Episode 09:君の恐怖を食べたい

 男の子はふと何かに気付き首をかしげる。


「この町の人たちはアストロを見ても怖がらないの?」


 アストロが男の子の方を向く。そして笑った。笑いながら頷いた。頷いて口を開いた。


「ここにいる皆はオビリオンで生まれたからな。そもそも恐怖するものが何もないのさ」


「皆からどう見えてるのか気にならないの?」


「そら、まぁ。気にはなるさ。けどな。俺が恐怖のない化物にどう見えてるかなんて聞けないな。俺自身、俺の本当の姿を見たことがないんだ。それに――」


 言いかけて口を紡いだ。男の子が不思議そうにアストロを見ている。アストロは言葉を探していた。アストロは自分のことを話すのはあまり好きではなかった。


 話そうか迷っていた。男の子が恐怖するかもしれないと思った。男の子が離れて行ってしまうと思った。恐怖から逃れられなくなるのではないかと思った。


 男の子はそれでも首をかしげて聞いてくる。アストロは決心した。男の子に自分がどんな化物であるかを言う決心をした。


「それに俺は、恐怖を餌にしているからな」


「きょうふをえさ?」


 男の子はまだ解っていない様子である。


「うーん。つまり、俺は相手の恐怖を飯としているんだ。相手が怖がれば怖がるほど俺の腹は満たされる。俺が相手の恐怖する姿に見えるのはそのためさ」


 アストロが男の子の頭を撫でる。


「だが、恐怖を喰うってことは同時にそいつの精気を吸い取るのと同義。だから俺は恐怖のないやつらに恐怖を与えたくない。俺自身が俺の本当の姿を知ってしまえば、おそらく俺は俺じゃいられなくなる。欲に負けて恐怖を俺自らの手で与えてしまうだろうな。本当の俺は恐怖というベールに身を包んだ欲深くて醜い奴だからな」


 男の子には何を言っているのか理解できなかった。だが、恐怖を食べることでアストロのお腹が満たされるということだけは解った。


 男の子が何かを思い出そうとする。パッと頭に浮かんだのはお兄ちゃんが血まみれになった姿だった。もう思い出すまいとしていた記憶。とても暗く、辛い、記憶。男の子がアストロの方を見て恐怖した。


「お前さん。今、何をした。恐怖を見ているな? 俺がどう見えている?」


 アストロがにやりと笑って男の子に問いかける。男の子は強ばる口で声を発した。


「ち、血だらけの、お、お兄ちゃん……」


「……そうか。お前さんのお兄さんか。バイク乗りのな」


 アストロはお兄ちゃんを知っていた。男の子の中から恐怖が少しだけ消える。


「お兄ちゃん知ってるの?」


「あぁ、もう死ぬかもしれないっていう恐怖で溢れてたな。その恐怖を吸い取ったのは俺だ。だが、精気は吸い取らなかった。いや、一度は吸い取ったが、戻したんだ」


 アストロは俯いた。男の子には血まみれのお兄ちゃんが首を垂れたように見えた。男の子は目を背ける。アストロが男の子に近づき頭を撫でた。ひんやりと冷たい手が男の子の頭を撫でる。冷たい手だったがあたたかかった。男の子は顔を背けている。


「お前さんのお兄さんは殺せなかった。殺したくなかった。不思議とな」


 アストロがハァと息を漏らす。その息は血生臭かった。男の子は思わず鼻をつまむ。


「お前さんもバカだな。俺なんかのために恐怖しなくたっていいんだぜ。恐怖ごっこはこれでおしまいだ。早いとこ事故って血まみれになったお兄さんのことなんか忘れちまえ」


 男の子はふるふると首を横に振った。お兄ちゃんのことを忘れるよう言ったのだと勘違いしていた。それを見抜いたアストロは笑いながら言う。


「そうじゃねぇよ。血まみれってことを忘れろ。いいね? 俺はヤギ骨頭ぼねあたまのアストロさ」


 男の子が恐る恐るアストロを見る。そこには血まみれのお兄ちゃんの姿ではなく、黒いローブに身を包み、ヤギの頭骨を頭にくっつけた恐ろしく奇妙なアストロが居た。


 男の子の顔に笑顔が戻る。アストロがまた男の子を撫でた。男の子の恐怖は消え去った。それと同時に男の子のお腹が鳴る。男の子はお腹を押さえた。アストロがそれを見て笑う。


 男の子は顔を赤らめていた。赤らめて頬を膨らましながらアストロのローブをグイと引っ張った。アストロが体勢を崩して屈み口を開いた。


「何か食べるか? 奢ってやるぞ?」


 男の子はショルダーバックの中に、たまごサンドがあることを思い出した。おもむろにショルダーバックを開けようとする。アストロがそれを制した。


「それは大事なものなんだろう? 取っておきな」


「でも、お母さん、じゃなくて、イアノスに作ってもらったんだもの」


「イアノス、か……」


 アストロが呟く。男の子がローブを握ってクイクイとやった。


「いや、何でもない。とにかくそれは仕舞っておけ。いざって時に食べるといい」


 男の子は出しかけた、たまごサンドを仕舞った。いざという時とは何なのだろうと考えていたが、アストロが立ち上がり急かすため、男の子は考えるのをやめてアストロについていった。

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