Episode 17:狂乱と甲冑のその先に

 男の子は牢に閉じ込められていた。閉じ込められて手と足に錠をつけられて、自由に動くことができなかった。

 

 男の子は泣いていた。我慢していたが、ドリウスのことを考えると泣かずにはいられなかった。うなだれる首、動けない手足、頬を伝う涙。これらすべてが男の子に不快感と恐怖を与えていた。男の子にとってみればそれは拷問といっても過言ではなかった。男の子の身体と精神を痛めつけるのには十分すぎる仕打ちだった。


 牢の外では騎士が見張っている。クロはどこにもいない。おそらく別の部屋に監禁されているのだろう。男の子は絶望した。深い闇に引きずり込まれる感覚が男の子を捕らえて逃がさなかった。もがいても、あがいても、絶望の二文字は男の子にまとわりつき嗤っていた。


「交代の時間だ」


 牢の外で声が聞こえる。男の子がそちらを見ると見張りの騎士は首をかしげていた。


「ん? まだ交代には早いと思うが? お前は誰だ、名乗れ!」


「総長の命令だ。お前は保安隊に加われと。アタシは保安隊隊長のルフェルだ」


「そ、そうでありましたか! 失礼しました。では、お任せいたします!」


 見張りの騎士は焦って行ってしまった。ルフェルと名乗った騎士が牢の前に、見張りの騎士がいた所に立つ。男の子はまた首をうなだれた。


 ルフェルはため息をつくと足元に何か黒いものを落とした。黒いものは牢をすり抜け男の子の足元へとやってきた。黒いものには能面がついていた。能面が男の子に微笑みかける。男の子はそれを見て気付いた。クロだった。出会った頃より幾分か大きくなっていた。男の子が牢の外にいるルフェルを見る。ルフェルは腕組みをして壁にもたれかかっていた。


「情けないねぇ。とてもあの時の奴とは思えないよ。それにしてもこの鎧ぶかぶかだねぇ……。気持ち悪くて仕方ない」


 ルフェルは鎧を脱ぎ捨てた。髪の長い女性だった。ドリウスと同じく耳が尖っていた。甘美な香りがふわりと牢の中に充満する。それは、アラマ・マアマで男の子を捕まえに来た騎士の片割れだった。男の子は彼女を見てさらに泣き出した。ルフェルが戸惑う。


「な、泣くんじゃないよ! アタシが何かしたみたいじゃないか!」


 男の子は泣き止んだ。しゃくりあげているが、声を出すのを抑えていた。

 クロが足元でモゾモゾと動いている。ニュッと腕を出して男の子の前でその腕を振った。腕の先には錠の鍵がぶら下がっていた。クロの能面がニッコリ笑う。そして男の子を捕まえている手足の錠をはずした。


 男の子が前倒れに倒れる。力が入らなかった。クロの上に覆いかぶさるように倒れた。クロは押しつぶされる。クロの能面が苦しそうな表情を浮かべる。倒れる音を聞いてルフェルが牢の鍵を開け、中に入ってきた。


「大丈夫かい。しっかりしな!」


 ルフェルが男の子を抱え起こす。仰向けにして膝の上に横たわせる。膝の上で仰向けにぐったりとする男の子をルフェルはゆすっていた。男の子が起き上がる。周りを見渡してルフェルを不思議そうに見ている。


「心配させんじゃないよ!」


 ルフェルが怒鳴る。男の子はボゥとして目をこすった。


「ほら、行くよ」


 ルフェルが手を差し出す。牢から逃げ出そうと提案したのだ。男の子は頷き、ルフェルの手を取った。男の子は俯いている。ルフェルは牢の外に男の子を出した。手を離して男の子の方を向く。


「また心配させるような事したら承知しないよ!」


 ルフェルが説教すると男の子は俯いたまま黙り込んでしまった。ルフェルは戸惑った。言い過ぎたかと思った。すると男の子がにやりと笑って、いつの間にか持っていた短剣でルフェルの腹を掻っ斬った。咄嗟に避けるルフェル。遅かった。短剣の刃はルフェルの腹を斬っていた。血が滴る。ルフェルは斬られた腹を押さえている。頭を上げた男の子の顔は狂気に満ちていた。


