14 「これ、何の唄だっけ」





 わたしの現在の仕事って、あんまりない。

 と言うより全然ないに等しい。

 だって、この国付きの神子ではなく、百年ぶりに王が立った国の経過観察という名目の、神子長の特使だ。それだって名ばかりで、毎日の連絡は報告じゃなくてほぼ単なる雑談ばかり。

 一日の流れは、時々雪那の様子を見に行って、それ以外は女官や神子と話したりお茶をしている。


 そろそろ、誰かに謝った方がいいかもしれない。誰に? 誰かに。

 ろくに役立つこともしていないのに、楽な生活を送りすぎだ。

 これなら前世のときはもちろん働いていたし、今世でも暮らすために働いていたのに今のわたしは何をしているというのだろう。

 雪那には、どんな国にしたいか目的を描けるといいといったが、わたしもこの先の生き方を考えなければならないのではないか。

 とは言え、神子として生きることは決まっていて、蛍火の意見通りで行けば内界を本拠地にすることになる。


「それにしても、蛍火は、わたしを近くにいさせてどうするんだろう」


 前は蛍火の方がわたしの側にいたから、その反対もいいかとか言っていたけれど。具体性がないにもほどがないかな? そのうち飽きるのでは?


「蛍火がいいならいいんだけど……。一回神子としてどういう位置付けになるか聞いておかないと」


 内界の神子の仕事は何なのか、知らない。

 国付きの神子は、占術を行う。国の祭事の日取りを始め、王が所望すれば毎日の細かなことの吉兆まで占う。祭事と言えば、ほとんどの祭事には儀式がつきもので、それらは完全に彼らが仕切る。

 そして、国付きの神子は政治にも関わる。

 だが、内界の神子は各国に介入しない。

 一番の仕事は、神に代わり、王の選定の一連の流れを取り仕切ることだろうけど、毎日あるわけでなければ毎年あるわけでもないだろう。

 内界自体謎に包まれているが、そこにいる神子も謎に包まれている。


「このままだと雑用くらいしか役に立てない予感」

「あれ? 花鈴様」


 見上げるように振り向くと、神子がいた。

 反射的に、何となく本棚から引き抜いていた本を背後に隠した。


「図書室でお会いするのは初めてですね」

「そうだね」


 ここは図書室。

 ただし、雪那が休憩場所にしている奥ではなく、入ってきたところの誰もが利用する「図書室」だ。


「何か本をお探しですか? ええと、ここは……」


 図書室の本は、分類されている。その分類のされ方と、棚の位置を把握しているらしい。秋明は、本棚に並ぶ本に視線をやった。


「いや、ここは歩いてただけで図書室に来たのも散歩がてらみたいな感じ」

「そうなんですか」

「秋明は、何か本を?」

「いえ、私は今日は司書として。各国には貴重蔵書があるため、その管理は神子の仕事です」

「ああ、そうだったね」

「とはいえ、こうして書架の間を歩いていたのはついでに見ていこうと思ったからなんですが。やっぱりと言うべきか、内界とは蔵書が違いますね」


 そこでわたしを見つけたのか。運が悪い。

 内界の蔵書は、どれほど異なるのだろう。知らないとは思わせられないので、そうだね、とほどよい相づちを打っておく。


「あ、そうだ。わたし、近い内に内界に戻るね」

「え」


 さっさとこの場を離脱するか、と考えていたのだけれど、ぱっと思い付いたことを言っておいた。

 そうしたら、秋明という名の神子は目を丸くした。


「お戻りになられるんですか?」

「うん。……どうしてそんなに意外そうなの?」

「いえ、てっきり、もうこの国付きの神子になられるのかと」


 違うのかぁ、と神子は頭をかいた。


「残念です。花鈴様とお茶するの、姉と過ごしている時を思い出して、勝手に落ち着く時間だったので」

「お姉さん?」

「はい。つい数年前にこの世を後にしましたが、姉がいました」


 この神子は、三十年ほど前に神子になったのだったか。家族がまだ生きていてもおかしくない。


「そっか……」

「とは言え、神子になってからは一度会えたくらいで、縁自体は薄くなっていました」

「それでも、いなくなると悲しいし、寂しいでしょう」

「そうですね」


 不老の身を得るということは、そういうことだ。

 縁を薄くすることは、正しい処置と言える。ほぼ確実に先に旅立たれるのだから、そのときが来ても悲しみが薄いように。


「何ですか?」


 ちょいちょい、と手招きすると、神子は首を傾げた。


「ちょっと頭を」

「頭? どうぞ?」


 屈んで、下がった頭に手を伸ばす。


「お姉さんぽく、頭を撫でてあげよう」

「──ははは、ありがとうございます」


 笑いながら、完全にしゃがみこんだ彼の頭を優しく撫でた。雪那を撫でるように。


「花鈴様、絶対弟がいたでしょう」


 撫で撫でが終わり、立ち上がった神子がそんなことを言った。


「おっ、根拠は?」

「年下の男の扱いが上手いからです」

「言い方が」


 言い方はともかく、核心はついていた。

 ただ、過去形なのは、わたしが神子長の特使という高い地位めいた肩書きを持っていることで随分年上だと思われているからだろう。そして、雪那が弟だとはまさか夢にも思わない。


