Scene 06:Φmen ―前兆―
Episode 40:ルフェルの葛藤
辺りは静かだった。静寂に包まれていた。静かすぎた。自分は今どこに居るのだろう。解らない。微かではあるが鳥の
瞼の裏が黒から赤に変わる。目を開けると陽の光が目に飛び込んできた。眩しさを覚え目を逸らす。地面の香り、草の香り、そして甘美な香りが辺りを包んでいた。
顔を横に動かすと頭の横で何かが燃え尽きたのか灰が風に吹かれてパラパラと散っていった。身体を起き上がらせるとスラッとした女性と小さな男の子が手を繋いで立っていた。その両脇に青い鎧に身を包んだ男が女性と男の子を支えるように立っていた。
男の子とルフェル、そしてアビゴイルとブールだった。身体を起こしたのはドリウスである。そこにアストロの姿はなかった。男の子はまだしゃくりあげながらもルフェルの手を掴んでいた。
ルフェルは男の子を気遣うようにブールとアビゴイルに支えられながら城の方へと歩き始めた。ドリウスがルフェルの方へと駆け寄る。そしてルフェルの腕を掴んだ。ルフェルが振り向く。鋭い目でドリウスを睨みつけた。
「ルフェル、一体何があったんだ?」
「アストロなら街を出て行ったよ。アタシのことならアンタには関係ない。引き止めないでくれないか」
ドリウスは自分で質問をしておきながらルフェルの言ったことを聞いていなかった。一人で何かを考えるように首を横に振ったりかしげたりしていた。そして自己完結したのか首を縦に振り、口を開いた。
「フレウのためか?」
ルフェルがその言葉に俯く。返す言葉がなかった。ドリウスが続ける。
「もしその子を傷つけたらオレがお前を殺す。約束してくれないか。その子には何もしないで欲しい」
ルフェルが黙り込んでいる。唇が震えていた。ドリウスは答えを待っている。チラリと顔を見ると、なんとも真直ぐな眼でルフェルを見ていた。何かを期待するかのように、真直ぐ、ルフェルを見ていた。だが、ルフェルはまた俯いた。期待されても困った。
「……それは約束できないね。この子を連れて行けば確実に死ぬ。器となってね」
ルフェルはとても辛そうな顔で言った。男の子はそれを聞いて怖くなった。怖くなったが、まだルフェルを信用していた。
ルフェルなら、自分を殺すことはしない。牢獄にも助けに来てくれた。ルフェルは苦しそうで悲しそうな顔をしていた。
それはアラマ・マアマで会った時よりも強く感じられた。だから、ルフェルは本気ではないと思った。そう思いたかった。しかし、ルフェルは本当に自分を殺すんじゃないかとも思った。男の子はしゃくりあげながら口を開く。
「ルフェル、おねえちゃん。おねえちゃんは、ぼくを、こ、殺さないよね?」
ルフェルは唇を噛んだ。
「ルフェル、一体何があったんだ?」
ルフェルの顔を見てドリウスが同じ質問をした。ルフェルの中で何かが弾けた。
「何度も言わせるんじゃあないよ! アンタには関係ないことだ!」
「関係ないわけがない!」
ルフェルが叫ぶと、ドリウスはルフェルの叫びを越える声で叫んだ。その声にルフェルも男の子も驚く。それだけではない。ブールもアビゴイルも驚いていた。ブールは特に驚いて刀を鞘から抜いてしまったほどだ。
「女の無色透明な涙は悲しい証だと聞いたことがある。ルフェルの涙は悲しそうだ」
ルフェルの頬を滴が伝って地面に落ちた。ルフェルは泣いていた。色々な感情があふれ出た。
ドリウスがしつこく質問してくることへの怒り、フレウが死んでいないかという焦り、男の子を差し出さなければフレウが助からないという苦しさ、悲しみ。ありとあらゆる感情があふれ出して涙を流していた。
ルフェルが男の子の手を離して涙を拭った。それでも次から次へとあふれ出るそれはルフェルの心を宥めるようなあたたかさがあった。
感情は爆発寸前だが、涙がそれを抑制していた。ルフェルは泣いていた。ドリウスが目の前にいる。騎士たる者、涙は見せまいとしていたのに。強くあろうとしていたのに。
それなのに、傭騎士ドリウスの目の前で泣いてしまった。それが悔しかった。悔しくもどこか安心した。ルフェルは涙を拭う。次から次へと流れ出る涙を拭う。ドリウスはルフェルに手を差し伸べた。
「大丈夫だ。何とかなる」
何の根拠もない。だがその言葉はルフェルの心を満たすのに十分だった。十分だったがそれでもルフェルは一人で何とかしようとしていた。男の子が何かを決心したような顔をしている。ルフェルの手をギュッと握った。
