Episode 58:研究所

「ルフェルは……やられたのか?」

 

 ドリウスが何とか動く口でアルバに問うと彼女はにやりと笑った。


「ルフェルさんはわっちの物になりんした。もう自分の意思で目覚めることはないでありんしょう」


 ドリウスは目を見開いた。ルフェルがあっけなくやられた。信じられなかった。ドリウスは拳を握り締めて床に叩きつけてやりたかったが、そんな力はもう残っていなかった。マトハがスッとドリウスの目の前に瞬間移動してきた。ナタを振りかぶっている。


「やめてー!」


 男の子が叫んだ。ナタが振り下ろされる。ザクリと音がする。男の子は目を背け、涙を流す。絶望しかなかった。共に付いてきてくれた仲間が一瞬の内にやられた。男の子を守ってくれる化物はもういない。これで全員、失ったのだ。


 男の子は泣いた。ズルズルと引きずる音が聞こえる。目を開けたくても開けられなかった。目を開けるのが恐ろしかった。


 笑い声が聞こえる。それは男の子に良く似た声だった。狂気に満ち溢れた声だった。男の子は恐怖した。恐怖して身体を震わせて涙を流し、声を漏らした。


「そんなに泣くことはないでありんす。主もすぐに楽になりんす」


 アルバの声が聞こえる。優しい声で宥めるように言ってくる。男の子は首を横に振って下を向いた。マトハの笑い声が聞こえる。


「キミは、化物のこト好きだよね……?」


 男の子はコクリと頷いた。マトハが笑う。


「ボクも大好きだよ。ダかラ、化物を虐める人間は敵。ね、イッショに復讐しようヨ」


 男の子は俯いた。男の子の頭に何かが触れた。誰かに撫でられている。とても暖かな優しい手だった。男の子は胸が熱くなった。勇気が涌いてくるようだった。実際には誰にも撫でられていない。だが、確かに感じた。温かい手をそこに感じた。


「キミの答えが出るまで二匹は預かってオくネ。死んデはイなイから、大丈夫。決心ガつイたら城に来て。待ってるヨ」


 マトハはそう言うとズリズリと何かを引きずる音をさせながら動き出した。男の子の身体がヒョイと持ち上げられ、踊り場に寝かせられる。


 男の子は目を開いた。マトハはもういなかった。血の痕が階段の上へと続いている。ドリウスが引きずられて行ったのだ。カサカサと音を立てながら小さな蜘蛛は壁を登っていく。その後ろからアルバがルフェルを背負って登っていく。


「ルフェルお姉ちゃんをどこに連れて行くの!」


 男の子が叫んだ。アルバはくすりと笑って口を開いた。


「城に決まっているでありんしょう。主の勇気を見せてくんなまし」


 アルバが壁を登っていこうとする。ふと足を止めて振り返る。


「一つ、言っておきんす。わっちは総長とは違いんす。違いんすが、主の味方でもありんせん。わっちはただ……。ただ、マトハさんを止めて欲しいだけでありんすぇ……。では、失礼しんす」


 アルバがにっこりと微笑んで壁を登っていった。男の子は俯いた。アルバが言っていたことは理解には及ばなかったが、アルバは別段悪い化物ではないようなそんな気がしていた。それから、自分に似た姿を持つマトハはどこか悲しげに見えた。少なくとも男の子にはそう感じた。


 男の子は上を見上げた。階段が螺旋状に果てしなく続いている。後ろを振り返る。何か光るものがあった。男の子は何かしらと思い近づいてみる。


 短剣だった。主の手から離れランスの姿を保っていれなくなったドリウスのボロボロな短剣だった。男の子はその短剣を拾うとギュッと握り締めて再度階段の上を見る。そこには人型の光が立っていた。


「だれ!」


 聞いても答えてくれない。その光はどことなく男の子に似ていた。そしてどことなくマトハに似ていた。ゆっくりと手を彼に差し出しておいでおいでと手招きしている。


 男の子は意を決して階段を上り始める。手招きする光は少しずつ階段を上へと上って行く。まるで男の子を導いているかのように。


「まって、ねぇ、まって!」


 男の子が待ってと言うと光は待ってくれた。決して話すことはなかったが、男の子を心配するように見下ろしてふわりと階段を下ってくる。光は優しく頭を撫でた。先ほど感じたあのあたたかい感じは、この光が男の子の頭を撫でたものだった。


「ありがと……」


 男の子が礼を言うと光はまたふわりと階段を上り始める。光が励ましてくれている。少なくとも彼にはそう思えた。だからこそ、一歩また一歩とその足を進めていく。


 階段の上には大きな扉があった。重そうな扉だ。男の子は息を切らしながらその扉の前に立っている。光はこの扉をすり抜けて行ってしまった。


 ドリウスの短剣を見る。何故かは解らないがその短剣は男の子に勇気を与えてくれた。短剣をショルダーバックの小さなポケットに仕舞い、扉を押す。大きな扉の割には男の子のような非力な人間にでも簡単に開けられた。


 中はだいぶ明るかった。その部屋の壁にズラリと並ぶカプセル。そのカプセルの中には何かが入っている。男の子はそのカプセルの前に立って見上げると、吃驚して尻餅をついた。


 胸に穴の開いた人型のものが中に入っていたのだ。それはどれも子供の姿をしていた。不気味だった。不気味だったが幻想的でもあった。どの子供も胸に穴が開いているものの美しい姿をしていた。


 男の子はいそいそとそのカプセルの間を通っていく。その傍らに小さな机が設置してありその上に資料が置いてあった。男の子は気になってその資料を手に取り目を通した。


『器を作るには精神分離機にかけて精神と肉体を分けること。精神は精神保管場所へ、残りの肉体を器として使う。対象は純粋無垢な闇を抱いていない子供を使用すること。大人はデドロの発生源となるため速やかに廃棄すること。マトハと出会った場合は速やかに捕獲して監視すること』


 長々と書いてあり男の子には理解できないことも多かったが、マトハという単語が気になった。先ほど会ったばかりである以上気にならざるを得なかった。


「ぼくに似てた……。悲しそうで、苦しそうだった……。行かなきゃ……」


 マトハは城で待っていると言っていた。男の子は行かなければならない。


 強い決心を、お兄ちゃんを救う決心を、ドリウスやルフェルを救う決心を、アストロと仲直りする決心を、そして無事にお兄ちゃんと一緒にお母さんの元へ帰る決心を、ありとあらゆる決心を胸に奥の扉を開き前へ歩み始めた。


 その後ろから男の子をジッと息を殺して立つ一匹の化物がいたとも知らずに……。

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