは、次の王に任せることにした。

 ……本当は、王である限界が来たなら、一人の人間としての人生を送ってみたかった。一般の民に戻りたかった。

 けれど王と神子には決定的に異なる点がある。

 神子は、いつでも不老の身をやめてただの人に戻れる。王はやめられない。ただの人間には戻ることはできない。

 それならと、暴君になってしまう前に死んだ。王位を下りる許しを得たのだから。


 神は、即位するときこう言った。わたしたちは、選定中の一時的にでも、確かにこの地を治める『人間の神』になるのだ。

 でも、王に向いていない、神になれない人間もいる。人間は人間。神じゃない。そんな人間には限界がある。

 わたしも人間だったということなのだろう。

 最初の選定で王に選ばれ、次の選定で永遠の王になるかどうかを見極められただけの話。わたしは、永遠を治める王には向いていなかった。


「わたしは、紫苑の国は好きだった。一つに染まらなくて、ずっとどこかが変化し続けて、成長し続ける国。生き生きとした国。わたしの国は長い間、ずっと真っ直ぐ、平行線を描いていった」


 自分の国にない要素だから、余計にうらやましいまでに好ましかったのかもしれない。

 それでも良かっただろう、と紫苑は微かな声で言った。民が望んでいたのなら、民が王に異論を唱えなかったのなら。

 わたしがそう居続けられないと感じていたことと、変化も出来なかった理由を聞いてもなお、そう思わずにはいられないようだった。死なずとも良かった。死ぬことはなかった。


「……どうして、一言も俺に言わなかった」

「言って、紫苑はどうしたの。見送ってくれた?」


 あの日、帰さなければ良かったと後悔していると語ったあなたは。


「それ以前にね、言えなかった。言いたくなかった。……知られたくなかった」


 わたしは睡蓮という人であり、王だった。睡蓮と王であったことは、ほぼイコールで結ばれている。

 誇りがあった。千年近く玉座にいたのだ。時に臣下と言い争い、民衆の訴えを受けることもあった。それでも討たれることはなかったということは、民に認められ民に望まれた、あるべき国を作ったと思っていた。


「紫苑に知られるのが嫌だった。怖かったから。わたしが、そんな醜い考えを持っているなんて知られて──見る目が変わるのが怖かった」


 神にそんな判断を下されたことも、わたしが自分の国を物理的にまっさらにしたいと思い、そんなどうしようもない自分を知られることも。何もかもが。

 醜いわたし。確かにそんなわたしがいた。紫苑には絶対に知られないようにと願いながら会っていたときもある。


「……今回、頑なに言わなかったのも、それが理由だったのか」


 そうだよ。


「わたし、紫苑に好きになってもらえるような人間じゃなかった」


 王として、人間として。

 知られていないなら、知られていないまま。せめて綺麗なままで、終わりたかった。浅はかな望みだろう。


「勝手に死んで、隠してた理由がこれで。わたしは──」


 体を、抱き締められた。





 

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