「アンタも、本当に死ぬかも知れないんだよ。何で……」
「とても苦しそうで、悲しそうだったから」
ルフェルがハッとした。以前言われたことがあるセリフ。アラマ・マアマで言われたセリフ。あたたかくて包み込まれるようなセリフ。ルフェルにはそう感じた。ルフェルは泣き崩れた。泣きながら男の子を抱きしめた。
「アタシは一体どうしたらいいのさ。フレウを助けたい。でも、アンタを殺したくない……」
男の子はそれ以上言葉を発さなかった。発さなかったが優しくルフェルを抱き返していた。ドリウスはそれを見て何やらモヤモヤとした感覚が胸の奥に溜まっていった。それが何なのかは解らなかったがドリウスはこのモヤモヤが何か悪いものであろうと思った。
次第にモヤモヤが大きくなっていく。このモヤモヤは何なのだ。心臓を手で直接、しかも相当弱い力でゆっくりじっくり揉まれているような気持ちの悪い感覚だ。
わけもわからず自分の頬を引っ叩いた。ジンジンと痛む頬。若干赤くなった頬。それでもモヤモヤが消えることはない。イライラしてきた。そのイライラは胸の奥底から食道を通って口に来た。
「一体何なのだ! オレ様が何でこんな変な気持ちにならなきゃならんのだ!」
ドリウスは叫んでいた。突然の叫びに皆が吃驚した。その叫びは怒りなのか悲しみなのかドリウス自身にも解らなかった。気が付いたら叫んでいた。叫ぶつもりはなかった。叫ぼうと思ってもいなかった。
だが、胸の奥から何かがこみ上げてきてそれが叫びとなって外に出たのだ。ふと足元に違和感を覚える。ドリウスが足元を見ると黒く蠢くものがあった。
「な、何だ!」
黒く蠢くものはドリウスの胸へニュッとスライムのように伸びると、その胸の中にズルズルと入り込んでいった。ドリウスが苦しみに悶える。地面に倒れこみ苦痛の叫びを上げながらのた打ち回っている。
目の前で苦しみ悶えるドリウスを見て、黒く蠢くものがドリウスの体内に入っていくのを見て、クロそっくりな黒く蠢くものを見て、男の子は声が出なかった。ドリウスの方に手を伸ばそうとする。ルフェルがその手を掴んだ。
「行っちゃダメだ。アンタも飲まれるよ!」
「ふム。現行犯だなァ?」
ルフェルが言った途端、後ろから声が聞こえてきた。その声には聞き覚えがあった。振り向くと金色の鎧に身を包み、片腰に一本の長剣と両腰に一本ずつ長刀を携えた男がそこに立っていた。
その後ろには無数の騎士が長剣や弓を持って立っていた。ルフェルは男をキッと睨みつける。騎士団総長だ。
「ご苦労。さぁ、その人間のガキを渡せ。貴様の任務は終わりだ」
ルフェルは舌打ちした。何か言い返す言葉を探していたが、目の前でドリウスが苦しんでいるのを見て動揺しているのか、焦っているのか、言い返す言葉が見つからなかった。
「ほれどうした。貴様の任務は人間のガキを捕まえることだ。貴様はそれを果たした。大手柄だ。王様もきっとお喜びになられるだろう。さぁ、渡すのだ」
「わ、渡さない……」
「なにィ? 聞こえんなァ?」
ルフェルは震える声でそう言った。騎士団総長が嘲笑う。その後ろにいる騎士たちも笑いだした。騎士団総長は呆れた顔で両手を開いて首を振った。その手で拍手をした。力のない完全にナメきった嫌な拍手だ。
ルフェルの怒りのボルテージが徐々に上がっていく。無意識に男の子の手を掴む手に力が入る。
「い、いたい」
男の子が掴まれている手をブンブンと振った。ルフェルがそれに気付いて手を離す。その手で拳を握った。爪が肉に食い込む。
ブチッと音がしてルフェルの拳から血が滴り落ちた。それを見た騎士団総長はまた嘲笑う。屈辱だった。何も言い返すことができない自分が憎らしかった。憎らしくて悲しくなった。
「ほれ、早くしろ。その人間は今デドロを使ってそいつを蝕み尽くそうとしただろう。現行犯だ。厳しく罰せねばなァ。肉体は器にするが、精神はズタズタに引き裂いてやる」
「この子は何もやってないよ!」
ルフェルは騎士団総長の言葉を聞いて叫んだ。ギリギリと歯軋りをしながら。その怒りを露わにしながら。ルフェルは叫んだ。
「なにィ? 貴様も見ていただろう。デドロを操っていたではないかァ!」
騎士団総長が声を荒げた。ルフェルの怒りが限界を越えようとしていた。気付けば短剣を抜き騎士団総長に斬りかかっていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます