Episode 28:対魔薬

「先生、これは!」


 不意にアストロのベッドの方からブルエの声が聞こえた。マスク越しでは解らないが、ブルエはフォラスの顔を見て焦りの表情を浮かべていた。フォラスもまた難しい顔をしていた。


 フォラスがクルリと振り返り、ガラス張りの棚の前に立って中の物をチェックしている黒ローブをまとった化物に声をかける。


「レフォルくん。対魔薬はまだありますか?」


 レフォルと呼ばれた黒ローブをまとった獅子頭の化物が振り返り、首を横に振った。だが、手にはビンを二つ持っていた。中にはそれぞれ紫の液体と赤い液体が入っていた。レフォルは紫の液体の中に少しずつ赤い液体を加えてはビンを振り色の変化を見る。そしてビンの下からバーナで炙った。


 徐々にボコボコと気泡が出始める。中の液体は固体に変わった。ビンの中から固体になったものを取り出し器にあけ、それをフォラスに渡した。


「ありがとう。仕事が速いですね。しかし、御守りを盗るのは止めてください」


 レフォルの手には小さな御守りがあった。


「……ごめん」


 小さな声でレフォルが言うと御守りをフォラスのポケットの中に仕舞った。フォラスはレフォルから受け取った固体を粉挽き機に入れてハンドルを廻し粉末にした。その粉末を水に溶かして飲ませると、アストロが噎せてもがきだした。


 ブルエがアストロの手を押さえる。フォラスはアストロの足を押さえていた。それを見たドリウスはまた叫ぶ。


「兄貴に何をした!」


「あれは対魔薬じゃ。悪魔化を一時的に遅らせ、悪魔化によって失われた体力を回復させる薬じゃ。劇薬じゃがの」


 レイラが胸に手をあてて説明した。とても悲しそうな顔でアストロを見ていた。ドリウスがそれを見て黙り込み、苦しそうにもがくアストロを横目に歯軋りをしていた。


しばらくしてアストロが落ち着いた。


「これはきっついな……」


 アストロが笑いながら言った。その声を聞いてレイラは安心したようでホッと胸をなでおろした。ドリウスが何か言いたげだ。レイラはドリウスが口を開く前に口を開いた。


「前に悪魔化が進行して死んだ子がおった。対魔薬も効かなくて、何をしても手遅れで。わしらは何もできんかったんじゃ。それが悔しくてのぅ」


 ドリウスが首をかしげる。


「その薬がどれほどの物か知らないが、末期だったのか?」


「おそらく、の。レフォル兄が調合する対魔薬なら悪魔化に有効なはずなんじゃが……」


 言いかけてレイラがハッとし、レフォルの方を向いた。レフォルは下を向いていた。レイラがレフォルに抱きつく。


「すまぬ、レフォル兄。責めるつもりはないんじゃ」


「……気にしてない。大丈夫」


 レフォルは小さな声で呟いた。手にころころと小さな毛玉を転がしていた。


「びゃーーーっっっ!」


 レイラが顔を真赤にする。


「レフォル兄!」


 レイラがレフォルからその毛玉を取り上げると緑の服のポケットに仕舞った。そっとドリウスの方を見る。ドリウスは首をかしげていた。


「お主、い、今の見てないじゃろうな?」


「小さな毛玉のことか?」


 ドリウスは素直に答える。レイラは全身の毛を逆立てて、真赤な顔でドリウスの頭を殴る。ドリウスは抵抗しようとするも固定されていて動けない。


「忘れろ! 今すぐ! 忘れるのじゃ!」


「り、理不尽だ!」


 ドリウスが叫ぶ。ドリウスを殴る手をフォラスが止めた。


「患者さんに怪我させないで下さいね。お嬢」


 レイラはフォラスに諭されてシュンとした。そんなレイラを見てフォラスが頭を撫で、ドリウスの横に立つ。反対側にはブルエが立つ。ブルエは手に対魔薬を持っていた。


「オレ様は要らない、自分から悪魔になったんだ!」


 それを聞いてフォラスが顔をしかめる。ブルエがドリウスを押さえるとドリウスは暴れた。フォラスも暴れるドリウスを押さえつけ、薬を飲ませるようレイラに頼む。レイラはブルエから薬を受け取るとドリウスの口に押し込もうとしたがドリウスは首を振り抵抗した。


「早う飲まぬか!」


「必要ない。オレ様は悪魔になった。戻るつもりは無い」


 レイラが涙目になり、ドリウスの頬を引っ叩いた。これにはブルエもフォラスも吃驚する。


「何をする!」


「悪魔化はお主が思っているほど甘いものではない! 下手をすれば死ぬのじゃぞ!」


「オレ様は兄貴を守ると決めた! そのためなら死んでも構わない!」


 レイラの中で何かが弾け飛んだ。レイラだけではない。ブルエもフォラスもレフォルもドリウスの一言で何かが弾け飛ぶ。アストロが口を開く。


「ドリウス。今のは言いすぎだ」


「兄貴まで!」


「命を粗末に扱うのは我々、医療団が見過ごせませんねぇ」


 フォラスがそう言うと着ていた服の中から何本かの注射器を出した。それをおもむろにドリウスの腕に打ち込む。ドリウスの身体中に激痛が走る。とても耐えられなかった。ドリウスの身体がガクガクと震えている。


