Episode 56:永久の快楽

 アルバがルフェルを見ていた。哀れなものを見る目だった。ルフェルは苛立った。だが身体を動かすことなどできなかった。


 ルフェルは必至に考えた。抜け出す方法は無いか。何とかして気を逸らすことができないか。考えていた。不意に今までとは違う感覚がルフェルを襲った。くすぐったいような気持ち良いようなそれでいて嫌な感じの感覚だ。


「ふぁぁあっ」


 思わず変な声が漏れる。その声を聞いてアルバはくすくすと笑った。


「感覚をいじらせてもらいんした」


 ルフェルから小さな蜘蛛のようなものが離れていく。ルフェルは息が荒く顔も赤い。アルバを睨みつけたが、変な感覚が脳を刺激しすぐに目を逸らす。


 何故か恥ずかしかった。見られていることが、笑われていることが、恥ずかしかった。まるでルフェルの全てを見られているようなそんな感じがした。


「お、お前、な、何を、し、んぅぅっ」


 ルフェルが小さく声を漏らす。アルバは前足でルフェルの頭を撫でた。ルフェルは何かに包まれている感じがした。心が穏やかになる、安心するような感じだ。だが、相手はアルバ。敵であることに間違いはない。


「ふ、ふざけるんじゃないよ……。こんな、こんなもの!」


 ルフェルは短剣を握りしめてブンブンと振るう。手当たり次第に振るう。しかし当たらない。アルバは短剣とルフェルの手を足した距離のその先にいた。当たるわけがない。物理的に届いていない。


「く、くそ……。んっ……。なんで、当たらないん、あっ!」


 ルフェルが身体を動かすたびに快楽が襲い掛かる。気持ちよさが包み込む。歯を食いしばってそれに耐えながらアルバを睨みつけると、彼女は持っていたキセルをルフェルの顎にあてがった。


「もう良いでありんしょう。抵抗は止めて……」


「黙れっ!」


 アルバの言葉を最後まで聞かずに、叫んで地面に頭を打ち付けた。感覚がおかしくなっているルフェルは本来なら痛いはずのこの行動も快感だった。ビクンと身体を跳ねらせて悶える。打ち付けた頭からは血が流れている。意識が朦朧としてくる。それでも抗おうと歯を食いしばって耐えた。


「アタシは、絶対に、進まなきゃならないんだよっ!」


 ルフェルは地面に手をつき、身体を無理やり起こして足をつく。ヨロヨロと両足で地面を踏みしめて、アルバを睨みつける。頭から流れた血が地面にぽたぽたと落ちていく。息も荒い。少しでも身体を動かせば腰が砕けるほどの快感。それでも耐える、耐える、耐える。


「勝負は、これから、だよ……」


 アルバは焦った。今までこんなに耐えた化物はいなかった。感覚をいじればすぐに降伏して自分のものになった。何でも言うことを聞く働き蜘蛛になった。その殆どは騎士になり、騎士団総長の元へ送られた。国王軍戦闘隊。全てアルバの働き蜘蛛だった。


 国王軍戦闘隊が勇猛で戦闘技術が高いのは特別な稽古を受けていたわけでも薬を飲んでいたわけでもなく、アルバが感覚をいじって無理やり身体能力を上げていただけだった。それでも結局デドロには敵わなかったが。


「いいでありんすね。その強ささえあれば、より強い騎士が創れそうでありんすぇ」


 アルバはニッと笑った。それは実に嫌な笑いだった。ルフェルが大嫌いな、自分を完全に見下したような笑いだった。


「わけの、分からないことを、言うなっ!」


 ルフェルは短剣を投げた。だが、またしてもキセルに弾かれる。間髪入れずにレッグポーチから短剣を取り出して投げつけた。この行動は予想していなかったらしく、身体ごと捻ってそれを躱した。あと少し遅れていたら間違いなく刺さっていた。


「無駄をしなんすね。わっちは倒せんと申しましたに」


「うるさいよっ!」


 ルフェルは短剣を投げた手を引き戻した。するとアルバの後方から投げたはずの短剣が戻ってきた。短剣の柄の部分にテグスが巻き付けてあったのだ。刃は壁側を向いているため刺さりはしなかったが、勢いよく引き戻された短剣は宙を舞ってアルバの首に巻き付いた。


「こ、これは!」


「形勢逆転だねぇ。この距離なら外さない!」


 アルバの首からプランと垂れ下がったテグス付きの短剣を手に持ち、そのままアルバに突き刺した。


 いや、正確には突き刺そうとした。その瞬間、アルバはルフェルに抱き着き毒毛を飛ばしたのだ。ルフェルは短剣を地面に落とし、既に戦意を喪失していた。


「わっちの物になりなんし。そいで、永遠とわに快楽に生きなんし」


 落ちる感覚。深く、暗いどこかへ落ちていく感覚。それがルフェルの身体を襲った。ふと顔を上げるとそこにはネコの顔があった。


「ふ、フレウぅ……んぁっ」


 ルフェルが呟くとネコの顔はニッコリと微笑んだ。ネコの顔はフレウだった。ルフェルは泣きながらフレウに抱きつく。フレウは優しく頭を撫でた。ルフェルが甘えるように頭をフレウに凭れるとあたたかく包み込まれた。心臓の音が聞こえる。


 ルフェルはもう何も考えられなくなっていた。自分がどうしてしまったのか、一体今まで何をしていたのか、それら全てこの甘い空間に包み込まれて忘却した。


 ルフェルは自分の内なる欲望を発見したのだ。周りには花畑が広がっている。さらさらと流れる川のせせらぎをバックにフレウの鼓動が聞こえる。幸せだった。


 フレウの方を向く。フレウは目を瞑りながら風に揺れていた。風に揺れる毛並みがフレウの格好良さを際立てている。ルフェルは顔を赤らめた。ルフェルがフレウの肩に手をまわして唇を重ね合わせた。濃厚な口付け。ルフェルはフレウと共にその場に倒れこんだ。

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