Episode 37:警告

 シャラボラが目を開けると青い空が広がっていた。ピコリピコリと電子音のような音が聞こえる。その音の方を向くと、見るからに硬そうなベッドに尖った耳の男が寝かされていた。


 すぐにそれは誰だか分かった。ドリウスだ。ここがどこなのか確認するために反対側を向くと、二匹の鳥が翼をたたんでうなだれていた。イポとベリスである。その傍に近づく者がいた。


「おう、目が覚めたか」


 ルタナスだった。その声にイポとベリスが顔を上げる。


「ご無事でしたか」


「ちゃんと生きてんじゃねぇか。心配して損したぜ」


 ベリスがにっこりと微笑み口を開いた。イポは腕を組んでケッと言った。


「一番慌てていましたからね」


「俺ぁ慌ててねぇよ!」


 なんだかあたたかい感じがした。涙がこみ上げる。シャラボラは上半身を起こした。頭がズキズキと痛んだ。そして肌寒かった。イポがそっぽを向き、ベリスが微笑んでいた。


 シャラボラが下を向く。褐色肌の上半身が露わになっていた。それだけではない。下には見覚えのないズボンが穿かされていた。


「な、なんだこれぇ!」


 シャラボラが両手で胸を隠し、八重歯をむき出しにしながら顔を赤らめて言った。ルタナスが口を開く。


「そりゃ、治療するために脱がしたんだろうがよ?」


 シャラボラがキッとルタナスを睨む。ベリスが片手を口元に当ててホッと笑いをこぼした。イポもまたそっぽを向いたまま笑いを堪えていた。


「オッサン! 今ここで殺す! 最後まで搾り取ってやる!」


 シャラボラがルタナスにしがみつき首筋を噛もうとした。ルタナスは慌ててテレポートしどこかへ行ってしまった。


「くっそー。絶対許さないからなオッサン!」


 シャラボラは怒りに任せて叫んだ。叫びながら顔を赤らめていた。突然後ろから声をかけられ、キッと睨みつけるように振り返る。


 そこには全身毛むくじゃらの男が立っていた。シャラボラは恐怖した。恐怖して後ずさりした。


「お前さん、恐怖しているな。俺がどう見える?」


「い……いやあぁぁぁあ!」


 男がブヒヒと笑いながらシャラボラに問うた。シャラボラは悲鳴をあげて腕をぶんぶんと振り、男を近づけないようにした。その腕が掴まれる。


「落ち着け。俺だ。俺の眼を見ろ」


 シャラボラはいやいやと言いながら眼を瞑っている。シャラボラは泣いていた。


「アストロ!」


 高い声が聞こえる。その声に反応して男が振り返った。そこには男の子が立っていた。


「こわがらせちゃだめだよ、アストロ」


 男の子は男に言った。男はポリポリと頭を掻いた。そして笑う。下品な笑い。シャラボラが嫌いな笑い。掴まれていた腕が離された。シャラボラが掴まれていたその腕をさする。怯えていた。身体を震わせながら小さくなって怯えていた。


 男の子がシャラボラに近づき優しく頭をなでた。シャラボラがビクッと身体を震わせてその手をはたいた。その手は男の子の頬に命中した。男の子がその場に尻餅をつく。シャラボラがハッとして慌てる。


「ど、どうしよう。ごめんなさい。あぁ、ごめん」


「だいじょうぶだよ」


 男の子は、はたかれた頬を擦りながら泣くのをこらえて無理やり笑顔を作った。相当強くはたいたのだろう。男の子の頬は真赤になっていた。シャラボラは罪悪感に押しつぶされそうになる。男の子はシャラボラの頭をぽんぽんと撫でた。男が口を開く。


「お前さんが見ているのは恐怖だ。お前さんが怖いと思うもの。それが俺の姿なのさ」


 そう言われると幾分か楽になった。見た目はあの男でも中身はアストロであるからだ。


 シャラボラが恐怖する毛むくじゃらの男は人間である。シャラボラは男の化物だった。だが、ただの男の化物ではない。女のような男の化物だった。


 元は人間だったものが死に、その魂が浄化されることなくオビリオンに辿りついて、それらが集まりできた新種の化物。それがシャラボラである。故に化物であるが他の化物並みの力はない。弱い化物なのだ。


