Scene 07:Resolution ―決心―

Episode 49:黒から赤へ変わる時

 男の子は真黒な空間に立っていた。


「ここは……?」


 何も聞こえない。目の前には木製の扉があった。男の子は真黒な空間の中を恐る恐る歩き、扉を開いた。


 その先には真黒に少し赤みがかった濃い赤黒色の空間があった。ふと目の前に一人の人間の子供と数匹のキツネやタヌキやネコなどに似た子供の化物が遊ぶ姿が、スクリーンに映し出された映像のように現れる。それは森の中だった。傍らに古い家屋があり、井戸がある。誰かが住んでいる様子はなかった。


「うわぁ……!」


 目の前に広がっていた景色は男の子を包み込み実際にそこにいるかのように錯覚させた。

 草の感触、木々が風に揺れた際の葉音、森の匂い。すべてが現実のようだった。だが、彼らの声だけは聞こえない。聞こえないが実際にそこにいるように思えた。


 男の子は楽しくなって近づこうとした。そのとき、一人の大人の男が手に稲刈り鎌を持って走ってきた。男が人間の子供の腕を引き、来た道を引き返そうとする。化物たちは怯えていた。子供は男に抵抗する。何かを叫んでいる。男はそれでも子供を無理やり連れて行こうとした。


「あっ!」


 その時、子供は足を滑らせ、井戸の中に落ちてしまった。片方の靴だけを残して。


 男は慌てて井戸をのぞき込むが、子供は浮かび上がってこない。男は焦っていた。化物たちが目に留まる。そして化物たちに向かって鎌を投げた。それが一匹の化物の顔面に当たり、血が流れた。化物たちがケガをした化物を連れて逃げていく。


 男は鎌を拾うと、もう一度井戸をのぞき込んだ。そこには何もない。ただの暗い空間が広がっているだけだった。そして男は走ってきた道を引き返していった。


「あの子、大丈夫かな……」


 男の子は子供がいたところに走っていき、井戸をのぞき込んだ。井戸の底の方に溜まった水が手招きをしている。男の子にはそう見えた。無意識に身体がそちらへ動く。そして男の子もまた子供を追うように井戸の中に飛び込んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 水の中は赤黒かった。少し明るい色だがまだ黒に近い赤黒色だった。やがて視界が晴れると男の子は見覚えのある村の田んぼ道にポツンと立っていた。その目の前をキツネやタヌキやネコなどに似た子供の化物が手に野菜を持って走っていく。


 それを見た女性は化物を指差して何か叫んでいた。わらわらと人間の大人たちが集まり、化物を追いかけていく。男の子はその大人たちに交じって化物を追いかけた。


 しばらく追いかけていくと化物は森の前で足を止め、大人たちに頭を下げて何かを懇願していた。大人たちは石を拾い化物に投げつけた。


「だめ! やめて!」


 男の子は間に入ってそれを止めようとした。止めようとしたが石は男の子の身体をすり抜けて化物に当たる。化物たちは頭を押さえて野菜を咥えると、森の奥へと逃げていった。更にそれを大人たちは追いかけていった。


 その先には古びた家屋があった。その家屋の中に化物たちが入っていく。大人たちは足を止めた。一人の男が稲刈り鎌を手に扉を開ける。するとそこには一人の子供が寝かされていた。その傍らに先ほど追いかけていた化物が子供を指さして何かを言っていた。


 男の顔色が変わる。そして叫び、鎌を振り上げて化物たちに襲い掛かった。化物たちは怯えながら逃げていった。


 寝かされた子供は一人の男に背負われ来た道を引き返していく。そこに残った大人たちの一人が家屋に火をつけた。家屋は燃えながら崩れ去っていく。それを見届けると大人たちは来た道を引き返していった。


 男の子は逃げた化物たちを追いかけたかったが、自然と子供を背負った男の方へと足が進んだ。


 後をつけて行くと村に戻ってきていた。その先には一軒の家が見えてきた。男が扉を開けて中に入っていく。男の子も扉に手をかけて中に入った。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 その先には先ほどよりも赤い空間が広がっていた。そこには男の子が見たことのある看板の前に立つ複数の大人たちと一人の子供がいた。子供が大人たちに尋ねる。


「――ねぇ、どうしてあの森に入っちゃいけないの?」


 すると大人たちは口々に言った。


「――あの森には化物がいるのだよ」


「――あの森に入ったら二度と生きて帰ってこれないんだよ」


「――あの森は呪われているんだよ」


 子供はまた尋ねた。


「――化物とお友達になれないの?」


 すると大人たちはまた口々に言った。


「――化物と友達になんかなれるものか」


「――化物は人殺しなんだよ」


「――化物はとっても怖いんだよ」


 子供は俯く。そして俯いたまま口を開いた。最後の方は言葉が聞き取れなかったが子供はとても悲しそうな顔をしていた。いつしか見た夢がそのまま目の前で再生されていた。


 走り出す子供。男の子はそれを追いかけた。満月の夜。森の井戸の水面には綺麗に月が映し出されている。子供は井戸の水に自分の顔を映した。水の揺らめきで子供の顔が歪む。醜い顔だった。


「ぼく、きらい……。ぜんぶぜんぶきらい。大っ嫌い!」


 子供はそう叫ぶと井戸の中に飛びこんだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 男の子は無意識にその子供を追っていた。子供を追った先には青い空間が広がっていた。雲ひとつない快晴の空のような空間だった。


 森の前で一人の男性が美しい女性と抱き合っていた。その足元に先ほどとは別の子供がいた。男の子は何となくその子供に見覚えがあった。直接会ったことはない。だが、どこかで出会ったことがあるような気がした。大人たちが集まってくる。男性は女性から離れると大人たちに口を開いた。


