ラスボス直前の街で運命の人に出逢ってしまったゆえに

えむ

勇者、ラスボス直前の街で運命の相手と出逢う


 ソルヴァレア王国の王都・ハイデュラス。

 華やかな雰囲気が常に漂うハイデュラスの街は「華の都」とも呼ばれ、貴族たちの住む高級住宅街と商人が集まる商業街、オリーブやブドウなどを栽培する農業地帯の三つのエリアからなるソルヴァレア王国最大の都市だ。

 

 今。

 王都ハイデュラスの商業街に四人の若者が立ち寄った。


 赤いマントを羽織った少年……今にも口笛を吹き始めそうな明るい雰囲気の少年が先頭だ。そのすぐ後ろに黄色のロングヘアを風になびかせきわどいラインのワンピースを着た少女が続き、彼女とほぼ並んで修道服を身につけた優しそうな少女。さらに、弓矢を背負いいかにも無口な猟師といった感じの青年がしんがりをつとめる。


 レンガの敷き詰められた街路を歩く彼らの足取りは軽い。


「さすが王都だけあるわね」

 

 黄色い髪の少女が少し浮かれた感じでつぶやくと修道服の少女が頷いた。


「賑やかですけど、洗練されている感じがしますね」


 四人がこれまで訪れた村や街とは格段の違いがある……彼らは皆そう感じていた。

 赤マントの少年が両手を頭の後ろで組みながら言った。


「まぁ、いわゆる最後の街だ。当たり前といえば当たり前の光景かもね」


「ちょ、オーウェン!」


 黄色い髪の少女が赤マントの少年をどついた。


「そうですよ、オーウェンさん。”最後の街”なんて簡単に口にしては……」


 修道服の少女も声をひそめる。


「そっか、ごめんごめん」


 赤マントの少年−−オーウェンという名の少年は笑って頭を掻いた。


 猟師ふうの青年は、三人のドタバタ劇を慣れた様子で聞き流していたが、ふと足を止め、


「先に行っていてくれ」


 そう言ってさっさと武器屋の看板が出ている店へと向かった。


「ったく、ヒューは勝手なんだからー。あンの武器オタクめ」


 黄色い髪の少女は弓矢を背負う後ろ姿にブツクサ言いながらも、高級そうなケーキ屋を見つけると、


「あ! 『プティ・シャトー』! 来たかったのよねー。有名なのよ、ここのマドレーヌは王国一美味しいって」


 と言うが早いかいそいそと店に向かう。修道服の少女はオーウェンと顔を見合わせ、


「アイリスもお菓子には目がありませんね」


「ははは。腹が減っては戦はできぬ、って言うしね。腹ごしらえは大事だよ」


 アイリスと呼ばれた黄色い髪の少女がクルリと踵を返して戻ってきた。


「ちょっとオーウェン! また”戦”なんて大きな声で……」


「ははは、ごめんごめん。俺にもひとつ、頼むよ。マドレーヌ、美味いんだろ?」


「ったくもう……セシリアも何とか言ってやってよ」


 オーウェンとアイリス、ふたりのやりとりを見てセシリアはクスクス笑いが止まらなくなった。


 四人の若者たちはただの観光客にしか見えない……ように振舞っている。

 しかし、よく見てほしい。彼らの眼の奥の鋭い光、いつでも戦闘に入れる隙のない身のこなし。

 彼らはRPGで言えば「レベル九十」の猛者たちだ。

 この四人は言うなれば「百戦錬磨の勇者様ご一行」。

 王国中を旅してきた勇者が仲間を引き連れて、最後の敵(ラスボス)を倒そうとしているのだ。




 一時間後。

 商業街にある宿屋の一室に勇者一行は集っていた。

 勇者・オーウェンが言う。


「出発は、明日の朝だ。みんな、今日は英気をやしなってくれ」


 弓使い(ハンター)・ヒューが、


「今日はそれぞれ偵察か」


 とつぶやくと、魔法使いのアイリスがベッドにボフンと飛び込みながら、


「ヒュー、そんなにピリピリすることないわよ。オーウェンの言う通り明日に備えてゆっくり休みましょ。策も十分練ったじゃない。私たちならラスボスなんてちょろいちょろい」


