Episode 14:永遠に続けばいいのに。

 気付くとドリウスはふかふかなものの上に寝ていた。布団だった。

 周りを見渡す。見覚えのある空間だった。ドリウスは上半身を起こしグルリと辺りを見渡した。誰もいない。左手側には障子があった。障子を開けるとそこには一人の子供が座っていた。人間の子供が、そこに座っていた。


 後姿に見覚えがある。ドリウスが手を伸ばす。突然その子供が振り返った。男の子だった。男の子はドリウスを見てビックリしたがホッと胸をなでおろしてニッコリと微笑む。ドリウスは目に涙を浮かべ、膝をつき、そしてほろりほろりとその雫を流した。


 男の子が心配そうにドリウスを見つめ、何を思ったのか突然立ち上がりドリウスの元へと駆け寄った。そしてドリウスのひざの上に乗り、ぎゅぅぅっと思い切りドリウスを抱きしめた。


 ドリウスが震える手で男の子を抱きしめる。とてもあたたかかった。ドリウスはそのあたたかさを感じ確信した。


「お前、人間、だよな……?」


 男の子がハッとして離れようとする。だがドリウスは離してくれなかった。


「大丈夫。大丈夫だ……。すまぬ。もう少しだけ、こうしてていいか?」


 男の子がコクリと頷き目を閉じて、ドリウスを優しく抱き返した。ドリウスは鼻をすすって泣いていた。


 長廊下の傍らで、出来るだけ男の子とドリウスに見つからないよう影に隠れながら、二人の様子を伺う黒いローブ。アストロだ。アストロはお腹をさすっていた。ドリウスの恐怖を食したのだ。アストロはフッと笑うと大きく息を吸い込んで、これまた大きな安堵のため息をもらした。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ドリウスが泣くのを止めてようやく男の子を離した頃、アストロは二人の前に姿を現した。


「ドリウスと二人で話がある。お前さんは向こうで遊んでいてくれ。いいね?」


 アストロが男の子に言うと男の子はこくりと頷いて黒い塊を連れて走っていった。

 黒い塊と男の子は庭で遊んでいる。だだっ広い庭を囲むように縁側がついた家々がコの字型に建っていた。そのすべてが障子張りで瓦屋根というみやびな造りであった。人間界のそれを模して作ったものだ。ここはアストロとドリウスの家である。二匹ともこの家を気に入っていた。このような造りはオビリオンの中で唯一だったからだ。


 アストロとドリウスは縁側に座り、男の子と黒い塊が遊んでいるのを見ていた。時折男の子がこちらを向いて微笑んだり手を振ったりしている。黒い塊も真似をするように能面で微笑んだり、ニュッと伸ばした手を振ったりしていた。ドリウスは極力返すようにしたが、黒い塊は直視しないようにしていた。アストロが問いかける。


「ドリウス。お前さん何を見ていた?」


 突然の問いに固まるドリウス。そして下を向く。アストロが何かを感じ取る。それは恐怖ではなかったが、それに近いものだった。ドリウスが口を開く。


「トラウマだ。思い出したくなかった過去の、な」


 アストロは頷く。ドリウスの中にはトラウマがあった。恐怖とは違うが近しい存在。トラウマはドリウスの奥底で眠っていた。だが、黒い塊の、おそらくデドロの負の感情に触れてトラウマが一気に押し寄せてきたのだ。アストロは低い声で、静かな声で、呟いた。


「トラウマ、か……。もう何年も前になるな。母さんが亡くなったのは」


 ドリウスがアストロの方を見る。アストロは蜘蛛の姿をしていた。だがドリウスはアストロから目を逸らさなかった。蜘蛛は笑っていた。この蜘蛛は、アストロは、いつだって笑っている。笑って話をするし、笑って事を済まそうとする。ドリウスの中でどす黒い憎悪が渦巻いていた。


 母上が殺されたその瞬間、蜘蛛は笑っていた。二足歩行の蜘蛛も、アストロも笑っていた。夢であったが夢ではない。実際に、現実に起きた出来事だ。その夢は過去という引き出しから引っ張り出されたトラウマ。毎日蜘蛛の姿のアストロを見ているうちに蜘蛛単体に対する恐怖が勝ち、いつの間にか心の奥底へ閉じ込められていたトラウマ。


「兄貴は、強いな……。オレは未だに母上のことを想うと怖くてたまらんのに!」


 ドリウスが言い放った。アストロは笑った。まただ。アストロがまた笑っている。ドリウスの中の憎悪は増していった。黒い塊が反応する。男の子と遊ぶのを止めてジリジリとドリウスに近づいていく。アストロが口を開いた。


「……何を言う。俺だって辛くて怖くて、毎日が、つまらないさ。憂鬱だ」


 その蜘蛛の顔が何となく寂しさをかもし出していた。アストロが俯いた。ドリウスの中で憎悪が小さくなっていった。それに反比例して哀しさが増していった。ドリウスがまた涙を流す。アストロは手を差し伸べようとした。しかしその手を止める。ドリウスには今、自分の姿がどう見えているのだろうか。醜い蜘蛛か、それとも、悲しみに満ちた哀れな蜘蛛か。アストロはドリウスを撫でられなかった。ドリウスが泣きながらアストロに問う。


「オレたちには何かが足りないのかもしれない。人間を捕まえたって、それで正式な騎士になれたとしても。オレたちは、それで、満足に生きることができるだろうか?」


「……さあな。俺には解らない。だが、一つだけ言えることがある。あの男の子。あの子には何かがある。運命を変える何かが、な」


 アストロが男の子を見てにやりと笑った。ドリウスはその顔を見逃さなかった。足元にグニグニとした感触があった。ドリウスが足元を見ると、黒い塊が足元で蠢いていた。ドリウスは足を上げて追い払おうとした。男の子が黒い塊を抱きかかえる。


「やめて! クロはドリウスと一緒に遊びたいだけだよ」


 男の子は黒い塊を抱えてドリウスを見ている。


「く、クロ?」


 ドリウスが問うた。男の子は頷く。アストロが笑った。男の子が口を開く。


「あのね。この子のおなまえ。まっくろだからクロ」


 ドリウスがケープで口元を隠す。くすっと一つ。そしてそれは段々と込み上げてくる。ドリウスは笑っていた。アストロがドリウスの方を見る。笑っているドリウスを見てアストロはホッとした。ホッとしながら笑っていた。


「センスのなさはドリウスと同等かそれ以下だな」


「何だと!?」


 アストロが笑いながら言うと男の子がアストロの方を向いて頬をぷくーっと膨らました。ドリウスもアストロを睨みつけていたが、その顔はどこか嬉しそうだった。クロが口を開く。


「ぼ、ぼく、クロ。ま、真黒だから、クロ」


 その言葉に顔を真赤にする男の子。ドリウスが笑った。アストロも笑い続けた。クロもまたそれが楽しかったのか笑っている。


「もーっ!!」


 男の子は顔を真赤にしながらぷりぷり怒っていた。だが、怒っていながらも嬉しそうだった。アストロは思った。この皆が笑っている時間が永遠に続けば良いのに。できれば、クロと男の子は不幸な別れ方をしなければ良いのに、と。

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