Episode 36:あくまの恐怖と秘密
「まずい……」
そう言ったのはルタナスだった。皆がルタナスの方を見る。
「デドロだ。さっき見に行った時、妙だった。いつもは、ただそこで蠢いているだけなのに、そこにいるデドロが、すべて、廃品置き場の出口を、出口を見て動かなかった!」
ルタナスが辛そうな顔をしながら、疲れた顔をしながら言った。だが、何故デドロが外に出られたのか。廃品置き場は迷路のようになっており、右も左も分からない捨てられたデドロには到底出てくることなどできないはずだった。
デドロは時に誰も予想し得ぬ行動を起こす。だが、それでもあれだけの数のデドロが一斉に外へ出てくるなど有り得ないことだった。それに先ほどの爆発音。誰かが仕組んだのだ。デドロが外へ出てくるように何かが起きたのだ。
しかし、デドロは人間や化物のの感情により生まれた不安定な化物。さらにデドロが増え続ければ終末喰滅が起きる可能性が高まる。悪影響しか及ぼさないデドロをなぜ外に出す必要がある。ますます訳がわからなかった。
「きゃあっ!」
悲鳴が聞こえた。シャラボラだった。シャラボラの足元に一匹の黒いブヨブヨしたものがまとわり付いている。
シャラボラは怯えていた。足で蹴り飛ばせば良かったが、それができなかった。全身の力が抜けていた。デドロはシャラボラを飲み込み、ドリウスの方を向く。空気がピリついていた。シャラボラの負の感情がデドロと干渉したのだ。
「お、おい……シャラボラ?」
イポが戸惑っていた。ベリスも無言であったが戸惑っていた。シャラボラがドリウスの方へ歩みを進める。その歩みは徐々に速くなっていく。先ほど食らった攻撃はいくらか回復していたが、それでもドリウスはまだ動ける状態ではなかった。
アストロの足元にいたネビィの形をした影は消えている。アストロがドリウスとシャラボラの間に入った。アストロは手を前に出す。
その瞬間、バキリと嫌な音がしてアストロの身体から血が吹き出した。驚きの表情を浮かべるアストロ。その胸にポッカリと穴が開いていた。アストロがその場に跪く。
「兄貴!」
ドリウスが叫んだ。シャラボラがドリウスの方へ走っていく。ドリウスはランスを構えなぎ払った。遅かった。ドリウスがなぎ払う前にシャラボラはドリウスの心臓を腕で貫いていた。
ドリウスが吐血する。吐いた血がシャラボラにかかった。シャラボラの上半身は真赤に染まっていた。無表情で、声も出さずに笑っている。その化物はとても恐ろしく、狂っていた。
ドリウスはシャラボラの背に手を回す。シャラボラはハッとして手を引き抜こうとしたが、それよりも先にドリウスがシャラボラを抱きしめた。
シャラボラの腕がさらにドリウスの胸へと突き刺さる。どこかあたたかい感じがした。あたたかい感じがしてシャラボラは気を失った。シャラボラは深い闇の中に沈んでいった。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
沈んでいく感覚。ドリウスが気に食わなかった。殺してやる。お姉ちゃんの仇をとってやる。いいじゃないか。これで仇が討てた。シャラボラは自分にそう言い聞かせた。言い聞かせたがそれでも胸がざわつき、罪悪感がこみ上げる。怒りと罪悪感と恐怖が天秤の上でグラグラと揺れていた。
自分は今、何をしているのか。わからなくなった。頭の中でお姉ちゃんのこととドリウスのこととがグルグルと渦巻いていた。声が聞こえる。誰かが呼んでいる。その声はよく通る声だった。どこかで聞いたことのある声。シャラボラの知っている声。その声は段々と近づいてくる。
「シャラちゃん。起きて」
ハッキリと聞こえた。シャラボラは目を開け、大きく見開いた。黒一色の空間。その空間の中に一匹の幼い化物が立っていた。可愛らしく微笑んでいる。シャラボラは涙を溢れさせた。
「お姉ぢゃあぁ!」
立っていたのはネビィだった。シャラボラは泣いていた。ネビィはシャラボラに近づき優しく抱きしめ、頭を撫でた。
「お姉ちゃん、ボク、許せないよ、アイツ嫌いだよ」
ネビィは微笑みながらシャラボラを宥める。特に何か言うわけでもなかったが、ネビィのあたたかさが強く伝わってきた。シャラボラがネビィの胸に顔をうずめようとした。
その瞬間、ドンと突き放される感覚がした。ネビィがシャラボラを突き飛ばしたのだ。シャラボラは尻餅をつく。ネビィは悲しそうな顔をしていた。
「お姉ちゃん? どうしてこんな酷いことするの?」
ネビィは口を開かなかった。シャラボラは恐怖に襲われた。ネビィはただそこに立っていて悲しい表情をしているだけだった。それが恐怖だった。シャラボラはわけがわからなくなって自分の顔に手をあてて嘆いた。ネビィはそれでもシャラボラを悲しい顔で見ていた。
声が聞こえる。恐ろしい声だ。身体が凍ってしまいそうなほど恐ろしい声だ。
「恐怖しているな?」
