Scene 01:Nightmare ―悪夢―

Episode 02:森の奥地へ

 お母さんが作ってくれた大好きな『たまごサンド』でお腹が満たされ、家の中の扇風機と外の陽の光で程よく保たれた室温によって男の子はウトウトしだす。


 かっこいい首飾りを貰ってはしゃぎ疲れたこともあってか、男の子は再び眠りに落ちた。最初は陽の光に照らされて赤かった男の子の瞼の裏が徐々に黒くなっていき、セピア色に変わった。


:村の子供が尋ねました


 ――ねぇ、どうしてあの森に入っちゃいけないの?


 村の大人たちは口々に言いました


 ――あの森には化物がいるのだよ

 ――あの森に入ったら二度と生きて帰ってこれないんだよ

 ――あの森は呪われているんだよ

 ――あの森は楽しいところだよ


 村の子供はまた尋ねました


 ――化物とお友達になれないの?


 村の大人たちはまた口々に言いました


 ――化物と友達になんかなれるものか

 ――化物は人殺しなんだよ

 ――化物はとっても怖いんだよ

 ――化物は優しいんだよ


 村の子供は俯きました

 そして俯いたまま口を開きました:


 烏が鳴き、夕方を知らせる。空は紅く染められて、木々が強風に揺れ葉音はおとはやす。


その音に交じり何かを焼く音とえた臭いが二階の床でゴロ寝していた男の子を目覚めさせ、それと同時に夕の光が男の子に不快という名のプレゼントを渡した。


 男の子は何事かと目をこすり、ふと森の方を眺めた。数分前の通り雨に湿った木々が、夕の光を反射してギラギラと不気味に光っていた。


「へんなゆめ」


 男の子はそう呟いてベッドから出た。男の子が階段を下りていくと一人の女性が階段を上がってこようとした。


「あら、起きたのね。あなたの大好きな生姜焼き作ろうとして焦がしちゃったのよ」


「おはようお母さん。それの臭いで起きたの」


 お母さんは頷くと階段を下りていった。それに続いて男の子も下りていく。


 男の子が椅子に座ると目前に、焦げを極力取り除いた生姜焼きがお皿の上に盛り付けられて出てきた。


 その隣には、キャベツと焼いたニンジンに黄々ききとしたコーンと瑞々しいブロッコリーを盛り合わせたチープなサラダが出された。


 しかし男の子は野菜があまり好きではないらしく、コーンだけ食べてサラダが入ったお皿を遠ざけた。すると向かい側に座って漫画を読んでいた男性がチラリと男の子の方を見てまた漫画に目を落とした。それを見た男の子が口を開く。


「だって、ぼくあまり好きじゃないんだもの。お兄ちゃん食べてよ」


 漫画を読んでいた男性はお父さんではなくお兄ちゃんであるが、笑うことは苦手なようで男の子と笑顔も似ていない。キッチンからお母さんの叫ぶ声が聞こえる。


「ちゃんと食べなきゃダメよ!」


「いらないもん!」


 男の子はそういうと生姜焼きだけ食べて部屋を出て行った。お母さんが戻ってきてため息をつく。お兄ちゃんの方に目線をやるとお兄ちゃんは漫画で顔を隠した。


「ごめんよ母さん。俺もあまり好きじゃないから……」


「はぁ。きっとあなたに似ちゃったのね。迷惑な子だわ」


「……ごめん」


 お兄ちゃんは漫画を置いて部屋を出て行った。お母さんはまたため息をついた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 お兄ちゃんが二階に上がると男の子が目に涙を溜めて森の方をボゥと眺めていた。部屋に入って男の子に声をかけた。


「……何を見てるんだ?」


 男の子が振り返る。そして首を横に振った。しかし顔はとても何か言いたげだ。男の子は俯いてしばらく考えていた。何を言うか考えていた。いや、その何かを言うべきかどうかを考えていた。そして不安そうに胸をさするとお兄ちゃんの方を見た。


「森は楽しいところなの。化物が住んでるって。化物とはお友達になれないのかな」


「どこでそれを!」


 男の子が首をかしげる。そして何かを思い出そうと斜め右上の空を見つめた。


「んとね。ゆめを見たの。とてもへんなゆめ」


 お兄ちゃんは目をそらした。そして自分の首にかかっている丸い輪に鳥の羽根が3つ付いた小さな首飾りを撫でた。そして男の子の両手をギュッと握り、目を真直ぐ見つめた。


「いたいよお兄ちゃん!」


「御守りが効かなかった。変な夢を取払ってくれなかった」


「いたいの!」


「……うん、あ、ごめん」


 男の子はムスッとして首を横に振った。手を振りほどくと首飾りを両手で持ち上げて首から取って、お兄ちゃんに投げつけた。それを見てお兄ちゃんは狼狽する。そして何かにとり憑かれたように窓の外を、森の方を見つめる。


 その森の奥は一層暗く、ずっと細い道が続いている。道の傍らには看板と朱色の鳥居と石でできた二段の塔が立っており、その塔の前には赤い花が一輪咲いていた。その花がお兄ちゃんの目には何故か手招きをしながら嘲笑ってように見えた。


 突然外で鳴き始めた一匹の蝉の音でふと我に返り男の子の方を向くと、お兄ちゃんを見てシュンとしていた。


 お兄ちゃんはため息をついて男の子の頭を撫で、投げ捨てられた首飾りを持って部屋を飛び出し外へと出て行った。その様子を見た男の子は、後を追いかけるように慌てて家を飛び出した。


 お兄ちゃんは森の入り口の前に来ていた。辺りを見回すが他に人気ひとけは無い。二段の石の塔の前に咲いている一輪の赤い花をジッと見る。


 そして何を思ったのか足元に転がっていた尖った石で自分の指を刺した。刺した指から血が流れる。その流れ出る血を花の上に落とす。何滴も何滴も垂らした。


「俺の血を供える。だからもう止めてくれ……」


 すると石の塔の一番上に置いてあった石がコロリと落ちた。それを見たお兄ちゃんは血を垂らすのをやめ細い道へと足を踏み入れていった。


 一人の男の子が森の前までやってきた。赤い花の上に赤黒い液体が転々と付いていた。その赤黒い液体は細い道の奥へと続いている。


 男の子は身体を震わせた。それは寒いからではない。だが怖いわけでもなく、不安や焦りなどの負となりうるものは一切なかった。ただあったのは一つの決心のみ。奥へ進もうという決心である。この決心ゆえに身体を震わせて同時に気持ちを奮い立たせたのだ。


 看板に目をやると噂どおりの文面が態々わざわざ恐ろしく赤い文字で古めかしい木板に書かれていた。


――その森入るべからず入れば主に死あるのみ


 男の子はその文字を読むことができなかった.だが、その意味は解っていた。村に伝わる噂を幾度となく聞いてきたからだ。


 男の子は看板から目をそらすとホゥと息を漏らして歩みを進めた。ただ一点森の奥を見つめながら一歩一歩確実に地面を踏みしめて進んで行く。


 奥へ行くほど暗くなっていく。辺りは既に暗くなり始めていたが、森の中はさらに暗なっている。しかしそれでも奥へと進んでいく男の子はとても落ち着いていた。落ち着きながらお兄ちゃんのことを考えていた。


 どこへ行ったのかも分からない。しかし、自分がお兄ちゃんに対してやってしまったことは酷いことだと、謝らなくてはいけないと、考えながら。そしてお兄ちゃんはこの森の方へ走って行ったという事実のみを頼りに歩いている。


 しばらく進むと大きな池の前に出た。池には丸くて青白いものが映っている。月だ。今宵は満月だ。どこかから狼の遠吠えが聞こえた。その声はとても悲しげでありながらも強く透き通る声だった。


 ふいにチャプンと音がした。男の子は池の方を見る。池から何かが男の子を見据えていた。男の子は少し後ろに下がる。足元でパキッと何かが割れた音がした。その音に吃驚し男の子は片足を上げる。その足首を何かに掴まれ、前のめりに倒れた男の子は池の中に落ちていった。


 池は夏の池にしては冷たかった。それは男の子の体温を奪うには十分すぎる冷たさだった。男の子は必至にもがこうとしたがその小さな身体は既に冷え切ってしまい動かせない。息もできず、もがくこともできず、ただひたすらに、どんどん下へと落ちていく。男の子はそれでもまだもがこうとした。もがこうとして目の前が真っ暗になった。


 そこに残ったのは狼の悲しげな遠吠えと、月を映し出す静かな池。そして池に落ちる時に脱げた男の子の片方の靴だけだった。

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