「村の者。化物は何も悪くはない。この看板は必要ないのだ。取ってくれぬか!」


 男性は大人たちを諭した。化物は悪くないこと。幼い頃、井戸に落ちたところを助けてくれたのも化物であること。大人たちは疑心の目を向けた。男性はもう一度口を開いた。


「化物と人間は、住む世界が違えど、元々一緒に暮らしていたではないか。あの時に戻りたくはないか。化物とは争うべきではないのだ。どうか約束しておくれ。化物を迫害しないでおくれ」


 強い主張だった。大人たちは戸惑った。戸惑ったが、男性の言葉に頷く者もいた。男の子の視界が歪んだ。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 気がつくと周りは真赤な炎に包まれていた。男の子は恐怖した。実際にその炎に触れても何ら身体に影響はないのだが、熱さは伝わってきた。男の子の目の前で先ほどの男性が叫んでいた。大人たちはその声に誘導されるように避難していた。


 村が天災に襲われていた。男の子の目の前でそのシーンが、倍速がかったように目まぐるしく太陽と月が交互に上っては沈み、沈んでは上る。


 天災は何日にも渡って続いた。大雨、暴風、落雷、火事。村は大打撃をうけた。作物は大雨と暴風のせいで枯れ流され、落雷によって家を失い、家族を失った者までいた。大人たちは嘆き悲しむと同時に怒りを抱いていた。そして口々に言う。


「これは化物の仕業でねぇのか!」


「仕返しのつもりか!」


「看板を撤去したのに化物は一度も姿を現していないではねぇか!」


 その怒りの矛先は一人の男性に向けられた。それは幼い頃井戸に落ち、化物に救われたが大人たちに友達だった化物を傷つけられ、化物は悪とも言われた男性だった。


「化物のせいではない。これは自然が引き起こしたものだ!」


「どうしてそう言い切れる? オメェさん、まさか化物の使いじゃあないだべな?」


 男性はキッとそちらを睨みつけた。そして投げつけるように言葉を言い放った。


「化物は人間と仲良く暮らしたいだけだ! 彼らが人間を襲うはずがない!」


 男性は走り出した。目に溜めた涙を横に散らしながら走った。男の子も泣いていた。泣きながら男性の後を追った。


 その先には井戸があった。井戸には何も映っていない。男性は迷うことなく井戸に飛びこんだ。男の子も飛び込んだ。水の中は暗かった。冷たかった。


 男性はぶつぶつと何か言っていた。聞き取ろうとするが聞こえない。言葉にならない奇妙な声が空間内に反響し不気味な不協和音を奏でていた。まるで呪詛のように。


 しばらく行くと光が見えた。その光に二人で飛び込んでいく。辿りついた先で男性は悲痛の声をあげた。身体から黒い煙が噴き出している。特に目からは一層黒い煙が噴き出していた。男性は地面に這うようにしながら、苦しみながら、呪詛のようなものを唱えながら、その空間を彷徨った。


 男性が通った後に草が生えていく。それはゆっくりと成長して、成長しては枯れ、また新たに成長していく。やがてその空間一面が草だらけになった。青々とした草が生い茂っていた。


 その草から一本の蔓が真上へ伸びていき、大きな赤い花を咲かせた。その大きな赤い花はパチリとはじけ飛び種をばら撒いた。その種から蔓が伸び、赤い小さな花が咲く。男性は赤い花の中で動かなくなった。


 黒い煙が人間の男性の上に集まり、姿を形成していった。ギョロリとした二つの目だけを持つ奇妙な真黒いものだった。それは人間の形をしていた。あたりを二つの目で見渡すとスゥとその空間から消え去った。


 残された男性の身体は徐々に縮んでいき、人間の子供の姿となった。その姿は白黒ボーダー柄のセーターを着た、男の子そっくりの姿だった。その子供はゆっくりと立ちあがり男の子の方を見る。子供の後ろには立派な城が建っている。


 子供は城をチラリと見て再度男の子を見ると、にやりと笑い口を開いた。


「ねェ。ボクと一緒に復讐シようヨ。オ兄ちゃンも一緒だヨ」


 子供がそう言うと隣にお兄ちゃんの姿が現れた。男の子が知っている、あのお兄ちゃんだ。お兄ちゃんは俯いていた。


「お兄ちゃん!」


 男の子は叫んだ。お兄ちゃんは俯いていたが笑っていた。声を出さずに唇の端だけを持ち上げてにやりと笑っていた。男の子はその姿がお兄ちゃんではないと直感し後ずさりする。


「どうシたノ? おいデよ」


 男の子は首を横に振った。その場から逃げ出す。男の子が知っているお兄ちゃんではない。お兄ちゃんはあんな笑い方をしない。それは男の子が一番よく知っていた。男の子は恐怖していた。走る、走る、走る。走る先に誰かが立っている。黒いものに身を包み白い頭をした化物が笑っていた。


「お前さん、恐怖しているな?」


 アストロだった。男の子は足を止めてその場に尻餅をついた。アストロは笑いながら近づいてくる。後ろからは子供とお兄ちゃんが迫ってくる。男の子は耳を塞いだ。耳を塞いで蹲った。それでもアストロと子供の声は聞こえてくる。アストロが口を開いた。


「お前さんは裏切り者だ。俺はお前さんを許さない」


 アストロは笑いながら近づいてくる。男の子は頭を振って言葉を振り払おうとした。それと同時に強く願っていた。お兄ちゃんが元に戻ってくれること。アストロと仲直りすること。声が聞こえる。どこかで聞いた声だ。次第にその声は大きくなっていく。


「……せ。……覚ませ。大丈夫か。目を、開けろ」


 男の子の視界が歪んだ。ふわりと身体が浮く感覚がした。男の子は恐怖で目を瞑った。

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