19「ずっと」
西燕国から離れるつもりだったとは言っても、
それとこれとは、別。
「力使うの禁止……!」
「逃げようとしないなら使わない」
自分の足ではなく、紫苑の足によって外が遠ざかっていく。
紫苑は王だ。王としての仕事があるため、正殿ではないここにずっと居続けられるわけではない。その間に、結界の隙の一つでも見つけられないかと思っているのだけれど……。
指輪のせいで、すぐに紫苑にばれる。ばれると、抵抗虚しく部屋に連れ戻される。
仕事は? 結界張ってるなら来なくていいでしょ。
そうとも。わたしは悔しさゆえに、ちょっと苛々していた。
こう簡単に連れ戻されると、単純に結界が破れないことと、こんな風に移動させられることに悔しさを感じる。
「二回も気絶させられて。気がついたら寝台の上で。鍵かけられてて。結界張られてて」
何だってそんなことされなくてはいけないのか。やりすぎじゃないのか。
「……今の紫苑、嫌い」
「……子どもか」
「下ろして」
「子どもなら子どもらしく抱かれて運ばれるものだ」
「子どもじゃない!」
子どもだと!?
合わせなかった目を上げると、紫の目もわたしを見た。
「嫌いなんて言うからだ」
その言い分こそ子どもじゃないか、という言い返しは口から出ていかなかった。
「俺が嫌いか」
「……どうして、そんな顔するの」
そんな哀しそうな顔。卑怯だ。
「わたしを閉じ込めてるの、紫苑じゃない」
「そうだな」
静かな声音で認めた紫苑の、わたしを抱き運ぶ腕に力が込もった。
「頼むから、いてくれないか」
「頼むじゃなくて、もう強制してるでしょ」
「……それなら強制ついでに、いっそ部屋から出られないようにしてもいいか?」
「え」
今庭にすら出られないのに?
びっくりして固まると、紫苑は少しだけ笑った。その笑い方は、長く見ていたもののどれでもなかった。
とても弱く、哀しい感情が隠しきれていない笑みだった。
「睡蓮、観念しろ。俺はもう無理だ」
──わたしも無理だ。
紫苑といると苦しくて、苦しくて仕方ない。自業自得な後ろめたい気持ち。
紫苑、わたしは、紫苑が思っていたような人間じゃなかったんだよ。
蛍火と再会したのとは、わけが違う。
蛍火と接するのも胸が痛むけど、彼は、わたしが今紫苑に知られたくないことは知っている。
「……紫苑は、わたしがどれくらいここにいれば、満足なの」
恒月国に連れてこられてから、数日が経っていた。初日以来、紫苑はわたしが死んだ理由を聞こうとはしてこなかった。
もしもその状態が続くなら、わたしは紫苑の気が済む少しくらいの期間はいられる。どのみち結界は強すぎて、紫苑が解いてくれない限り出ていけないとは、よくよく身に染みていた。
わたしの問いに、紫苑は躊躇わなかった。
「ずっと」
ずっと──の定義とは。この先のことを示すには、期間が定められているようで定められていない言葉だ。
それはさすがに無理、と言おうとしたところで、部屋に戻ってきた。
「陛下」
中には、女官達がいた。いち早く近づいてきた女官は、目を丸くした。
「あらまあ。折角綺麗に着付けて差し上げたのに、そのような身軽な姿におなりで。じゃじゃ馬なお姫様ですこと」
「じゃじゃ馬か」
「紫苑、何笑ってるの」
じろりと睨んでやるが、紫苑は効いた素振りもなくわたしを下ろし、女官に引き渡した。
そして、仕事に戻るのか部屋を出ていく。
だから、仕事を抜けるなら、一々来なくていいだろうに。
灰色の髪が扉の向こうに消えると同時に、わたしは女官によって部屋の奥に連れて行かれる。
紫苑の力によって気を失ったわたしが次に目覚めると、宮は決定的な変貌を遂げていた。女官他、住まうに困らない環境が出来上がっていたのだ。
わたしは現在、恒月国に正当に滞在していることになっている。滞在というより、居住である。
と言うのも、紫苑はわたしを『未来の伴侶』という存在とすることで、大手を振って宮殿にいられる人間にしたというのだ。
そして、現在わたしの居住空間となっている宮は、わたしの記憶の通り、以前わたしがこの国に滞在するときに使用していた宮ではなかった。
正殿の近く。王である紫苑の居住宮殿の一つの隣。──いわゆる王妃のための宮だった。
おかげで女官には、これまで伴侶を迎えなかった
確かに普通の宮殿では、客人と言っても一人の神子を一つの宮に住まわせることはない。今のわたしをこの国に留めるためには最適の方法かもしれないが、この指輪と言い、紫苑の意図が甚だ分からない。
そこまでして……。
「……重い」
元々正装は嫌いだ。着るのに時間がかかるし、動きにくい。おまけに今は装飾品がつけられて、重い。
今日、どれだけ慎重に外して、服も頑張って脱いだか。
着て脱いで、また着て。自業自得と言えばそれまでだが、やっと着替え終わって疲れたわたしは、椅子に腰を下ろした。
「そんなに雑に座ってはいけません。衣服に深い皺がついてしまいます」
「それなら、これだけ着せないでください」
女官が、初めましてから数日毎日聞いてきたことをまた言い始める。
曰く、せめてもう少しだけでもお淑やかに。あれほどの軽装になるのは避けてくれるように。妃になるのなら本来ならば学ぶべきことがあるところ、陛下が甘くしているだけなのだとか。それは違うと思う。紫苑が偽装しただけで、わたしは紫苑の伴侶になる存在じゃないのである。
説教の合間、別の女官がお茶を運んできてくれる。
世の中の王の伴侶とは、こんな思いをしているのだろうか。わたしも王になるときに色々学ぶことはあったにしても、王になるのは選択肢がそれ以外になかったから、王の伴侶はまた別の種類だなぁと思う。
貴族の娘であれば、お手のものだろうか。わたしは王になって長く経ってからは、公的な行事以外の作法はそこそこ自由やっていたからなぁ。求められる作法も違うだろう。
しかし、こういう説教とはいつぶりだろう。今世では、お母さんは優しくて、怒るときもやんわりと言う人だったし……
蛍火は、どうしているだろう。雪那が納得したとしても、蛍火には変わらずわたしが行方不明状態だ。当然、西燕国におらず、かといって内界にもいないから。
どこにいるかくらいは……分かっているだろうか。神子の居場所も示す水鏡がある。
ただ、結界がそれをも遮断するものだったら。
「陛下がお越しです」
説教の声は当に止んでいたらしい。
どれほど物思いに耽っていたのか。
わたしはお茶を止めて外を見ていた目を、扉の方に向けた。
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