29 「そう、約千年続いた」




 中はしばらく落ち着きを取り戻せないだろうから、いっそ外に出た。宮殿の庭だ。


「今さらだけど紫苑の在位も、もう六百年になるのね」

「そうだ」

「そこまで生きた感想を聞いてなかったね」


 わたしの記憶では四百年。知らない二百年が挟まり、現在だ。

 四百年も長い部類だけれど、五百年を過ぎると本当に過去の王たち含めて数えるほどになるだろう。

 残念ながら現在在位している王の中には、紫苑より長い在位期間の王はいないと聞いた。わたしがかつてから知っている王はもう紫苑だけ。

 変わったところを見たけれど、王という特性上見た目は変わらない紫苑は、問われた六百年を思い出すように一度、ゆっくり瞬きをした。


「長いな」

「そうね」


 六百年は長い。

 思い返せば思い返すほど、やっぱり長かったと思うだろう。過ぎたあとでも、あっという間だったとは思わない。一年やそこらならあっという間と思うけど、六百という重ねた塊を振り返ると長かった、となる。


「その一方で、過ごしているときはいつの間にか一日が過ぎ、一ヶ月が経つ。一年が経つ。何百年経っても、毎年必ず問題が起こるからだ。問題が尽きない」

「そうね」

「国を、民を豊かにしようと政策を打っても失敗することがある。時々どうしても相容れない頭の固い臣下が現れる」


 それは紫苑が突拍子もない政策案を出すことがあるからじゃないの?

 紫苑が恒月国の王になったとき、恒月国の状態は酷いものだった。国のほとんどの機能が止まり、更地のように、限りなく一から国作りを始めることになった彼は、再建の方法を選ばなかった。

 紫苑が目指したのは全く別の国の像だったから、再建ではなかったかもしれない。

 型破りなことばかりして、国が形になってきてからも、昔決めたことをあっさり大改造したりしていた。頻繁に、だ。

 端から見ていても面白い限りで、訪ねていく度に、国が変わっているような気がしていた。もちろん彼の言った通り、失敗もあって、問題もあって、活気が鳴りを潜めていたときもあった。


 それでも、彼は変化を起こすことを怖れなかった。より良い方法があるはずだ。別のやり方をすることで、別の効果が起こせるはずだ、と。

 たぶん、紫苑はその加減が上手いのだ。無意識かもしれない。失敗も失敗しようとしているわけではないから。


 そして、民も自国の王が必ず解決してくれると信じているかのように、紫苑が討たれる事実は作られなかった。


「これまでの総括として、自分が治めてきた国を見てどう思う?」

「良い国だと思う。まだ満足はしていないが、これまでしてきたことで土台はしっかりとしているから、下手を打ってもそう国は滅びない」


 そういう言い方はどうなのだろうと思うけど、これが紫苑という王なのだろう。


「睡蓮は、千年生きてどう感じていたんだ」


 わたし?

 そうか。改めて言われてみると、わたしは、かつて王になる前を合わせると千年を越えて生きていたのだ。


「長かった」

「千年だからな。俺も、千年はまだまだ先だ」

「でも年数なんて、自分の神秘の力が増すだけのことよ。問題は年数じゃなくて、中身」


 確かに年数は大切だ。最初は外見で舐められていたわたしも、年数が経つにつれまず舐められることはなくなった。そういう意味ではとても大切なことだ。

 けれど、個人的な問題だから重要視するべきことでもない。

 重要なことと言えば、それほど生きて何を成したかだ。神に選ばれ、人を超越した身となった上で一体どのように国を治められたのか。


「……期待以下の国だって言ったな」

「言った」

「つまらない国、とも」

「うん」

「神に消された、見放される」

「ああ、それは言ったけど脅しのため」


 誤解を与えてごめんね、と謝ったけど、最後だけを否定した形に、紫苑が問いを重ねる。


「なら、他は。本当にそうだったとでも言うのか」

「うん」


 すんなりと、わたしが肯定すると、彼は目を見開いた。「──なぜ」と、辛うじて出たような声に尋ねられたから、わたしはどう話を始めるべきかと思案した。

 本題に入る流れが来た。では、どういう順序で話すべきだろう。


「かつて、わたしの在位が千年に至る前、内界で神に拝謁することになった」


 年に一度、内界に赴き神への儀式を行うのだが、それは一方的なものだ。

 そうではなく、拝謁することになった。


「そこで、わたしはもう王位から『下りてもいい』と告げられたの」

「──は?」


 紫苑は、わたしの言葉が理解出来なかった反応をした。


「王は、王位に就いても神からの選定の最中にある。わたしは、二度目の選定を受けたのよ。そして、治めてきた国が期待以下だったという評価を下された。そのとき神は選択肢をくれた。あと少しの間国のやり直しをしてみるか、王位を下りる……つまり、死ぬか」

