9 「神子長様、暇ですか?」
大勢の人がいた。
今日は特別に宮殿の大門が開かれ、大勢の者が宮殿の前に詰めかけている。あまりに多くて、人々が動くと粒が蠢いているように見えた。
しかし、彼らから王の顔は見えず、姿もそれこそ豆粒程度にしか見えないだろう。
王は、宮殿の上の方に出てくるだけだ。
初めてその場に立ち、全ての視線を受け、歓声を浴びたとき、肌が粟立った。これから、自分はこの全ての人間を背負っていくのだと全身で感じさせられた。
「……?」
外を覗くのを止めて、廊下を歩いていると、何だか忙しないと思った。
忙しそうなのは当たり前だけれど、やけに焦っているような。何か不測の事態が起こったのだろうか。
「花鈴様!」
女官の一人が、わたしに気がついて駆け寄ってきた。
「陛下をお見かけになりませんでしたか?」
「……いらっしゃらないの?」
答えではなく、質問を返してしまった。
見なかったか、と聞くというのはどういうことか、察した。
案の定、女官は蒼白な顔で頷いた。
「一人になりたいと仰られていたため、しばらく部屋にお一人になって……」
女官曰く、
いなくなってまだ約十分だと言うが、近辺には姿がなかった。中には誰も入らなかったし、外には警護の人員がいた。他の出口と言えば窓だけだけれどかなり高いから出られるはずがない、と女官は泣きそうだった。
「探すのを手伝っていただけませんか……!?」
「ええ、もちろん」
外を見ている内に、宮殿の中は混乱に陥っていた。
王がいない。
「雪那……?」
彼の身に、何か……?
中には誰も入らなかったと言うからには、誰かに連れ出されたんじゃない。
いや、そもそも、女官は外には警護の人員がいたと言っていたし、扉から出られたとしても、今日は廊下には常時人が行き交っている状態だ。雪那一人で出たのでも、目撃情報がないのがおかしい。
雪那、一人で出たとしても……。
「……雪那、まさか」
他に考えられる出口は窓だけだが、かなり高いから出られるはずがない、と女官は言ったが、それは『常人』の常識だ。
わたしは、王を探して走り行く人が多い廊下を避け、手近な部屋に入って鍵をかける。
マントの内側の紐を手繰り寄せ、吊り下がる小さな鏡を出す。
コンコン、と二度つつくと、花の形の鏡は顔を映すくらいの大きさになって浮かぶ。
「神子長様、暇ですか?」
鏡が、水面のように揺らぐ。波紋がいくつも広がり──
『中々失礼な聞き方ですね、それ。それからその呼び方は止めていただきましょう』
「蛍火、時間ある?」
『睡蓮様がご入り用なら、いくらでも』
なにそれ。あるの? ないの?
まあいい。時間は出来ると解釈しよう。
「雪那の場所、探せない?」
『西燕国王の居場所、ですか?』
蛍火は怪訝そうにしたので、わたしは雪那がいなくなったことを説明した。
『……なるほど。有するはずの力を使えば、目撃情報なくその場から出ることなど容易だとお考えになったわけですね』
「そう」
『探すことは可能です。今すぐ西燕国の鏡で詳しく探させましょう』
蛍火は歩きはじめたようだ。
おそらく、内界にある水鏡の間に向かっているのだろう。内界の水鏡は、各国を映すように分かれている。
王候補を探すときにも用いられるそれに、王候補がどのように映るのかは実際には見たことがない。
ただ、王や神子がどのように映るかは見たことがある。王は金色の光で、神子は白い光で映る。
王と神子が表れているというより、王と神子が持つ『神秘の力』が光として映し出され、居場所を表す。その力を持つ者がそこにいる、と。
『光はありますね。……力の使い方はまだそれほど達者ではないかと思われますので、突発的に飛んだのかもしれません。光がしっかり見えるということは、結界は張られず、意図的に完全に気配まで隠そうとはされていない証拠です』
「そもそも、そこまでする人いるかな」
『そうですね、さしもの睡蓮様もしませんでしたね。……詳しい場所が分かりました』
「どこ?」
『宮殿の図書室のようです』
図書室?
言われた通り、図書室に向かってみた。
図書室という場所に相応しく、その近辺は、外の声も中の慌ただしさと焦りからも縁遠い空気で満ちていた。
鍵がかかっていたがそこは『裏技』で何とかして中に入ると、司書さえいなかった。だから鍵がかかっていたので、納得がいく。
完全に、しん、とした室内をきょろきょろしながら歩いていく。
「陛下ー」
へーいかーと、呼ぶ声は、小声なのに意外と通る。人がいないせいだ。
小走りで、本棚の間を覗き回ったが、雪那はいなかった。
「蛍火、いないんだけど……」
いないんだけど、まさか彼が嘘を教えるはずもない。
立ち止まって、一度考えてみる。
雪那が、いるとしたら。
即位前に、行くとしたら。
どこに行く。どんな場所を求める。
「……もしかして……」
図書室というのは理が叶っている、と思った。
即位前のあの空気で、忽然と、誰にも言わずに姿を消すということは、一人になりないということだ。
その点、図書室は普段から静かだ。
教えを受ける場所でもなく、本を読む場所。読書は、一人でする。邪魔しようとは思わない。
わたしは、入って広がる、広い場所ではなく、司書や許可された人間にしか入れない扉を開いた。もちろん、鍵は『裏技』でかちゃりだ。
扉の向こうには、廊下があり、奥の空間がある。地下もあるが、ここは、廊下の右手にある扉の一つを開いてみた。
ふわっ、と古い書物のかおりに包まれた。先程の場所より書物のにおいが濃いここは、狭めの部屋に、書物がたくさん置いてあった。
棚の本は、一列だけでなく、二列目と重ねられ『図書室』のような配慮はない。それどころか、棚同士の間自体ぎっしり間が詰まっていて、普通には取れもしないようになっている。
中央にだけ、人が一人通れる通路が一本あった。
ここは、片付ける気がないのか。放っておこうと思うと、何年、何百年でも放っておけるものなんだなぁ。
一本の短い通路を抜けると、本棚がないちょっとした空間に出た。
机と、椅子が窓辺にあって。
窓辺に、彼は座っていた。
「陛下」
窓の外を見ていた雪那が、ぴくりと震えて、振り向いた。
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