「な、何を、した」


 フォラスが怖い顔で睨んでいる。ブルエも睨んでいた。レイラは蔑む目で睨んでいた。


「言うことを聞かないので、実験ついでにちょっとお仕置きしてみました」


 フォラスがにっこりと嫌な笑みを浮かべて言う。ドリウスの身体は自分の意思で動かすことができなくなっていた。レイラが無理やり対魔薬の入った注射器をドリウスの腕に刺した。対魔薬を投与したドリウスは、アストロみたいには暴れなかった。


「本当は経口の方が安全なのですが、暴れない所を見ると成功ですかね。いい麻酔薬です。これも劇薬ですが」


 フォラスはそう言うと注射器を眺めた。ドリウスは深い眠りに落ちる。


「すみませぬ。少々強引になってしまいましたな」


 ブルエが申し訳なさそうに言う。


「いいや、構わない。こいつは多少強引なほうが言うことを聞くのさ」


 アストロが笑いながら言うとレイラは深々と頭を下げた。アストロはそれを見てまた笑う。一方ブルエは男の子に近づいて行った。


「やはり、人間でございますな!」


 アストロが上半身を無理やり起こそうとしてベッドがガタンと音を立てた。それを見たブルエが慌てて弁明する。


「いやいや、ご安心を。我々は人間を捕まえませぬ。見たところ大きな怪我もないようですな。元気そうで何より」


 ブルエはにっこり笑うと男の子のベルトを外したと同時にフォラスが口を開いた。


「悪魔化は力をもたらします。しかし、正しく使わなければ自分の身を滅ぼすことになるのです。悪魔は恐怖や怒りなどの感情を好みます。不用意に使うのは危ないのです」


 唐突に扉が開き、メガネをかけて一冊の分厚い本を片手に持った化物が入ってきた。その化物は入って来るなり見たこともない化物がベッドに横たわっていることに対する状況説明を求める。


 レイラはこれまでの経緯を事細かに説明した。メガネをかけた化物が頷き、皆に挨拶をしようとした。アストロがその顔を見て吃驚する。


「ネビィ!」


 メガネをかけた化物が吃驚して目を見開く。


「ネビィ姉さんを知っているんですか!」


「姉さん? てことはお前さんは……」


 メガネをかけた化物が首をかしげる。そして思い出したようにペコリと頭を下げた。


「姉がお世話になっています。僕、ネビィ姉さんの弟のダリオンといいます」


 アストロが俯き、表情を曇らせる。ネビィは死んだ。ロヴェとドリウスの間に入って斬られた。アストロの口からはとても真実を話せなかった。すると突然ダリオンが本を落とし涙を浮かべ両手で顔を覆った。


「そん、な……姉さんが死んだなんて……」


 アストロは吃驚していた。アストロは口に出して言っていない。だがダリオンはネビィが死んだことを今はじめて聞いたような反応をした。レイラがダリオンを抱きしめる。レイラはダリオンを慰めながら口を開いた。


「ダリオンはちと厄介な能力の持ち主でのう。どんな相手の思考でも読み取れるんじゃ」


 レイラは本を拾ってアストロに見せた。


“ネビィは死んだ。ロヴェとドリウスの間に入って斬られた。”と書かれていた。アストロが思ったことが文字として本に刻まれていた。


「姉さんは、何でロヴェとドリウスという方に斬られたんですか……」


 ダリオンが質問した。アストロは言うべきかどうか迷った。だが、言わなくても本に記されてしまう。言うしかないと思った。


「戦いを止めようとしたのさ。だが、入った場所が悪かった。これは事故だ。だが事故とはいえ、お前さんの姉さんを殺してしまった。すまない」


「……いえ、事故なら仕方ないんです。大丈夫です」


 ダリオンはそれだけ言うと二階に上がって行ってしまった。アストロが俯いた。レイラがアストロのベッドのベルトを外し起き上がらせる。気分は最悪だったが、身体はとても軽かった。レイラが口を開く。


「あの子の旅もここで終わりかの。あやつは姉さんを探して旅をしておったからの」


 アストロは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。守れなかった自分が情けなかった。


「事故だったのじゃろ。他化事ひとごとのようじゃが仕方のないことじゃ。自分を責めるでない」


 レイラが本を読んでアストロの気持ちを読み取り、宥めるように言った。アストロは俯いていた。

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