 その顔を見てルフェルは周りを見渡す。クロがいなかった。ルフェルはその場に倒れこんでしまった。徐々に衰弱していくのが解る。短剣には細かいギザギザが付いていた。これにより患部は治癒し辛くなる。


「まさか……。デドロが、アイツの中に……」


 短剣の形はドリウスのものだった。だがドリウスの持つ短剣は刃こぼれしており斬れないはずだ。おそらく男の子の憎悪か、あるいはクロの感情が刃を斬れるものに変えたのだろう。男の子は笑っている。そこに騎士が駆けつけた。


「貴様ぁ!」


 ルフェルの片割れだった。男の子に向けて長剣を構える。


「フレウ! やめな! その子は殺しちゃいけないよ!」


「でも!」


 フレウと呼ばれた男はルフェルの方を向き歯軋りをしていた。男の子は短剣を逆手に持ち、フレウめがけて斬りかかって行く。フレウは気配を察知して男の子の方を向きなおすと長剣で男の子の短剣を弾いた。男の子が積んであった木箱に突っ込む。割れた木箱の破片が男の子の顔や身体に切り傷を負わせたが男の子は笑ったまま立ち上がった。


 フレウは豪腕だった。一振りで風を起こし、ほとんどの物を破壊するほどの力を持っていた。しかし、フレウは力を抜いていた。ルフェルが殺してはいけないと命令したからだ。男の子がまた走ってくる。フレウが長剣で弾くとそこに風が巻き起こり男の子は吹き飛ばされる。男の子はバック転し体勢を立て直した。


「あれは……!」


 短剣を持っていた手とは反対の手を胸に当て、何かを引っ張り出す。黒く、そして禍々しい、刃が湾曲した短剣だった。両手に短剣を持った男の子はフレウに突っ込んでいく。フレウは弾くので精一杯だった。男の子は何度も何度も両手の短剣を巧みに使ってフレウを追い詰めていく。


「何て、技だ。これは、人間じゃあ、ない!」


 フレウが人間の、しかも子供から繰り出される巧みな攻撃に疑問を持ちながらも精一杯戦っている傍らで、ルフェルが咳をし血を吐き出した。フレウが反射的にルフェルの方を向く。


 そのとき、男の子は今まで以上に力を込めて短剣を持ち、突っ込んできた。大きく振りかぶる。フレウが前を見たときには既に遅かった。黒い短剣が鎧を左肩から右腹部まで砕き斬り、ドリウスの短剣が跡をなぞるように掻き斬った。


 急所が斬れて血がドバッと噴き出す。男の子は笑っていた。灰色のシャツを、顔を、ルフェルとフレウの血で染めながら笑っていた。その姿はまるで悪魔のようだった。フレウは仰向けにぐったりと倒れこむ。それを見た男の子はニタリと笑うとその場を後にした。


 ルフェルはフレウの傍に這って行った。傷口は少しずつ塞がりつつあった。そういう種族だからだ。二日もすれば完治するだろう。しかしフレウは違った。ルフェルが壁にもたれかかり、膝の上にフレウを乗せる。


「こ、こんなところで死ぬんじゃないよ! しっかりしな、目を開けな、アンタが死んだら、アタシは何のためにここにいるのか解らないよ!」


 フレウはそれでもなおぐったりしていた。呼吸が浅い。


「目を開けなって! ……言ってるだろ。何でだよ……」


 ルフェルが涙を流す。


「何だよ、これ……」


 ルフェルは涙の意味を知らなかった。今まで泣いたことなど一度もなかったからだ。ルフェルには悲しい気持ちが溢れていた。この悲しい気持ちもルフェルは知らなかった。ルフェルの心が悲しい気持ちで溢れた。わけのわからない感情に怒る元気さえもなかった。ただただ悲しくなって涙がこぼれる。


 悲しみはルフェルにとってわけの解らないものであり、死の宣告なのではないかと思わせた。ルフェルが死を覚悟する。そっとフレウの冑を取った。整ったネコの顔だった。ルフェルの涙がフレウの頬に落ちる。それはフレウの頬を伝って床に落ちた。フレウは眠っているようだった。眠っているように見えた。


「フレウ……。アンタはスラム暮らしのアタシに生きる希望をくれた。でも、アタシは。アンタにまだ何も。何もしてやれてないのに」


 ルフェルはフレウの唇にそっと唇を重ねて眠りに落ちた。

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