 シャラボラには人間だった頃、この毛むくじゃらの男に強姦されそうになった記憶がある。実際にされたのかどうかはわからない。そもそも全身が毛むくじゃらな人間がいるのかどうかも分からない。だが、人間だった頃の記憶の断片がシャラボラの頭に残っているのだろう。


 男の子がギュッとシャラボラを抱きしめた。シャラボラは心が満たされた気がした。とても落ち着く。アストロの見た目は毛むくじゃらの男だったが、怖くなくなった気がした。そして毛むくじゃらな男の姿が徐々に曖昧になっていく。


「俺はヤギ頭骨のアストロだ。お前さんが見ている恐怖じゃない。尤も、お前さんに俺の姿が見えているかは分からんが」


 アストロがそう言うと、男の子の眼に映るのと同じようにヤギ頭骨のおぞましい姿をした化物がそこに立っているのが見えた。


 シャラボラは恐怖を乗り越えたのだ。もう男の姿は覚えていない。曖昧な姿になっているがもうそれは恐怖ではなかった。それよりも心はあたたかさで満たされていた。


 シャラボラは男の子を抱きしめた。アストロが胸を擦っている。シャラボラはそれを見て、はてと首をかしげた。かすかに憶えている程度だが、アストロの胸を貫いたような気がする。なぜアストロは無事なのだろうか。夢だったのか。そう思った。


 その時、アストロが前のめりに倒れた。背には血が滲んだ痕があった。


「アストロ!」


 男の子がアストロの元に駆け寄った。ルタナスの治療を受け、死ぬことは免れたようだがかなり体力を消耗していた。


「ハハ……ちと無理をし過ぎたかな」


 アストロは苦笑しながら言った。男の子がアストロの手を取る。アストロはその手を取り起き上がると、ドリウスが寝ていたベッドの方へと歩みを進めた。男の子は付き添うようにアストロの隣を歩く。


 その様子を見たシャラボラはスクッと立ち上がりアストロのもう片方の手を取り、支える形でアストロを誘導する。誘導しながらアストロに謝罪する。アストロは苦笑いしながら口を開いた。


「大丈夫だ。お前さんが悪いわけじゃない。それはよく解ってる」


 アストロは優しかった。その優しさにシャラボラはどう返していいのか解らず黙った。無言のままでアストロを誘導していた。


「アストロよ」


 その目の前に立ち塞がる者がいた。二匹の化物だった。青く光った鎧を身に着けていた。

 口を開いたのは一本角の冑を被った騎士――アビゴイルだった。アストロは身構えた。とても戦える状況ではない。男の子もアビゴイルを睨んでいた。


「バンシーの無礼、そして仲間を傷つけたこと。申し訳なかった」


 アビゴイルは深々と頭を下げる。ブールもそれに倣って頭を下げた。アストロは構えを解く。吃驚していた。まさか謝られるとは思っていなかった。アストロも謝らなければならなかった。怒りに身を任せた結果とはいえアストロがバンシーを殺したことに変わりはない。


 アストロは謝った。謝るのは苦手だったが、申し訳ない気持ちの方が勝っていた。


「バンシーは、殺してしまった。こちらこそ申し訳ない」


 アストロは、頭を下げた。


「良い。奴は騎士としてだけでなく、化物としても負けたのだ。責めるつもりはない」


 アビゴイルが穏やかな声で言った。とても優しい声だった。冑で顔は見えなかったが、微笑んでいるようだった。アストロは笑った。笑いながら胸を押さえて咳き込んだ。


「引き止めてすまぬ。ブール、肩を貸してやるのだ」


「……承知」


 ブールはアストロに近づき背をアストロに向けてしゃがみこんだ。アストロは少し考えたが、折角の配慮だ。ブールに感謝しつつその背に負ぶさった。ブールが立ち上がる。アストロは軽々しく持ち上げられた。


 とても良い眺めだ。背丈はあまり変わらないのだが、ブールの背上から眺める景色はいつもと違う感じがした。


「……警告しておく」


 ブールがポソリと呟いた。


「何だ?」


「……今は休戦の刻。副隊長を助けるためならば、あるいは、いづれ……」


 ブールは険しい顔をしていた。どうやらまだ男の子のことは諦めていないようだ。アストロはフッと笑った。そしてアビゴイルの方を見る。アビゴイルは腕を組みながら遥か遠くにある城を眺めていた。青いマントが風に揺れ、どこか寂しそうな背中をしていた。

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