その声に思わず顔を上げる。ネビィの後ろに、全身毛むくじゃらの太った男がナイフを持って立っていた。ネビィの横にナイフを出してチラつかせている。
「何でお前がここに。し、死んだはずじゃあ……」
シャラボラの声が震えていた。更に恐怖していた。男はブヒヒと下品に笑う。笑いながらシャラボラに近づく。逃げなければ。立ちあがろうとするが脚に力が入らない。ペタンと床に座ったまま動くことができなかった。
男はどんどん近づいてくる。もう一度踏ん張り立ち上がろうとするが、やはり力が入らない。少しだけ身体が持ち上がっても、中腰になったあたりでまたペタンと床に座ってしまう。男は目の前まで来ていた。
「嫌。いやだ。やめて、触らないで!」
シャラボラは抵抗する。男は相変わらずブヒブヒと下品な笑いと息遣いでシャラボラを嘗め回すように見ていた。そしてシャラボラを押し倒し首を掴む。物凄い力だった。
気道がふさがれて息がしにくくなる。苦しくてもがいたが男の力が強く、もがけばもがくほど逃げようとすればするほど、苦しくなって体力を消耗していく。意識が遠のいていく。
ネビィの方をチラリと見ると、やはり先ほどと同様に悲しい顔をしてシャラボラを見据えていた。
お腹に冷たいものが触れた。そのヒヤリとした感覚に無意識だがビクンと身体を震わせる。首を絞める力が幾分か弱くなっていた。振りほどけるかもしれない。そう思ったのだが、恐怖からなのか手が動かない。
それだけではない。頭も、足も、動かすことができなかった。頭と目だけが冴えている。しかしそれ以外は言うことを聞かなかった。
「おいおい、動くなよ? 動いたら斬れちまうぜ?」
男がそう言うとまたお腹にヒヤリとした感覚があった。言うことを聞かない頭に力を入れてお腹の方を見た。目を見張る。ナイフをお腹にあてがられていたのだ。怖くなって息が荒くなる。
そのナイフは小刻みに上下に動きシャラボラの服を端から切っていた。シャラボラのお腹から肋骨辺りまでの褐色な肌が露わになる。シャラボラはいやいやと首に力を入れて左右に振った。
また首が絞まる。再度気道を塞がれて噎せることもできず苦しさと恐怖が倍増していく。ナイフは止まることなくシャラボラの服を切り去った。
恥ずかしくなってシャラボラが顔を赤らめた。赤らめたが屈辱だった。毛むくじゃらの気持ち悪い男に肌を、胸を見られることが屈辱だった。殺してやる。シャラボラの中で憎悪が少しずつだが芽生えていた。
「殺す殺す殺す殺す殺す……」
それでもまだ恐怖には勝てない。歯を食いしばる。ギリギリと歯音をたてて抵抗の意識を燃やした。怖かったが精一杯男を睨みつけてやった。男はブヒヒと笑っている。殺してやる。消してやる。ただの人間に好きにされてたまるか。絶対に殺してやる。
シャラボラは男を睨みつけていた。すると男はナイフの背をシャラボラのお腹に沿わせて下へとゆっくりスライドさせていく。ナイフの冷たさとくすぐったさが身体中の力を奪った。気を抜いたら変な声が出そうになる。歯を食いしばって耐えた。
ナイフの刃がシャラボラの下着に当たった。そしてまた上下に動き始める。シャラボラの下着が斬られていく。
シャラボラは耐えた。脚を動かして蹴り飛ばそうともしたが、力を入れても動かなかった。それでも動かそうと必至だった。ナイフがピタリと止まる。男が焦っているようだった。首を掴まれていた手の力が抜ける。空気が肺の中に送り込まれて噎せた。
男がナイフを落とし後ずさりしている。シャラボラの憎悪が嘲笑に変わった。恐怖などもうない。シャラボラは男を見下して笑った。
「お、お前!」
男が焦りの表情を浮かべる。
「そうさ。ボクは男だ」
シャラボラは笑っていた。男を見下しながら笑っていた。男は恐怖を抱いていた。シャラボラの狂った笑いに、自分が襲おうとした子が男だったことに、そして何より、見下しながら獲物を狩ろうと光っているシャラボラの眼に恐怖していた。
シャラボラは手をコキコキと鳴らして男に近づいていった。途端に辺りがグンニャリと歪み始める。男も、ナイフも、シャラボラの目に入るすべてが歪んでいた。
ネビィの方を見る。ネビィは何かを叫びながら片手を伸ばしていた。シャラボラが手を伸ばす。手を伸ばしながらネビィの方へと走っていく。世界が歪み足元が歪み走り辛かったがそれでもネビィの元へと近づいていく。
数十センチ、あと数センチ、あとほんの数ミリ。目の前でネビィが綻び始めた。黒い霧となって消えていく。ネビィは伸ばしていた手を引き、にっこりと微笑んだ。
「お姉ちゃん!」
シャラボラは涙しながらネビィを捕まえようとする。だが、それも空しく歪み行く空間にネビィは消えていった。シャラボラもまた、歪んだ空間の狭間に飲み込まれた。
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