Scene 02:Deceit ―偽り―

Episode 03:落ちた先には…

 甘い香りが漂っていた。男の子はその甘い香りに鼻をくすぐられて目を覚ました。そこら一面に赤い花が咲き誇っており、そのど真ん中に男の子は仰向けになって寝転がっていた。空は真黒だった。赤と黒のコントラスト。そこに溶け込む灰色の下地に黒のラインが一本入ったダボダボシャツを着た男の子。男の子のシャツの丈は長く、ワンピースに近い。


 男の子が辺りを見渡していると一角にポツンと大きな鳥居があった。形こそ神社にあるそれと変りないが風化してしまったのか元からそうであるのか鮮やかな朱の色ではなく、黒々と不気味に光る鳥居であった。


 男の子は鳥居に向かって歩き始めた。鳥居をくぐり抜けて赤い花の中を歩く。右を見ても左を見ても一面赤い花だらけ。その中をただひたすらに歩き続ける。前方に先ほどの鳥居とは似合わないお城のような洋風な豪邸が姿を現した。初めて見る大きな家に思わず、わぁと声が漏れる。


 扉には鍵がかかっていなかった。


「お邪魔します……」


 男の子は礼儀正しかった。いつもお母さんに教わっていたからだ。とはいえ持ち主が分からない家の扉を勝手に開けて入ってしまうあたり、やはり子供だった。


 中は薄暗く明かりと言えるものはろうそくに灯った一つの炎。そこには玄関らしき段差がなく、赤い絨毯が奥へと続いている。


 その奥の方から声が聞こえてきた。言葉は解らないがその声は透き通るほど綺麗で、強く、しかしどこかとても悲しげで。思わず瞼を閉じて聴き入ってしまうほどの歌声だった。男の子にはそれが懐かしく感じた。いつの日かは思い出せないが、こんな歌声を聴いた気がした。


 その声が段々と近づいてくる。声の方を向くと、ろうそくの明かりで近づいてくるもののシルエットが確認できた。二足歩行ではあるものの、かなり背が高く頭の上に耳があり、手の指は短く鋭い爪を持っており人間のそれとは全く異なっていた。


 男の子はどこかに隠れる場所がないか探す。しかし隠れる場所はなく男の子はただただその場で立ち尽くすし、目を瞑るしかなかった。突然歌声が止まる。そして聞きなれた言葉が聞こえてきた。


「大丈夫よ。あなたとは少し違うけれど襲ったりしないわ」


 男の子は不意に抱きしめられる。おそるおそる目を開けるとにっこりと微笑むオオカミの顔がそこにあった。男の子はオオカミの手を振りほどこうとする。しかし、オオカミはより一層強く、優しく男の子を抱きしめた。懐かしさを覚え、男の子は抵抗をやめる。それはまるでお母さんに抱きしめられた時のようなあたたかさだった。


 オオカミは男の子の頭を撫でる。しばらくして男の子がおそるおそる尋ねる。


「おおかみさんは誰なの?」


 するとオオカミは吃驚した顔をして吹き出し笑いをした。


「あら、私はオオカミじゃなくて狛犬よ。神社で見たことあるでしょ。名前はイアノス」


「こまいぬさん? いあのす……」


 男の子は首をかしげた。イアノスはまたにっこりと微笑み男の子の頭を撫でた。


「さ、こちらへいらっしゃい。靴は脱がなくていいから」


 イアノスは男の子の手を握って家の中を見ながら言った。男の子は文化の違いに戸惑いながらも、手を引かれるままついて行った。


 ふいに部屋の電気がつく。

 男の子は外観よりもさらに広く感じる豪邸の中を見て再度わぁと声を漏らした。ピカピカに磨かれた床に大きな机とテーブル。ふとリビングらしき広い部屋に目をやると大きな暖炉があった。暖炉の中には薪が積んであり、使った形跡はない。


 しかしその薪の下には灰が溜まっていた。その暖炉の前には特注品だろうか、大きくておしゃれなロッキングチェアが置いてあり、座面の上には毛糸玉と作りかけの何かが乗っていた。


「セーターを編んでいるのよ。私は着ないけれど……」


 灰色の下地に黒のラインが入ったセーターだった。それは男の子が着ているシャツと全く同じであった。


「さ、行きましょう。あなたのお部屋はこっちよ」


 イアノスが男の子の手を引き二階へと上がった。上がってすぐ右手にある部屋に入るとそこは男の子が住んでいた家の部屋にそっくりだった。小さなベッドがあり、その前に小さな勉強机がある。その下にはおもちゃ箱がある。


 おもちゃ箱の中にはプラスチックの飛行機や車のほかに、しろくまの小さな人形が仕舞ってあった。他にも洋服を入れるタンスや靴箱など、生活観のあふれる部屋だった。元々ここに住んでいたのではないかと思わせるほどだ。ふいにイアノスが口を開く。


「今あなたの好きな、たまごサンドを作るわね。それとも生姜焼きがいいかしら?」


 イアノスは何故か男の子の好きなものを知っていた。男の子はそのことに驚いたが、不思議とそこに疑心や不安などはなかった。


「たまごサンドがいいな。お母さん」


 雰囲気に流されて似ても似つかないイアノスをついついお母さんと呼んでしまう。イアノスは目を見開いてとても驚いていた。


「あらまぁ。お母さんだなんて。可愛い坊やね?」


 男の子は照れくさそうにそっぽを向いた。イアノスはまた男の子の頭を撫でて一階へと下りていった。男の子は辺りを見回す。馴染みのある部屋。普段と何ら変わりない部屋。唯一違うのは窓の外に空がないということ。それでも男の子にとってはとても居心地が良かった。うずうずしてベッドにダイブする。


 ふっかふかで程よく暖められた男の子好みのベッドだった。男の子はウトウトしだし瞼を閉じた。目の前が段々と暗くなっていき、いつの間にか夢の中へ落ちていった。

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