Episode 57:ドリウスサン
ドリウスは男の子の手を引いて階段を上っている。螺旋状に続く階段に男の子は疲れていた。ドリウスが男の子の手を引こうとするもその場でへたり込んでしまった。
「もう歩けないよ。足痛いもん」
「もう少しだ。頑張れ。オレ様が付いている!」
口ではそう言ったもののドリウスの身体は依然として震えていた。カサカサと音がしてドリウスに小さな蜘蛛が飛び掛かろうとする。ドリウスはそれをランスで払い落とした。払い落とした場所が悪かった。男の子の前にボトリと落ちたそれは足元で蠢いていた。
「きゃっ!」
男の子が女の子のような声をあげると後ろに仰け反り階段から足を踏み外した。それだけではない。元々建付けが悪かったのか、朽ちてそうなったのか、階段の木製の手すりがバキリと音を立てて壊れ、男の子がそこから落ちる。
ドリウスが咄嗟に手を伸ばしたが、間に合わなかった。男の子は背中から空に放り出されたように落ちていく。
「ぅゎあぁぁぁぁぁぁ」
男の子の声がどんどん小さくなっていく。一方のドリウスは声すら出なかった。恐る恐る下を覗くも、真っ暗で何も見えない。声は既に聞こえなくなってしまった。その場に腰から砕けへたり込んだ。
「オレは……。また、救えないのか……」
ドリウスはうなだれた。小さな蜘蛛はゾロゾロと下へ向かって移動していく。ドリウスには興味がないようにゾロゾロと。
「何故だ。何故こうなるのだ。オレは、結局何も……」
ランスを壁に叩きつけた。グシャと音がして小さな蜘蛛が潰れる。その潰れた蜘蛛を避けるようにしながら何事もなかったかのように他の小さな蜘蛛は下に降りていく。
ふと背後に気配を感じた。だが振り返らない。振り返る元気すらなくなっている。後ろからそいつは徐々に近づいてくる。空気が震えている。とても不穏な空気だ。この感じ。間違いない。ドリウスはその気配の主を知っていた。
「オレを殺しに来たのか、マトハ……」
ドリウスが俯きながら呟くと背後から声が聞こえた。
「……何でぼくをコロシたの? 教えテよ、ドリウスサン」
マトハ。そう呼ばれた声の主はドリウスに問う。だが、ドリウスは俯いたまま口を開かない。マトハはそんな彼の後ろで笑っている。
「ドリウスサン。聞こえテるでしょ?」
ドリウスは歯をギリッと鳴らしてランスを放り投げた。ガッシャンガラガラと音がしてランスが階段を転がり落ちる。
「アハハ。いいノかな、武器を手放しテも」
マトハがドリウスの行動を見て笑った。彼はその笑い声を気にもせず目を瞑った。
「ねぇ、何で答えなイの。ドリウスサン?」
マトハが近づいてくる。壁についている階段を照らすための白いライトに当たり、暗闇から見えたその姿は白黒ボーダーのセーターを着た人間だった。手には大きなナタを持っている。
「ぼくの声、聞こえテる?」
「あぁ……聞こえているさ。ハッキリとな……」
ようやくドリウスが答えると、マトハはニヤリと笑って一気に階段を駆け下りた。そして、ナタをドリウスの上で振りかぶる。先ほどの質問に対する返答を待つかのようにそのまま静止した。だが、いつまで経っても答えを返さずドリウスは俯いている。
「何故ぼくをコロシたのか、答えテよ。ドリウスサン!」
「オレ様は! ……オレ様はただ、騎士になりたかっただけなんだ。でも、もう騎士になんかならない。オレ様は、もう人間の子を捕まえない。そう決めたんだ!」
マトハが声を荒げて再度問うと、ドリウスは決心を叫んだ。それを聞いたマトハは笑いだした。
「アハハ、何それ。正義ぶっテるの?」
カチンときたドリウスは勢いよく振り返り、ナタを振り上げているマトハの腕を掴んで睨みつけた。それだけだ。それだけしかできなかった。
「イたい、イたいよドリウスサン。だめだよ。抵抗しちゃ!」
マトハはドリウスを蹴り飛ばした。ドリウスは階段を転げ落ちる。少し下の踊り場でその身体が止まり、仰向けに倒れ込んだ。
転げ落ちている時に切ったのだろう。頭から血を流しながらぼんやりとした眼で上を見上げると、マトハがナタを握り締めて笑いながら立っていた。赤く光る目でドリウスを見下ろしていた。
「アハハ、変な格好」
言い返す力も出なかった。ドリウスの中にはもう何も残っていない。体力も、あの強い決心さえも、男の子を失ってしまっては意味がなくなった。捕まえないどころか守る事すらできないのだから。無力。非力。無様。ドリウスは自分の弱さを呪った。
「さテ、そろそろ時間だよドリウスサン。ぼくのお願い聞いてくれる?」
質問されても答えられない。答える力が残っていないのだから。マトハは一段一段ゆっくりとドリウスに近づいていく。ナタを引き摺りながら、ズルルズルルと嫌な金属音を鳴らしながら、不気味に笑いながら。
「ぼくのお願いはね。アハハ、何だと思う?」
ドリウスは答えない。答えられない。だが、頭では理解できている。マトハのお願い。それは――
「コ・コ・で・死・ん・デ・?」
マトハは一気に階段を駆け下りてくる。ドリウスは今頃になって全身が恐怖で震え上がった。振り上げられたあのナタは間違いなく自分に振り下ろされる。頭がどうにかなってしまいそうだった。そしてその時間も長く、とてつもなく長く感じられた。やめてくれ。そう叫びたくても声が出ない!
「バイバイ、ドリウスサン」
マトハが踊り場に足を踏み入れたその時――
「ドリウス!」
横から声が聞こえた。聞き覚えのある声。ドリウスはその声にハッとして涙を流した。マトハは声がした方を向いている。そこには男の子が両手を上に挙げた状態で空に浮いていた。それを見たドリウスの表情が曇った。蜘蛛の糸に引っかかり辛うじて落下を免れているだけだった。糸が揺れている。
「危なかったぇ。こなたの人間の
糸を辿ってアルバが登ってきた。ドリウスが立ち上がろうとする。力が入らなかった。打ち所が悪かったのだろう。両手、両足、頭、身体。すべて動かせなかった。だが、安心した。男の子が生きている。それだけでドリウスは力が漲ってくる気がした。
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