Scene 03:Explore ―切り開く者―
Episode 06:アストロ@最恐の化物(ホラーマン)
イアノスの豪邸を出ると赤い花が男の子を出迎えた。あたり一面の赤い花。その一輪一輪が悲しそうに風に揺らめいている。男の子にはそれが嗤っているように見えた。男の子は一瞬たじろく。しかし決心の方が恐怖に打ち勝った。赤い花の中を歩いていく。ふと声が聞こえた。ハッキリとではない、小さな声だ。聞き覚えのある言葉で微かに聞こえた。
――苦しい
男の子は恐怖した。その声は、まるで脳に直接語りかけているように聞こえた。男の子は頭をブンブンと横に振り走り出した。
豪邸に、イアノスの元に戻ることも考えたが、お兄ちゃんを探さなくてはならない。その一心で前へ前へ走り続けた。しかし、男の子の頭には方角の事など考える余裕がなかった。
――約束したのに
それでも聞こえてくる声、声、声。ハッキリと聞こえないことが男の子の恐怖を煽っていた。走って、走って、走り続けると男の子はいつの間にか舗装された道の前に出た。キョロキョロと辺りを見回す。黒光りする鳥居などどこにもなかった。
その道に一歩踏み入れた途端、今度はハッキリと後ろから声が聞こえた。何と言っていたか聞き取れなかったが、微かな声ではない。そして手を掴まれ後ろに引っ張られる。男の子は尻餅をついた。腕は掴まれたままだ。
男の子が恐る恐る右斜め後ろ下を見ると黒いヒラヒラとしたカーテン状の布の間から白くて長い五本の指が出ており、その五本の指がガッチリと男の子の腕を掴んでいた。パキリ。男の子の中で何かが壊れた。
先ほどまであった強い決心は一気に恐怖へと変貌した。何も考えられなかった。頭上から声がする。図太い男性の声。今までとは違う恐ろしい声。よくわからない言葉でブツブツ言っている。それはまるでお経のようだった。恐怖で言葉が聞き取れなかった。男の子は完全に恐怖に支配されていた。身体が震えている。声が一層大きくなり、やがてそのお経は聞き覚えのある言葉に変わった。
「お前さん、人間の子供なのかって?」
男の子が震える身体でコクリと頷く。
「そうか。なら引き止めたのが俺で良かったな?」
男の子の腕を掴んでいた五本の指が離れる。男の子は掴まれていた腕をもう片方の腕でさすった。また頭上から声が聞こえてくる。
「人間ってことを真先にバラしちまったのは感心できないけどな」
その声は笑っていた。男の子の中から恐怖が少しずつではあるものの消えていった。だが、身体は言うことを利かなかった。震えが止まらない。まったく動くことができない。後ろに振り返ることも、腕をさすっていた手も止まっている。全身が金縛りにでもあったように動かなかった。声もでない。それだけの恐怖を男の子に植えつけたのだ。
「俺はアストロ。振り返らないほうがいい。
アストロはまた笑いながら言った。
「振り返っちゃあダメだぜ? 絶対ダメだからな? 怖いぞ?」
男の子はその笑いながら喋るアストロの声を聞き、気が楽になっていった。いつの間にか身体が動くようになっている。恐怖が消えたのだ。恐怖の代わりに好奇心が芽を出し始めていた。アストロはどのような人物なのかを知りたいと思う好奇心である。
ここまで恐怖を植えつけたのだから、当然知りたくもない白い五本指のアストロのことを何故か知りたいと思っていた。笑顔で振り返る。
そこには黒いローブに身を包み、動物の骨、おそらくヤギの骨を頭にくっつけた恐ろしく奇妙なものが居た。男の子の顔から笑顔が消える。ゾワゾワと恐怖が湧き上がってくる。先ほどとは違い今度はゆっくりジワジワと恐怖が湧き上がってくる。男の子が下を向く。アストロは困惑していた。
「見ちまったのか。お前さんには俺がどう見えている?」
唇がこわばってしまい上手く動かない。それでも男の子は下を向きながら極力アストロの顔を見ないように小さく声を発した。
「が、がいこつ……どう、ぶつの……ほね……」
アストロが頭を掻く。コツコツと音がして掻いているというよりも指で叩いているようだった。アストロは精一杯笑った。しかしヤギの骨の頭は笑顔など作れなかった。カチカチと音を鳴らすだけだ。男の子は今にも泣きそうである。泣きそうであるが堪えている。
「それが、お前さんの恐怖か」
「きょう……ふ?」
男の子が顔を上げずに震える声で尋ねる。アストロは俯いた。切り出す言葉を探していた。アストロは自分のことを話すのはあまり好きではなかった。話そうか迷っていた。男の子が泣き出してしまうと思ったからだ。迷っていたが泣くのをグッと堪えている男の子を見て大丈夫だと思った。アストロが口を開く。
「俺には姿がない。見た者が見ている恐ろしい姿、それが俺の姿なのさ」
「ど、どういう、こと?」
男の子は理解できなかった。アストロはまた俯く。説明の仕方を考えているようだ。沈黙。男の子が震える身体で一歩ずつアストロに近づいていき、アストロの手をとった。白くて長い手。骨の手。冷たくて体温がない手。男の子は恐怖と戦っていた。男の子は下を向いたままでアストロの顔を直視することはできない。しかし、男の子は泣かなかった。
「俺の身体は、そいつが恐怖する姿に見えてしまうんだ。だから、
アストロが苦笑しながら言った。男の子は少し理解した。男の子が怖いと思ったもの。それは骸骨である。他にも恐怖するものは沢山あるが、お兄ちゃんと一緒に行った博物館で見た動物の骨、特にヤギの骨を見て泣いてしまったことが一番印象に残っていた。
何てことはないただの作り物だったが、男の子に恐怖を植えつけるには十分すぎたのだろう。男の子はもう一度恐る恐るアストロの顔を見た。何の変哲もないヤギの頭骨。だがそれはどこか寂しそうだった。
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