「────どこが、期待以下だったって言うんだ」

「総じて。このまま続けさせるにも、永遠を与えるには『足りない国』」

「千年、続いたはずだ」

「そう、約千年続いた」


 事実だ。そして、事実でしかない。


「それだけのこと、と済ませられることでもある。年数は、年数以外の何物でもないの。それ以上のものを見出だすべきものじゃなかった」


 その日わたしは、神に、長く治めた国を足りぬ国だと言われてしまった。

 曰く、お前の国は『人』が作った国ではない、と。

 そもそもなぜ身分の概念がある人間の中から貴族、平民問わず王を選び出すのか。性別も性格も、好みも違う。その人間が作る国を、その人間が表れた国を見たいからだと神は言った。

 神は、人間が作る『人間らしい、人間味が滲み出た国』を期待していたのだ。

 欲望が表れていてもいい。むしろその方がいい。だから人間に地を与えた。人間らしく欲が表れながらも、神に代わり国を治め続けられる『人間の王』を探している。

 わたしは千年近くも国を治めたが、だからこそ進歩がある先が見えないため、ここで止めてもらうと言われた。


「あの壁。いつ、誰が作らせたと思う?」


 昔々は見晴らしがよく、遠くまで街並みを見られた場所にそびえ立つ壁をわたしは示した。


「……睡蓮が、と睡蓮が教えてくれた」


 ああ、そうだったね。ここで、再会したときに聞かれたから『わたしが』って答えたんだったね。


「紫苑は『どうしてだ』って言ったけど、わたしは『分からない』って答えたね」


 かの王はもういませんから、と、知らないふりをした。


「わたしがここに壁を作ったのは、景色を見たくなくなったから」


 なぜだ、と紫苑が理由を問う目をしたから、自分の中で言葉を見つけながら、口を開く。


「時が経つにつれて、わたしは、わたしが王である意味が分からなくなってきた。時を重ねた分、王としては一人前に仕事は出来ていただろうけど、それ以上じゃなかった。単に長く、ずっと同じように国を治めてた。やり方を決めて、ずっと同じように」


 問題が起きても、その都度繕うような形でやっていた。


「気がついたの。どれくらい同じ景色を見ているんだろうって。整頓された街並み、時が経って、人がどんどん入れ替わっているはずなのに変化しない雰囲気、景色」


 国を運営するやり方を決めていたから、やることもほとんど一緒で、同じ事をしている毎日。


「あるとき、つまらない、って感じてしまった。わたしは、それまでの時代にあった既存のやり方の問題を修復したやり方を考えていって、国作りをしていった。……いや、国作りと言えるかどうかは微妙かもね。前の時代のものを補完してやり方を決めたに過ぎなかったから。そうやって無難な国を作ったに過ぎなくて──わたしが思い描いた国の姿なんてどこにもなかった」


 最初から。

 気がつくには遅すぎた。

 最初は、学ぶことに必死だった。小娘だと侮られることから卒業するのに必死で、国の仕組みが完成すると安堵したと同時に、満足していた。


「いつまでこのままいればいいんだろう。同じ景色を見て、仕事を繰り返して、時を過ごしていけばいいんだろう。わたしがこれまでしてきたことは義務感以外の何物でもなくて──一から、やり直したいって感じたことがあった。違う。こうじゃない。こんな『つまらない国』じゃないって」


 像なんて、思い浮かばないくせに。

 そうだ。漠然と思うだけで、遅すぎたわたしには、完成した国以外のものを見ることは出来なかった。


「わたしの頃の国は完成してしまっていた。わたしが一旦形を定めてしまったからでもあり、民も許容したから。……これはね、神に拝謁するより前のこと」


 王としては無為に時を過ごす日々を送っていた頃に、神の裁定を受けたのだ。

 どうやら、選定中と言うからには二度目の選定の時が設定されていたようだ。聞いたことがなかったから、突然だった。

 そして、これ以上は王に相応しくないという評価が下された。

 言わば、当然の解雇宣言だ。

 お前もそう思っているのだろうと、初めて問われた。限界だと感じているのだろうと。

 ならば降りよと言われた。役目は終わりだ、と。


 聞いた瞬間は、衝撃を受けた。これからも続けさせるほどではないなんて。千年続けさせておいて、勝手だ。そんなことを思った。


 一方で、そう思いながらもどこかほっとした。

 わたしは、どこかで王を辞めたがっていたのだ。

 もういいんじゃないか。もうわたしがやれることはやった。やりきってしまっていた。

 見つめ直さなければ良かったのに、気がついてしまった。気がついてしまったけれど、わたしはどうにも出来なかったから。

 そして、明確な寿命がない限りまだまだ先が見えないかもしれないこれからの時間の長さに、途方に暮れていた。

 わたしの治世は本来なら、限界を越えていたはずだっただろうに、臣下も民も何もしなかった。無駄な奇跡で長く続いていた。


「神が仰り、わたしもそう思っていた。この国の王として、苦痛と限界を感じ始めてた」


 わたしの王の器としての限界は変化も進化も滞っていた時点でとうに来ていたし、気がついてしまうと別の限界が定められていた

 わたしはそっちの限界と戦うはめになっていた。


「国の姿がつまらないと感じてしまっていたわたしは──一度、国をまっさらにしたいと思ったことがある。綺麗な意味じゃない。物理的な意味で」


 つまり、国を滅ぼしたいと思ったことがある。


 



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