20「今の発言は……何て言うか……危機感を覚える」
わたしは立ち上がって、紫苑を迎えた。
「着替えたのか」
着替えさせられたのである。
全部。髪も結い直し。気合いが入りすぎだ。
指揮をした張本人、女官頭が紫苑に恭しく頭を下げる。
「陛下に相応しいように何度でも飾り立てて見せます」
「あまり窮屈にはしてやるな」
「高貴な方の衣装ほど窮屈になるものです。……陛下は、少々簡略化なされているようですが」
こほん、と外見が年老いている女官は空咳をし、「お元気な方のようですから、いくら何でも走り回らないようにはなっていただくためにも、きっちり衣装をお見立て致しました」と紫苑にしっかり礼をした。
紫苑は手の一振りで、人払いをする。
人がいなくなったところで、
「窮屈」
わたしは第一声で抗議である。
「だろうな」
と紫苑は分かっているように言う。
『前』にわたしが王であったとき、私的に会うこともあり、そういうときに常識より軽い格好をしていたと知っているからだ。
「でも、似合ってる」
完全に不意打ちだった。
「睡蓮は重いのも窮屈なのも好まない。それでも似合っていると思うし、今の俺は、睡蓮に重くて窮屈な装いをさせたいと思う部分もある」
紫苑の手が、髪飾りに触れ、髪飾りが小さな音を立てた。
「ここから出ようとするお前は、重い宝石でもつければここに繋ぎ止められるか」
「──紫苑、落ち着いて」
思わず、わたしは制止を要求した。
髪飾りを眺めていた目が、こちらを向いた。
「どういう意味だ。俺が落ち着いていないように見えるということか?」
普通の意味の落ち着いている落ち着いていないで言えば、落ち着いているだろう。
でも、やっぱり今の紫苑は少しおかしい。
扉に鍵をかけ、結界を張り、今日は部屋だけを行動範囲にする考えを口にした。そして、今。
「今の発言は……何て言うか……危機感を覚える」
何とか言い表すと、紫苑は喉の奥で笑った。
「今までは危機感を覚えなかったって?」
笑ったまま、紫苑は首を傾げた。
髪飾りに触れていた手が降りて、わたしの手を掬い取る。指が、わたしの指を辿り、一本の指の付け根に至る。
「この指輪を俺が嵌めた理由が分かっているか?」
不思議な色合いを持つ指輪。
わたしの神秘の力を無効化する効力を付与されていて、その影響でわたしは神秘の力で結界が張られているこの宮から完全に出られない。
「わたしが、ここから出られないようにするため」
紫苑は浅く頷く。
「大体正解だ。その理由は?」
「……わたしが、何も言わずに死んだから、怒ってるんでしょ?」
「怒った覚えはないんだが。睡蓮が死んだときにあった感情は、悲しさだけだ」
悲しかった。
率直な言葉は、何より心にくるものだった。わたしのせいのくせに。
わたしが何も言えない内に、紫苑は「まあそれもそれで正解と言えば正解にしておく」と流した。
「じゃあ、その理由は?」
その理由?
意味が汲み取れず、今度は答えを返せずにいると、紫苑が付け加える。
「俺が怒っているって言うなら、どうして、俺は怒るのか」
「何も言わなかったから、じゃないの」
「俺がどうして黙っていられて怒るのか、だ。黙って死なれたからと言って、死に驚いて悲しんで、再会しても喜ぶくらいが『普通』なんじゃないか?」
言われてみると、そうなのかも、しれない。
今、この状況自体がおかしいのだ。どうして、わたしを閉じ込めるまでするのか。理由を考えて、考えて、紫苑はおそらく怒っているのだとわたしは理由を付けた。
けれど。
「なぜ、俺が今、睡蓮をここに留めて置こうとするのか。死んだ理由を聞きたいからじゃない。それは第一じゃない。単に怒っているからと言って、留める謂れもない」
「じゃあ、どうして」
紫苑はわたしをここに閉じ込めているのか。
怒っているとして、どうして怒るのか。怒っているのではなくて、どうして閉じ込めるのか。
その理由。もっと根源。考えれば考えるほど、分からなくなってくる。
「俺は、指輪を嵌めた理由に大体正解だって言っただろう」
大体正解。つまり、完全に正解ではなく、他に完全な答えがある。
その次の質問も、単に「正解」だとは言わなかった。他に理由がある言い方だった。
では、正解とは、何だ。
「この指輪には本来の意味がある。力を無効にする術をかけるだけなら、他の指輪にしても良かった。だが俺はこれにした。同じようなものを、睡蓮も持っていたはずだ。指輪の意味は分かるだろ」
分かる、知っている。
王が即位したとき、自身の不老性等見えないもの以外に、与えられる物がある。それが指輪だ。
──王と同じ時間を生きられる存在がいる。
一つは神子。しかし神子は、王が死んでも生き続けることが可能だ。
もう一つは伴侶だ。
長く長く生き続ける可能性のある王に、神は一つの『情け』を与えてくれたのかもしれない。
特別な指輪は、伴侶に自身と同じ不老性を与えることができる代物だった。愛する者と時間を違えないようにというかのように。
その代わり、神子ではなく、特別に不老性を与えられた伴侶は、王が死ぬと指輪がなくなりほどなくして生を終えるという。
わたしは結婚しなかったから、使うこともなかったとしても、知っている。
でも、分からない。
手が、わたしの手から離れた。わたしの手は、体の横に垂れる。
「睡蓮は随分鈍いな」
鈍いと貶しながらも、紫の瞳は慈しむように細められ、手がわたしの頬に触れた。
「分からないと言う睡蓮に答えをやる」
頬を撫でる触れ方を、わたしは知らない。
近づく、この近すぎる距離も。
唇に、柔らかいものが触れた。
それが離れても呆然として、固まっていると、また触れる。
その行為が何だと理解して、やっと動きを取り戻した。
「──まって」
「待たない」
止めようとした手に唇が触れて、びくりと震えが走った。
「俺は、今まで睡蓮を待っていたわけじゃない。二度と会えるはずがなかったからな。だが、再びこの手で触れられたなら」
手が、わたしを引き寄せる。
「もう後悔しない。俺は、お前を離せない」
息がかかるほど近くから、紫苑がわたしを見る。
間近にある目が、目を離せない色を宿していた。力を使おうとしているための不思議な色合いではない。
本当に色が変化したのではなくて、雰囲気がそう感じさせてくる。
「俺が、睡蓮を愛しているから」
その言葉に驚いた。
けれど同時に、胸が疼いた。
「──紫苑」
何とか名前を呼ぶと、紫苑が微笑んだ。
「俺が、また名前を呼ばれてどれだけ嬉しいか」
声に滲む、心底嬉しそうな声音に気がついてしまった。目が、何の感情を宿していたのかも。
「嫌われたくはない。だが、絶対に離さない。この国が好きだと言ったことがあるだろう。なら、ここにいればいい」
もう別れはいらないと、紫苑は囁くように言った。
「もしも、また会えたなら──絶対に帰してやらないと思っていた」
わたしは彼から目を逸らせずに、けれど、何の言葉も返すことができなかった。
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