「まあ、当たり」

「やっぱり」

「可愛い弟だったし、今も可愛いよ」


 かつて、わたしより先に死んだ弟は可愛い弟だったし、今世の弟である雪那も可愛い。


「──じゃない。話随分ずらしてしまってすみません。内界に戻ることは、陛下にはもうお伝えになられたんですか?」

「まだ。早めに伝えておこうとは思っているから、様子を見て言おうと思って」

「そうですか。今のところ陛下が一番気を許してらっしゃるのは花鈴様なので、私達にはそんな素振り見せなくとも残念がられるんじゃないでしょうか」


 そうかもしれない。

 だけれど、他の神子と関わってもらわなくては。頼るのが、わたしではなくて、王付きの神子になったりすることは大切だ。


「陛下のことをよろしくね」

「それはこの国の神子筆頭のれい様に仰るべきことじゃないですか?」

「ちょっと伝えておいて」

「えええ、今すぐお戻りになるわけじゃないでしょう?」


 冗談だ、と言って、伝えておくだけ伝えておきたかったので「じゃあね」とその場を去った。


「そうだ、花鈴様ご存知で──ああ、もう行ってしまったか」


 別れた直後、神子が振り向いたが、そこにはもう姿はなかった。


「……まずい、本持って来ちゃった」


 図書室を出たわたしは、手にしている本に、「しまったぁ」と額に手を当てる。

 本は、国の歴史についての本が並ぶ本棚から何となく抜き出したものだった。どうして隠したって、今さらこの国の歴史かと思われるのが嫌だった──のは、前世の感覚ではないか。


「いっそ読んで、後日返しに行こ」


 むしろ今から読むか。

 静かな場所。静かな場所。何か、騒がしいなぁ。廊下の先から、忙しない雰囲気が伝わってきて、遠ざかる方に角を曲がった。


「思えば、神子の占術のやり方の本なんてあるはずないよね」


 神子と言えば、占術、と思って図書室をふらふらしついでに本棚を眺めていたのだが、神子だけの秘技である占術の仕方が本にしたためられて、普通の図書室にあるわけない。


「でも、占術のやり方も知らない神子って、まずいよね。……この本、歴史じゃないじゃない」


 歩きながら本をぱらぱらしていると、歴史の棚から持ってきたはずが……。


「……」


 歩きながら、文章を追う。

 結果的に言うと、本は、小説だった。

 世には、娯楽を目的とした物語を書く者がいる。生活と時間にゆとりのある貴族が主に中心に入手する。

 一方、平民は口伝てで物語を得る。昔から伝わる話を寝物語で聞かせられることがほとんどで、子どもの頃に終わることが多い。

 だが、世には国中を旅し、芸を職とする者たちはさまざまな物語の劇をする者たちがいることを知っている。流行れば、民たちがこぞって物語を口ずさむ。

 男子には勇敢な物語が。婦女子には恋愛物語が好まれるという話を聞いたことがある気がする。


「……これ、何の唄だっけ」


 はた、と頁を送る手を止めた。

 無意識に鼻唄を歌っていたのだけど、歌っていた歌が何か思い出せなかった。誰に教わったんだろう。お母さんじゃないし……。

 わたしは、この物語を読んだことはないけれど、聴いたことがある──。


「あそこに壁なんてあったか?」


 前方から、声が、聞こえた。

 足が勝手に止まり、わたしは、ゆっくりと本から顔を上げた。


 場所は気がつかないうちに、外に面した廊下になっていた。壁はなく、屋根つきの外廊下だ。

 人は自分以外に──五歩も行けば届く前方に二つ。

 そこの曲がり角から出てきたらしい二つの姿は、それぞれ異なる格好をしていた。片方は神子の服装だが、その青には目がいかなかった。

 隠そうともせず、晒された横顔。灰色の髪、紫の目。高めの鼻梁に、今は上にも下にも向かない唇は、よく弧を描くことを知っている。



 ──紫苑








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