Episode 39:綻びる友情
「そうか! お前さんは俺たちを信じることができないってわけか。お前さんは俺たちじゃなくルフェルを選んだんだな。よく解った。それなら俺たちはもう何も言わない」
アストロが震えている。怒りのボルテージはどんどん上がってく。大地が悲鳴を上げつつあった。アストロの震えに共鳴するかのように大地が震えていた。大地だけではない。空気までもが震えていた。ピリピリとした空気になっていた。
「ああ、好きするがいいさ。だが、お前さんを守る奴はもういないぞ。ここから先、自分の身は自分で守れ。例え俺たちがお前さんを殺しに行ってもな。その覚悟がお前さんにはあるのか?」
男の子は俯いた。身体が震えている。恐怖で震えている。涙がこぼれる。それでも、一歩また一歩と少しずつルフェルの方へと歩みを進めていく。アストロがため息をついた。
「それでも行くのか……。お前さんを守ってきた俺がバカだった。お前さんは守る価値もないワガママで愚かな、所詮人間だったんだな」
アストロは呆れた口調で言った。男の子が歩みを止める。男の子はアストロの顔を見れなかった。振り返る勇気がなかった。歩みもせず、振り返りもせず、ただそこに立ち尽くしてしまった。ドリウスが男の子に近づこうとする。アストロはそれを片手で制した。
「あのとき、お前さんに出会ったとき、あの時にお前さんを引き止めなければ。あるいは初めから出会っていなければ、こんな気持ちにならずに済んだかもしれないな!」
男の子の目から次から次へと涙がこぼれた。胸が苦しかった。どうしたら良いのかわからなかった。男の子は涙を流しながらゆっくりと後ろを振り返った。
アストロは震えていた。表情など元々ない。だが怒っていた。いつものように笑ってはいなかった。その場で小刻みに震えながら立っていた。アストロの左目は完全に赤く染まっている。その眼光から怒りが伝わった。だからアストロが怒っていることがわかった。
男の子は恐怖した。今まで以上に恐怖した。涙がボロボロと溢れ出る。
「お前さん、恐怖しているな……」
アストロが笑うことなく静かに言い、左手を男の子に向ける。その手には真赤な光が集まっていく。ピシリ、ピシリと音がする。その音はアストロから聞こえた。
顔にヒビが入っていく。顔だけではない。突き出している手も、腕も、身体も。アストロという存在すべてからピシリという音が鳴っている。
音が鳴ってはヒビが入りそこから黒い煙が噴出し綻びていく。ピシリ、ピシリ。またピシリ。男の子の中でも何かがピシリと音をたてている。男の子自身が綻びているわけではない。男の子の胸が、心が、ピシリと音をたてている。
アストロと男の子の鎖が、友情の鎖が、綻んでいく。ピシリ、ピシリと音をたてて崩れていく。お互いの鎖の先には何も残っていない。
アストロには怒りと悲しみが、男の子には悲しみと決心が、その大きな身体と小さな身体に残っているだけだ。
鎖の先には何一つも残っていない。アストロは涙した。涙こそ出なかったが、心のどこかで泣いていた。男の子も泣いていた。涙を流して泣いていた。アストロも、男の子も、胸が締め付けられていた。
アストロも、男の子も、苦しかった。息ができない程に苦しかった。鎖で縛られたようにお互いの胸は、心は、きつく縛り付けられていた。
「これで、良いんだな。覚悟は、できてるね?」
「やめろ兄貴!」
アストロは突き出した左手に赤い光の槍を形成した。ルフェルが男の子の方へと走り出す。ドリウスはアストロを止めようと羽交い絞めにした。羽交い絞めにしたがアストロの左手はまっすぐ男の子に向けられ動かなかった。
それどころか、その身体さえも押さえられなかった。アストロの手はまっすぐに男の子に向けられている。
