8 「私が一日に一度くらい、睡蓮様のお顔を見たいからです」
「
わたしは、花の形を模した鏡に向かって話しかけた。
手のひらより一回り大きいくらいのこの鏡は、蛍火が内界に戻るときにわたしに渡していったものだ。
こうして、特別な力を使って離れたところにいる相手と顔を合わせて話すためにある。神子と王にしか出来ない意志疎通手段だ。
そう、今、鏡にはわたしの顔ではなく、蛍火が映っている。
鏡に映る蛍火は、緩く頭を振った。
『あなたに『様』と呼ばれるのも丁寧な言葉使いをされるのも勘弁願いたいのですが』
「贅沢者」
なんて贅沢なことを言うのだ。
様も丁寧な言葉使いも、目上の者の特権で、悪いことなどありはしないだろうに。
『贅沢をするのなら、睡蓮様に側にいていただく贅沢をしたいですね』
蛍火は、こんなことを言う。
「それのどこが贅沢なの。前は互いが空気なくらい当たり前にいたじゃない」
今さら贅沢になり得る要素が一欠片もない。
「ちょっと、何」
蛍火がやれやれといった様子になるので、納得がいかない。
軽口を、まともに返したのに呆れたとでも言うのか。
この定時連絡、切ってやろうか。
と思っても、これはほぼ蛍火の『神秘の力』により成り立っているので出来ない。わたしが繋いだのは、わたしのタイミングで連絡するようになっているので最初だけだ。
今世のわたしには神秘の力はほぼないに等しく、内界にいる蛍火の存在を掴むことも、鏡に映すことを維持するのもろくに出来ない。蛍火の存在を掴めているのだって、この鏡だからだ。
今世のわたしは、ポンコツだなぁ、と思ってしまう。
「なんか、この距離不思議だね」
互いが空気なくらい当たり前に側にいた、と自分か言ったことと、今の状況を比較して言うと、蛍火が首を傾げる。
「向き合うなら、ずっと直接で、側にいたから」
鏡を通してというのは、中々新鮮だ。
どこかに出掛けても、連絡なんて取らなかった。どうせ帰る。帰ると会える。
「これ、二日に一度……三日に一度くらいで良くない?」
『全然、良くありません』
即答で却下された。
「どうして」
『それは私の言葉です。どうして、数日に一度でいいと思われるのですか?』
「え、単純に毎日しなくてもいいんじゃないかって思うから」
『それは理由になっていませんね』
いや、まあ、感覚的な理由なんだけど。
全否定されるとちょっとむっとする。
「じゃあ、毎日する理由って?」
じゃあそっちの理由はどうなのだ、と質問を投げ返してやる。
『私が一日に一度くらい、睡蓮様のお顔を見たいからです』
何だって?
心底今何て?という顔になると、蛍火がふっと息をついた。なんでため息?
ますます分からない。
『睡蓮様、おそらくあなたは生まれ変わって、ご自分がお亡くなりになってからの年数の実感がそれほどないのではありませんか?』
「う……うん」
正直、二百年経った実感はない。わたしがその時におらず、過ごしていなかったからだ。
『対して、私は丸々二百年です。二百年振りに、睡蓮様にお会いしました。いくら二百年前はほぼ毎日のように側にいたとはいえ、二百年はいなかったのです』
「…………」
『お分かりになってくださいましたか』
「……たぶん?」
曖昧な返事だったけれど、蛍火は仄かに微笑んで、『まあ、それでいいでしょう』と言った。妥協ですか。
『では、毎日という取り決めにも変更は無しということで。……ところで、今どちらに?』
「外。庭」
人気のなくなった場所に、座っている。
宮の部屋であろうと、どこであろうと人が来るかもしれない可能性はある。そのため、蛍火が鏡が繋がっている間は周りに結界が張られる仕様にしてくれていて、人にはわたしが見えないし声も聞こえない。
「雪那とお茶してたの。いや、正確には雪那のお茶に付き添ってたんだけど」
お裾分けのお菓子を摘まんで見せながら、説明する。いいだろう、と見せびらかしてから食べる。
『西燕国王は』
「雪那は勉強」
雪那の一日は、ほとんど勉強だ。
臣の位、国の仕組みという基本的なことから、政治の仕組み、法。宮殿の決まり事……など。非常に多岐に渡る。
先日の衣装決めは、特別だ。特別な行事があれば、あのようなことが起こる。
しかし催事がない日々の方が多く、国の中枢の仕事は国の運営だ。
雪那は、政治とは縁遠い生活をしてきた。平民であり、職も遠い遠いものだった。
「雪那は、絵が得意な子なの」
『そういえば、共にお店をされていたとお聞きしましたね』
「うん。雪那がいなければ、わたしは店はしなかったと思う」
『私からすると、睡蓮様がそれほどの刺繍の腕をお持ちであるところが未だに新鮮な心地なのですが』
「わたしも自分で意外だった部分はある。でも、前も才能自体はあったかもしれない、って思うけどね。前はそもそも習わなかったし。裁縫自体得意でね、蛍火にも何か縫ってあげよっか。ハンカチに何か」
『それは嬉しいです』
「商品にもなり得るものなんだからね」
って話がずれた。
「雪那はとても大人しくて、外で遊び回るような子じゃなくて、室内で一つのことにじっと取り組むことが好き。それが絵だった。雪那には才能があって、刺繍の絵柄一つ取っても際限なく生み出し続けた。でも、元々賢い子ではあるのよ」
勉強をさせて、学校に行ってもきっと雪那は成功すると思ったことがあった。
けれど……。
「……ここに来てから見る雪那は、疲れた顔をする。前まで、あんな種類の疲れた顔は見たことなかったのに」
今の雪那には学ぶことが多い。
彼のこの先の職業は、王だ。画家、芸術家ではない。政治をしなければならない。
『絵は、お描きになっているのでは?』
「うん。……でも、見た感じじゃ、途中で筆が止まってぼーっとしている方が多い。完成した絵は一枚もなかった」
『……今は、その手も止めたいくらい休息を欲しているのかもしれませんね』
雪那は、疲れている。それは間違いなかった。
休息はある。今日もお茶の時間があった。雪那は笑った。
でも、その時間が終わると、憂鬱そうに立ち上がった。彼は、疲れている。あれは、一日丸々休ませて取れる種類の疲れではないように見えた。
「……」
彼が、何に、疲れているのか。
『勉強と言えば、睡蓮様もほぼ一からでしたね』
「そうだったね。わたしのときも、疲れてた?」
『どうだったでしょう』
覚えていなさそうだ。
そういうわたしも覚えていない気がする。
わたしの話題はそこで打ちきりにする。
「ねえ、蛍火」
『はい』
「この国の前の王は、なぜ死んだの」
誰かに聞いておきたいと思っていた。
誰かにと言っても、百年前のことで、さらに今この宮殿は新王の即位に向かっているのにそんな話題は軽率に出せない。
では、蛍火に聞けばいい。彼なら、百年前も生きていた。
『臣による反逆です。いえ、反逆と言いますか、王としての資質の有無と罪を問われ、首を跳ねられたそうです』
王の選定は神子が仕切る。神子は神の代理人でもあるためだ。
従って、王は神により選ばれるということになるが、国を揺らせば王は臣や民からの糾弾を受ける。当然だ。
王は国のためにある者。神より玉座を与えられ、また『選定の途中』にあり、神ではない。
「……その王は、何をしたの」
『娯楽的な政策を打ったとか。前の西燕国王は元は地方の領主をしていた人物で、音楽が大層好きな方だったようで、王位に就くなり楽師を抱えるほどだったそうです』
蛍火は、深くは伝聞になります、と前置きし、続ける。
『その後どんな流れがあったかは知りません』
国付きの神子は別だが、内界にいる神子は各国の政治にわざわざ介入したり、王に道を解いたりしない。
蛍火がその前は西燕国に千年近くいたとしても、任を解かれて内界に戻れば関係ない。
『彼の時代の末期──時代は数年だったようですが、末期には彼は政務を放棄したと聞いています。楽師を幾人も抱え、さらに踊り子、派生して正式な伴侶にはしない愛人を多く作り……そのときがやって来たのでしょう』
その王の末期は、大層賑やかだったのだろう。派手に、賑やかに。
わたしが知っている宮殿にはないものだ。今も、昔も。
『王は、王になった瞬間から人の域を越えます。神子とは異なる意味も持ちます。神子は神に進んで仕える身ですが、王は神に選ばれ、地を任された方です』
ゆえに。
『その身の特別さに酔いしれる王は、歴史上多くいました。これは確実です。……前の西燕国王が単にそうであったかは分かりませんが、末期の宮殿の様子だけ聞くと『それ』と同じように捉えられてしまいますね』
その通りだ。
なぜ死に至ったのか、なぜそのような行動に至ったのか。もしかすると、伝わっていないところに『理由』があるのかもしれない。
それでも、抜群に『良いことだけ』か『悪いことだけ』しか後世には伝わらないのが大部分で。
前の王の末期は、各国の王の歴史上でも聞いたような、あってはならない王の有り様そのものでしかないのだろう。
『もう、即位式ですね』
もうすぐ即位式。
この国に、百年振りの王が立つ。多くの国民は期待を胸に抱いているだろう。女官も浮わついている。
王が立つのはよいことだ。祝い事だ。
この先、どのような結末を迎える王だとしても、即位のときは誰もが期待を抱くようになっている。
わたしのときは、どんな風だったか。
周りの様子、自分の様子。即位の瞬間の景色。
不安はあっただろう。自分が上手く政治をやっていけるとは思っていなかった。意欲はあった。
雪那は、今、何を考えているのだろう。先に、何を見ているのだろう。
「どうしたの」
何となく雪那の部屋に行くと、雪那が困った顔をしていた。
本当なら、ちらっと見るだけか、壁際にそっといるのだが、つい声をかけてしまった。
机にいる雪那に対し、向き合っているのは……服装からして臣だ。
「神子殿ですか。いえ、何、陛下は即位前ですがすでに神に選ばれた王です。判断して頂きたいことがあり、判断を仰ぎに参ったのです」
にこやかに言う、その表情に引っ掛かりのようなものを覚えた。
自分が王であった当時なら、苛つきを覚えたかもしれない。そんな気分になった。なんだろう。
雪那は王になる身だ。即位前とはいえ、国政に関わっても問題ない。遅かれ、即位後には強制的に関わることになる。
けれどその臣下の言葉は、はりぼてで、王を王として見ていない侮りが感じられたような……気がした。
確かに、雪那に判断を聞くこと自体はおかしくはないのだ。
だが、わざわざ、と感じた。雪那はまだ一人ではきちんとした判断ができないだろう。そこまでの知識と、経験がない。勉強中で、正式に責務が生じる即位式もまだだ。
「……」
これ、もしかすると身に覚えがあるかも。
ああ、なるほど。そういうつもりの人間か。
わたしは、目を細くした。
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