7 「『千年王』の影響でしょうか」





 即位式が近づく空気は、宮殿で過ごし始めると感じてきた。


「とてもお似合いです」

「ですが、こちらもお似合いになるかと」


 即位の式典用の衣装決めが始まっていた。

 本日、雪那の部屋はごちゃごちゃしている。ごちゃごちゃと言うと、でたらめに散らかっている雰囲気が出てしまうか。

 正確に言うと、服、服未満の布、装飾品がそれぞれけっこうな量が広げられているので、色んな色が散らばってごちゃごちゃしている印象を受ける。

 わたしは、入ったところでそっと壁際に寄った。


 雪那の姿は、人の中心にあった。

 すらりと高くなった背丈のお陰で、頭半分くらい出ている。周りの囀りを側に、若干戸惑ったように何か返答しているようだが、基本的にされるがまま。

 我が弟ながら、顔立ちは中々良い。可愛らしい具合だ。

 これまで、平民の簡素で地味な服装ばかりだったけれど、こうして見ると派手な服も似合うんだなぁ。


「ね──花鈴かりん


 雪那が、わたしに気がついて、危うく「姉さん」と呼びそうになりながらわたしを呼んだ。

 花鈴、という呼び方は、まだまだ慣れなさそうだった。

 雪那の声と、視線が向いたことから、彼を囲む女官たちが一気にこっちに注目した。目が一対、二対、三対、四対……とにかく視線が多い。

 見物を決め込んでいたわたしは、びっくりだ。反射的に、もたれていた壁から背を離した。


「花鈴様」

「はい何でしょう」


 いきなりで、敬語になった。

 挙動がおかしかったのか、女官たちが少しだけくすくす笑って、明らかに歳を重ねた女官──女官頭の咳払いを受ける。

 くすくすと笑っていた女官たちは、一斉に笑うのを止め、焦った様子で、


「どれがお似合いになると思いますか?」


 わたしに衣服を示した。

 次いで、他の女官も異なる衣服を手に持ち、見せてくるため、わたしの視界に贅を尽くされた衣装がずらりと並ぶ。

 どれが雪那に似合うと思うか。

 おお……こういうの、苦手なんだよね。

 甦るは過去の自らの同じ状況。長くもやっていると、それでいいだの、選んでおいてくれだの出来るが……雪那では難しそうか。元々、自分の意見を通すより耳を傾ける方に回る子だ。


「せ──陛下は、どれも似合うと思いますが、個人的にはその柄がいいなと思います」


 即位前でも、すでに彼は陛下と呼ばれていた。わたしも雪那のことは言えない。危うく雪那、と呼んでしまいそうになりながらも取り繕い、微笑んで答えておいた。


「ところで、そろそろ休憩を入れない? お茶の手配をしてきたから」

「あら、そういえばもうどれくらいになるでしょう」


 軽く一時間はこんな状態だったのだろう。

 女官たちが、軽く雪那に羽織わせていた衣を退けはじめたので、わたしは少し離れたところにある卓の元まで行って雪那をこっそり手招きした。

 弟は、こっそり手招きに気がついて、周りを見て行っても良いのか確認してから、やって来た。


「お疲れ」


 小さく言って、椅子を示す。

 雪那は、肩が軽くなったような素振りを見せていたのだ。普段よりさらに重く堅苦しい衣服から解放されたためだろう。


「ありがとう」


 休憩を入れた礼か、単に椅子を引いた礼か。

 雪那が微笑むと、驚いたように互いに顔を見合わせる女官があり、頬を染める女官もあり。

 この光景、どこかで……あ。


「蛍火か……蛍火だ」


 蛍火現象を今再び見た気分になった。


「けい……何?」

「ううん、あ、いいえ」


 何でもありません、と言うと、雪那の表情に寂しそうなそれが過った。

 ほどなくして、お茶が運ばれてきて、つかの間の休憩となった。お茶を飲みながら、雪那がこちらを見た理由が分かったけれど、わたしは微笑み続けていた。

 同じ席に着くわけにはいかない。


 休憩あとは、再び衣装選びが再開され、あれだこれだと意見が飛び交いながらも衣装は決まった。

 百年振りの王の即位だ。神子以外の、限りある寿命を生きる彼らは、全員王の即位はもちろん王が玉座にいる状態が初めてのこと。浮き足だっているようだ。

 少なくとも、女官たちは。


「陛下の御髪はとてもさらさら。もう少しお伸ばしになればいいのに」

「御髪も美しいけれど、お顔もお美しくていらっしゃるから、どの衣装もお似合いになられたわね。内界へお行きになる儀式服を身につけられると、どれほど……」


 衣装を決め終え、部屋を辞した女官と一緒に歩いていると、女官たちは頬を紅潮させ、口々に話す。


「花鈴様は、即位式が終わったあともこの国におられますよね」


 ふと、尋ねられた。

 わたしは、質問の意図が図れずその女官に向かって首を傾げる。その首の傾げをどう捉えたのか。


「陛下付きの神子様になられるのではないのですか?」


 各国には複数人、神子が常駐している。

 全員内界より使わされた神子だ。中には、かつて王に選ばれなかったが、神子として居続けることにした者がいるとか。神子となると決めた者は、一旦内界に行き勤め、祖国付きとして戻ることがある。