ピシリ。その音とともに赤い光の槍が男の子に向けて放たれる。男の子は目を瞑った。目を瞑って涙を流した。死を覚悟した。いや、覚悟はもうとっくにできている。男の子は小さかったが、それでも死の意味を理解していた。
もう何も考えられなくなった。時間が長く感じた。どれほどの時間が経っただろうか。男の子にはこの時間が何時間にも何日にも感じられた。
不意に男の子の腕に力が加わり体勢を崩す。ルフェルが男の子の腕を引っ張っていた。ルフェルは男の子を抱きかかえるようにその場に倒れこんだ。横を光の槍が掠めていく。ルフェルが唸った。腕に少し掠ったようだ。肉が裂けて血が滴る。ルフェルはその腕を押さえてアストロを睨んだ。
男の子は泣いていた。恐怖で、罪悪感で、胸が苦しくて、泣いていた。そんな男の子を庇うようにルフェルは自分の血で汚れた手を男の子の手に絡ませ、ギュッと強く握った。
ブールとアビゴイルがルフェルと男の子を支えるように手を添えた。アストロは赤く染まった目でルフェルと男の子を見ていた。蔑みの眼で見ていた。その首にランスがあてがわれる。ドリウスがアストロの首にランスを向けていた。
「殺すのか?」
アストロが冷たく言う。ドリウスは身体を震わす。それは武者震いではない。ドリウスが今までに聞いたこともない、低く、冷たく、怒りの篭った兄貴の声だったからだ。
「殺す覚悟も、殺される覚悟もない青ケツの奴が、
アストロは冷たくそう言うとドリウスのランスを握り、引き離した。そして振り返り、ドリウスの頭を掴む。ドリウスは苦痛の声をあげた。
身体に力が入らなかった。それほどまでにアストロの力は強かった。頭が握り砕かれてしまうほど強かった。ランスを握る手の力が抜けていく。頭はミシミシと音をたてている。
ドリウスはランスを握る手にグッと力を込めた。その瞬間ドリウスの左目が赤く染まる。ドリウスが唸り声をあげる。身体に力が
そこにランスが振るわれる。ランスはアストロの足を払った。アストロが体勢を崩して片膝をつく。顔を上げるとドリウスがアストロの喉元にランスを向けていた。
アストロは左手で赤い光の槍を形成しドリウスのランスを払おうとした。鍔迫り合いの形になる。その後ろでルフェルが男の子を支えながら立ち上がった。隣でブールがルフェルを支えている。
「……殺りますか?」
ブールが剣塚に手をかけた。
「やめな、手を出すなと言ったはずだよ」
ルフェルが諭すように言った。ブールは頷いて刀を鞘に納め、アストロとドリウスの方へ視線を戻す。赤い眼をした恐ろしい化け物二匹が無言のまま鍔迫り合いしていた。
だがアストロの方が
「お前さんに俺を殺すことはできない」
「な、なに……」
ドリウスが額に汗を滲ませる。アストロはドリウスの頭を掴んで赤い光の槍を喉にあて顔を近づけた。
「何百年一緒に居ると思ってやがる。お前さんは俺のことを解っていると思っていたが案外そうでもないようだな。お前さんは俺と違って優しい。その優しさが命取りになる。覚悟はできてるか?」
アストロが冷たく言った。そこに笑いなどなかった。ただ冷たく、感情もこもっていない。アストロがドリウスを目の前に投げ捨てる。
背中を地面に打ち付けたドリウスの脚がガクガクと震えていた。脚だけではない。身体がガクガクと震えていた。立ち上がることもできない。ドリウスは目を逸らして瞼を閉じた。死を覚悟した。
「ここでお別れだ。じゃあな、ドリウス。我が愛しき弟よ」
赤い光の槍がアストロの手を離れてドリウスの方へと飛んでいく。ドリウスは意味のない叫び声をあげた。ルフェルが何かを叫んだ。だがそんな声はもうドリウスには届いていない。
残ったのはザクリという音とドリウスの叫び声の反響と残響。そしてその後の静寂だった。あたりはシーンと静まりかえっていた。遠くの方でピシリと何かが割れる音がした。
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