Episode 07:オレ様参上!!

 アストロが何かに気づいたように道の向こうへ顔を向けた。誰かが走ってくる。頭が横を向いて前に向かって走ってくるシルエット。変な走り方だ。


「まずい。お前さん、ここに隠れてな」


 アストロがローブで男の子を包み込む。その中は意外にもあたたかかった。道の向こう側から高めの声が聞こえた。


「兄貴ぃ!」


「どうした、騎士見習いのドリウスさん」


 アストロが小馬鹿にするように言う。ドリウスと呼ばれた男は怒ってアストロの方を向いて怒鳴ろうとした。


「見習いは余計……アギャー!」

 

 ドリウスは飛び上がって後ろに仰け反った。そして尻餅をつく。


「おいおい、いい加減慣れてくれよ。心が痛いぜ……」


「く、くく、蜘蛛が大嫌いなんだよ、オレは!」


 ドリウスはアストロを直視しないように顔を背けながら口を開いた。アストロが頭を掻く。ボサボサと毛が擦れるような音がした。ドリウスにはそう聞こえたようだ。腰を強打してしまったのか右手で腰に手を当てて唸っていた。


 男の子は笑うのを堪えていた。ローブのスキマから見えたドリウスの姿は人間のようだった。だが耳が尖っていた。腰に短剣を携え、洋服は白を基調としたフード付きのもの。腰に赤い帯を巻き、短く赤いケープで肩と首元を覆い口元も隠していた。


 男の子はその姿に見とれてしまった。とても格好良かったのだ。その格好良いドリウスが、飛び上がって後ろに仰け反って尻餅をつき、腰に手を当てている姿はどうしてもおかしかった。


 アストロが片手をローブの中に引っ込めて、男の子の口にあてた。男の子は笑いを堪える。ドリウスが腰に手を当てながら立ち上がりアストロの顔を見ないようにそっぽを向きながら尋ねた。


「兄貴、ここに人間が来なかったか?」


 人間という言葉を聞いて固まる男の子。アストロが何と言いだすか不安だった。アストロはしばらく口を紡いでいた。何か考え事をしているようだ。ドリウスが片足をパタパタと地面に叩きつけながら答えを待っている。


「うん。いいや、見てないぜ」


 アストロは首を横に振った。ドリウスがアストロの方を片目で睨みつけている。


「嘘じゃない。人間の臭いがそこら中からするから、思考回路が鈍っただけだろ?」


 ドリウスが口元のケープをずらして鼻をひくひくと動かした。そして納得したように深く頷く。沈黙。人間の臭いがドリウスの思考回路を鈍らせた。いや、実際には人間の臭いにそんな作用はない。アストロがでっちあげたデタラメである。


 だがドリウスはアストロの言葉をあっさりと信じた。アストロが道の向こうを見る。遠くを、一点をただ見つめている。ドリウスが道の方を見たがそこには何もなかった。


「どうしたんだよ兄貴」


「いや、人間ってどんな姿なのかと思ってな?」


 ドリウスが首をかしげる。そして誇らしげに口を開いた。


「そりゃあ、スラッとしてて口が裂けててずる賢そうな顔をしている奴だろ?」


 あまりにもドリウスが得意げに間違ったことを言っているためアストロは笑いを堪えるのに必至だった。それは男の子も同じだった。ドリウスがムスっとして怒鳴る。


「何がおかしいんだよ! 大体合ってるだろう。まぁ、このオレ様には敵わないけどな」


 アストロは吹き出した。ドリウスがそれを見て子供のように両足をバタバタとさせた。


「とにかく、人間を見つけたらオレに連絡しろよ。王に献上して、このひもじい傭騎士生活から脱却し、正式な騎士になってやるんだからさ。そんときは兄貴も一緒に、な?」


 ドリウスが口元のケープに片手を当てて格好良く言う。もちろんアストロの顔を見ながらだ。背筋が凍るような感覚に囚われ、苦笑し、腰から崩れ落ちた。


「いや、まぁ、解ってるけどな。心が痛いぜ……」


 アストロが苦笑しながら言う。ドリウスは無言のまま四つん這いになって、来た道を引き返して行った。


 男の子がアストロのローブの中から出てくる。笑うのを堪えていた。アストロは笑い出した。それにつられて男の子も笑った。アストロが男の子の頭に手を乗せて撫でる。冷たく硬いなでなではあまり心地よいものではなかったが、それでも男の子は嬉しかった。


 気付けばアストロに対する恐怖がなくなっていた。アストロが感心したように男の子を見ている。男の子はアストロにニッコリと微笑みかけた。アストロもまた微笑んだ。動くはずのないヤギの頭骨の口元が緩んだ気がした。アストロが男の子の頭の上に乗せていた手をローブの中に引っ込めると口を開いた。


「ま、聞いてのとおりあいつは俺の弟だ。クソ生意気でバカだが可愛い奴でな。人間のことを何も知らないくせに捕まえようとしてる。だからこそお前さんは危ないんだけどな」


 アストロは笑いながら言っていたがとても真剣な話だ。

 

 オビリオンでは、王命に協力することで正式な騎士になることができる。それは、迷い込んだ人間を王に献上し続けること。


 この騎士は決して戦争や内戦をするための人材どうぐではない。あくまでも町で異常が起きていないか、化物同士で争いはないか、そのパトロールを担当している。昔は戦争のための騎士団だったらしい。


 無論、初めから騎士団に入団すれば良い話だが、騎士団に入団しても功績を挙げられなければ半年以内に退団となる厳しい組織だった。さらにオビリオンでは一から騎士団に入団した者よりも、フリーの傭騎士から功績を挙げて入団した方が手厚いサポートを受けることができる。


 理由は実に簡単である。一からだといくつもの制限があり、オビリオンの町を自由に歩くことができない。


 しかし、フリーであれば幾多の依頼が来て、それをこなすことにより土地勘が増え、その場所の化柄ひとがらも解る。必然的に初めから騎士団に入団した者よりも経験は豊富になる。結果、騎士団として任せられる場所が増えるため信頼もサポートも手厚くなるのだ。


「ドリウスは騎士団への入団を夢見ている。だからお前さんを捕まえに来るはずだ」


「アストロはぼくをつかまえないの?」


 男の子が首をかしげて尋ねる。アストロは笑った。そして、男の子が走ってきた方を、豪邸の方角を見てまた笑った。


「んー。めんどくせ。人間を捕まえるなんてめんどくせ。だから捕まえないさ」


 アストロは面倒くさがりやなのだろうか。もしかしたら本当に捕まえたくないのかもしれない。真相は解らない。だが、アストロは優しくて面白い化物だということは解った。


「やることがあるんだろ? この道より先はドリウスの管轄下だ。ドリウスは人間の姿を知らないが、お前さんを見たらきっと気付くだろう」


「どうして?」


「人間には強い臭いがある。そこら中に充満しているが、その臭いの元を辿ればすぐにバレるはずだ。できるだけ俺も協力してやるが、いざとなれば逃げろ。いいね?」


 アストロの真剣な声はとても威圧的だった。男の子は頷くしかなかった。

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