Episode 05:新たな旅立ち

 しばらくして、抱き合った二人は互いの顔を見た。男の子の目は強い決心に満ち溢れていた。イアノスもまた諦めたように悲しげな顔でにっこりと笑い男の子の頭を撫でた。


「私はね。ここに迷い込んだ人をね。元の世界へと帰すお仕事をしているの」


 イアノスは男の子の頭を撫でながらこの世界の過去を、この世界の闇を、語り始めた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 私は元々、ここに来た人間を捕まえて肉体と精神を分離させ人間の形をした器を作るという仕事をしていたの。遡ること百二十年前に起きたある事件が発端よ――


 噂があなたの村に広まった頃、何人かの村人が興味本位で森に近づいたの。満月の夜、池にその身を映して飛び込むと地下アンダー世界ワールド『オビリオン』にたどり着く。

 

 だけど、オビリオンに来た大人は皆、急激に水分が抜け、喉が渇き、一気に飢えて死んでいったわ。人間はオビリオンの環境には適応できなかったのよ。


 人間の死を悲しんだ私たちは、人間を擬似的に生き返らせる計画を思いついた。オビリオンで死んだ人間の肉体と精神を作り変えれば記憶をそのままに人間として人間界へ送り返せる。そう仮説を立てて、オビリオンで死んだ人間の肉体と精神を分離させて人間の器を作り、一から組みなおすという実験を始めたわ。それは人間の死を無駄にしないようにという優しさからだったの。あの頃は平和だったわ。


 それである日、一人の子供がオビリオンに落ちてきたの。その子供には問題があった。大人は皆オビリオンに来た瞬間死んでいったけれど、その子供はいつまで経っても死ななかったの。


 そこで私たちは憶測を立てた。人間の心には闇が宿る。その闇が負の感情を増幅させ、邪気を呼び寄せる。その邪気が身を滅ぼした原因なのではないかってね。


 研究を進めていくと、その闇がオビリオンの汚れ無い環境と干渉して結果的にその身を滅ぼしてしまったということが解ったわ。


 人間にとっては心のスキマに巣食った小さな闇だったかもしれない。でも、オビリオンの環境下ではそれはとても大きなものだったの。純粋無垢な村の子供の心にはその闇がなかったのね。


 私以外の化物たちは考えたわ。人間界から来た純粋無垢な子供から作った器であれば化物がその器の中に入って人間界でもオビリオンでも暮らしていくことができるのではないかって。私たち化物も、人間界に行くことはできても長くはいられないから……。


 化物たちの間に欲が芽生えた瞬間よ。化物たちが人間と共存できる理想郷を作るという欲。もちろん私はすぐに脱退したわ。初めはその落ちてきた村の子供を快く迎え育てていた化物たちだったけれど、いつしかその子供は器のための実験材料に変わり、今まで以上に大事に育てられていったの。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 イアノスは語り終えるとハァと息を漏らした。イアノスはその理想郷計画から男の子を守るためにこの豪邸に留まらせようとしたのだ。そして次の満月の夜、男の子を無事に人間の世界へ帰そうとしていたのである。


 男の子は理解できなかったようでイアノスの顔をポカンと見ていた。


「ごめんなさいね。こんなこと言っても、分からないわよね……。ごめんなさい」


 イアノスはとても辛そうな顔をしていた。イアノスの話は解らなかったがそれでも男の子の決心は揺るがなかった。男の子は頷いてイアノスの両手を取った。


「ぼく、行かなきゃ。お兄ちゃんを見つける」


 イアノスは俯いた。そして口を開く。


「そう……。見つかるといいわね……。応援しているわ」


 イアノスは男の子の手を撫でる。そして洋服のポケットからパズルのピースのようなものを取り出して男の子に渡す。


「これは私たちの心を示すピースよ。離れていても私と坊やは繋がっているわ」


 男の子は大事にピースをポケットに仕舞った。イアノスが何かに気づいたようにキッチンへと向かっていった。


 少しするとイアノスがラップに包んだ、たまごサンドと小さなショルダーバックを手に持って戻ってきた。食べやすいよう一口サイズにカットしてある。イアノスは男の子にたまごサンドが入ったショルダーバックを渡す。男の子は大事そうにそれを受け取り肩からかけた。


 このショルダーバックも男の子がいつも出かけるときに使っているものと同じものだった。ところどころ擦り切れていた部分はしっかりと直っている。大きくて強い決心とちょっぴりの寂しさ、そして一縷の名残惜しさを胸に男の子は豪邸を、イアノスの元を後にした。

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