 国付きの神子の中でも、王付きとは、他の神子のまとめ役で、神子の中でも位を持つ者だ。正式な言い方ではない。

 以前のわたしにとってのその神子は、蛍火だった。彼は、本当に随分生きている。


「いいえ。残念ながら、王付きになるのは別の神子のはずよ」

「そう、なのですか? 陛下は花鈴様に大層心をお許しになられているようなので……。あのようにお笑いになる方なのだと、初めて知りました」

「そう、なの」

「はい」


 雪那とわたしが姉弟であることは、秘密事項だった。わたしの知る限りでは、当人の雪那と、それから蛍火くらいしか知らない。

 姉弟なのだから、他の人より心を許していると見えるのは当然なのだが。

 周りの人間からすると、王は新しくやって来た神子には打ち解けている風に見えているのかもしれない。

 残念ながら、蛍火と約束したこともあり、わたしは雪那付きの神子にはなれない。なれるならなるつもりがあったのかと言うと……それも微妙だ。

 雪那は可愛い弟だが、それとこれとは別。


「なにか?」


 雪那の、宮殿に慣れていない様子に思いを馳せていると、無視出来ない視線に気がついた。

 同じ女官である。

 わたしが軽く尋ねると、無遠慮にじっと見ていると自覚したのか、あっ、と視線を一瞬逸らした。

 逸らしたことにも「あっ」と言い、恥ずかしそうに、わたしの方を見た。


「いえ、あの……花鈴様も見た目より長い歳月を生きていらっしゃるのだろうなと思いまして」

「『も』?」


 どこからどう話が繋がったのか。

 雪那の話からではないだろう。


「確か、神子様も不老の身を持っていらっしゃるのですよね」

「ええ」


 王と、神子は不老の身を持つ。

 だからと言って両者共、同じような性質を持つのかと言えば、王と神子は立場の関係で決定的に異なる部分を持つのだが。


「わたしたち、神子様とお会いする機会はほとんどなくて……陛下も百年振りで。花鈴様はわたしたちと同じ年頃に見えても、神子様方はうんと年上の方が多いとお聞きしていたことを思い出して……」

「ああ、なるほど」


 女官は、この国の貴族の女子だ。他の貴族の女子と接する感じで、神子わたしと接してしまっている面はこちら側からしても否めない。

 王がいれば、神子も王の元に現れることがよくあるものだが、この国には王が百年いなかった。

 特別な日に神子を見ることはあっても、こうして接し、話すことはなかっただろう。

 はっ、と今、思い出して気がついた、というところか。


「まあ、でも、わたし自身は、神子となってそれほど時は経っていないの」

「そう、なのですか?」


 事実である。

 記憶としての年齢は、一体何倍というほどになるだろうけど、それは事実だ。

 わたしはにっこり笑っておいた。


 女官とは別の道を行き、神子が駐在している宮に向かうと、秋明しゅうめいという名の神子と会った。

 彼は、三十年前、波栄国という国の王選定時に集められたが、王には選ばれず神子となった者だった。見目は若いが、年齢は見目よりずっと重ねている。

 彼がお茶休憩しているところで、誘いを受けて共にお茶にする。


「花鈴様、陛下になつかれていますよね。……なつかれているは不敬か。今の無しで」


 神子というのは、見た目が老けないからか中身も中々歳を取り辛い面がある、かもしれない。神子のみならず、王にも言えることか。

 そしてこれは、歳を取る取らない以前の問題か。

 軽く、そこらの軽薄な若者のように言って、神子は自身の発言を取り消した。

 わたしは笑ってしまう。

 神子長の特使という肩書きにより、わたしは勝手に歳上に見られ、身分も上に見られていた。


「私もお会いしたんですが、あれは心を閉ざされていましたね」

「そのうち慣れてくるよ」

「そうですかね」


 元々、雪那は人付き合いが上手い方ではない。外面もあんまりうまくない。その代わり、慣れるとよく笑うようになる。

 近所の人には可愛がられていたけど、貴族のお客さんが来ても奥から出てきたがらなかったなぁ。


「……陛下は、大丈夫でしょうか」

「え?」

「あ! 違いますよ! いや? 違わない……んですけど、失礼な意味で言ったつもりではなくて」


 本当に二十代そこらの、人生経験まだまだの若者のように、彼は手を横に振り、必死に訂正する。

 わたしが「怒らないし、誰にも言わないから大丈夫だよ」と言うと、周りを見てから、動きを落ち着けた。

 湯飲みを口につけ、お茶を啜り、結局続けようとはしなかったように思えた、が。


「どうして、西燕国には王が立つのが遅いのでしょうか」


 先程からすると、落ち着いた声音だった。

 ちらっと見ると、彼は湯飲みを軽く揺らしていた。


「さあ……?」

「『千年王』の影響でしょうか」


 千年王。

 とっさに相づちが打てないでいると、向かいにいる神子はまた少し慌てたようになる。


「いえ、何となくです。他国出身の私もよく知っている王です。……あれほどの王はもう奇跡の域だと思うので、神もこの国を次誰に任せればいいのか悩んでいらっしゃるのかなぁ、なんて」

「……そんな馬鹿な」

「でも、王の選定が始まるまで『千年王』復活説がまことしやかに囁かれていたくらいなんだそうです」

「復活説……?」

「はい」


 彼が言うには、前の王──『千年王』の次の王が選ばれるまでに、通常より不在期間が長いので、『千年王』が復活するのでは、という話が生まれたという。

 なぜ、どこの誰が、と言いたくなる説だ。何の根拠、理由があってそう考えられたのか。

 そして、今回、前の王からまた百年の時が挟まれ、同じ説が浮上していたという。


「この国の人が、『千年王』を懐かしく思っているからかもしれませんね。この国には『千年王国』という時代があって、それは素晴らしく偉大な時代として間違いなくこれからも残っていく話でしょう。……ですが」


 ことん、と湯飲みが置かれる音がした。

 神子は、空っぽの湯飲みを見ていた。


「前の西燕国王は、たった数年で崩御されたそうですね」


 千年と数年って、極端ですね、と彼は言った。






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