Episode 16:悪魔アスタロトの名を冠する者。そして…

 アストロが目を開きにやりと笑った。アストロは死んでいなかった。短剣はアストロの喉に刺さっているように見えた。だが、実際には刺さっていなかった。ドリウスはそのまま下に振り下ろさず、アストロの喉の横を、床を刺していたのだ。ドリウスは涙を浮かべ口を開いた。


「殺せない! オレは兄貴を殺すことなんてできない!」


「……そうか。お前さんはそっちの未来を選んだのか」


 アストロが笑いドリウスが思い出したようにハッとした。悪魔アスタロト。その才を生かそうとせずいつも安楽に過ごし、サボり癖があり、邪悪なことを好んで常に笑いながら恐怖を喰らう悪魔。アストロはそのアスタロトになぞらえてつけられた名だ。親が付けた名前ではない。親は名前をつけられない。化物界のそういう決まり事だった。


 彼は過去と未来を見る力を持っていた。だが少なくともドリウスの知る限りではアストロにこの能力は使えなかった。アストロはいつの間にか能力を使えるようになっていた。


「いつからだ」


 アストロは少し思い出すフリをして答えた。


「さぁな。気付けば使えるようになっていた。それより」


 言いかけてアストロが庭に目をやった。ドリウスがそちらを見る。


「もうじきここには騎士団が来るぜ。早いとこ逃げたほうが良いんじゃないのか?」


 アストロの左目が緑に光っていた。その目には未来が見えているようだ。


「ッ! 兄貴!」


 ドリウスが怒鳴る。それと同時に庭から悲鳴が聞こえてきた。男の子の声だ。アストロは笑っていた。アストロが騎士団を呼んだのだろうか。ドリウスは考えるのを止めて急いで部屋を後にする。アストロはドリウスの後姿を見送ると俯いてため息をついた。


「……俺は悪魔だな。俺は、悪魔だ」


 アストロがアハハと笑った。その笑い声はどこか悲しげだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 庭では男の子が黒光りする鎧を着た騎士に捕らえられていた。男の子がもがいている。

 クロはニュッと手を伸ばして男の子を救おうとしていたが騎士団相手にどうにかなることはなかった。


 ドリウスが騎士団に向けて短剣を構えていた。長剣を扱う騎士団複数相手ではリーチ的に不利だったがドリウスは逃げなかった。ドリウスが騎士に斬りかかるが、長剣で受け止められ弾かれる。弾かれて体勢を崩したところを長剣が入る。ドリウスの右肩が斬れた。ドリウスが間合いを取る。男の子が叫んだ。


「やめて! 戦っちゃダメ!」


 ドリウスは男の子の声を聞かなかった。男の子の声は届いていなかった。もう目の前にしか集中していない。もう一度突っ込んでいく。その周りを騎士たちが取り囲む。完全に逃げ場を失った。


 クロはとっくに捕まってしまった。戦えるのはドリウスしかいない。増援は、アストロは、来ない。やはりアストロが騎士団を呼んだのだ。アストロは協力するフリをして男の子を、ドリウスを陥れたのだ。


 ドリウスは怒りと憎悪で満ち溢れていた。無差別に騎士へと斬りかかる。斬りかかっては長剣によって弾かれて斬られる。だがドリウスは逃げなかった。かわされようが斬られようが、ドリウスは何度でも立ち上がった。


「殺ってしまえ!」


 叫んだのは騎士たちの後ろにいた金色の鎧に身を包んでいる化物だった。騎士団の総長である。


 騎士団総長は右手を左肩から前へと突き出した。その合図でドリウスを取り囲んでいた騎士たちが剣をドリウスに向けた。そのまま突き刺す。無数の剣で串刺しにされたドリウスが短剣を落とす。ひざまずき、前のめりに倒れた。


「ドリウスーッ! 死んじゃダメ! ドリウス!」


 男の子が叫んだ。泣いている。男の子はじたばたと暴れだした。


「おいこら、暴れるんじゃない!」


 男の子を捕まえていた騎士が怒鳴る。それでも男の子は暴れるのをやめなかった。


「えぇい、そのガキを黙らせろ! それからその死体は廃品置き場にでも捨てておけ!」


 騎士団総長が怒鳴る。騎士たちは返事をするとドリウスを大きな袋に包みこみ、一匹がその袋を担ぐ。


 突然、クロが暴れだした。身体のありとあらゆる場所からニュッと腕を伸ばして抵抗する。騎士が思わず手を離した。クロは地面に落ち、ドリウスの短剣に近寄った。


「何をしておる。そやつも捕まえろ!」


 騎士たちはクロを取り囲む。クロは短剣を取り込むと動かなくなり、特に抵抗することなく大人しく騎士に捕まった。


「さぁ、王様がお待ちだ。行くぞ!」


 騎士団総長の掛け声で騎士たちは騎士団総長を囲むように隊列を作り、その場を後にした。残されたのはドリウスが首に巻いていたピンの取れたケープだけだった。


 アストロは影からそれを見ていた。目を見開いて、笑っていた。アストロがケープに近づく。手作りのケープ。母さんがドリウスのために作ったケープ。アストロと色違いだが同じケープ。アストロは自分のケープをローブの中から取り出した。


 アストロのケープは灰色だった。元々は純白な気持ちでいて欲しいという願いで作られたため白かったのだが、使っているうちに汚れて灰色になってしまった。そしていつの日かケープを巻くこと自体を止めてしまった。


 一方、ドリウスのケープは赤黒かった。正義を表す色として作られた赤いケープだったが、こちらも汚れによって赤黒くなってしまっていた。さらに赤いケープはドリウスの血も吸い込んでいた。アストロはドリウスのケープを首に巻き歩き始めた。


 彼の左目は赤く光っていた。何かを決心したように。禍々しい赤に光っていた。

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