「また貴様はそんなのんきなことを。念には念を……」


「何よ。のんきってことないでしょ」


 ふたりの間に火花が飛ぶ。そんなささくれ立った空気を、


「おふたりともそのくらいで……」


 穏やかな声で諭したのは回復魔法の使い手、修道女・セシリアだった。


 勇者・オーウェンが「あはは……」と大きく笑ったので、三人の視線が彼に集まった。

 オーウェンは明るく言った。


「安心したよ。最後の戦いを前にして、みんな平常運転だね」


 最後の戦い……。

 その言葉に、ヒュー、アイリス、セシリア、皆が押し黙った。

 静かな宿屋の一室で聞くと、現実味が何倍も増す。

 部屋に訪れた重めの沈黙を破ったのはやはり勇者だ。


「あれ。俺、またやらかしちゃったかな」


 勇者・オーウェンの口調に裏表はなかった。彼はテヘヘと照れ笑いして頭を掻いた。


 最初にプフッと吹き出したのは魔法使い・アイリスだ。


「……ったく。あんたにはかなわないわ」


 肩をすくめるアイリスと照れ笑いを続けるオーウェン。

 修道女・セシリアは聖母のように目を細めて言う。


「オーウェンさんも平常運転ですね」


「……ふっ」


 ヒューはわずかに口角を上げて部屋の片隅に移動し、丁寧に弓矢のヤスリがけを始めた。

 セシリアは椅子から立ち上がり、


「わたしも部屋でエリクサーを作り足しておくことにします」


 アイリスは枕に顔を埋め、


「私は寝てよっと。魔法力の回復には寝るのが一番」


 ヒューが慌て気味に、


「おい、ここで寝るなよ。女(おまえら)の部屋は隣だぞ」


「わかってるわかってる、ちょっと昼寝するだけだ、か、ら……グー……」


「ハァ……」


 アイリスの寝息とヒューのため息。

 オーウェンは笑って、


「ははは。じゃあみんな、明日の朝この部屋でまた会おう」



 翌朝。

 同じ部屋に四人は集まった。


 魔法使い・アイリスが口火を切った。


「いよいよ最後の戦いね」


 修道女・セシリアは目を閉じた。

 セシリアは回復魔法で人間を癒す立場にある修道女だが勇者の仲間になってからは人間を傷つけることにもその力を使う。複雑な思いがあるのだろう。

 弓使い・ヒューは先ほどから口もきかず微動だにしなかったが、アイリスの言葉を受けて、


「そうだな……」


 と言った。


 皆が、リーダーである勇者を見た。

 勇者がいつものように明るい笑顔で士気を上げ、不安を拭い去ってくれるのを期待していた。


 しかし。

 今朝は違った。


 勇者・オーウェンは黙りこくっていた。

 歴戦をかいくぐってきた誇りでもある、彼の赤いマントが小刻みに揺れている……盗み聞きされないように窓は閉め切ってあるので室内は無風状態であるのにもかかわらず。両手は緊張を隠せない人がよくするような感じで膝頭をギュッと握っている。いつもより青白い顔。必死に笑顔を浮かべようとしている努力が認められるが、ひきつり気味のこわばった表情にしか見えなかった。


 いつもなら「さあ、みんな、行こう!」と言ってくれるのに……。

 オーウェン以外の誰もがそう思っていた。


 そして、ようやく勇者が口を開いた。誰もがホッとした……が。

 勇者・オーウェンは言った。


「ごめん。ちょっと待ってくれ。俺、実は……」


 勇者は仲間の視線を一身に浴びた。六つの目が自分を責めていると感じた。

 

 (ダメだ。とてもじゃないが、言えない……)


 勇者はギュッと目をつぶり、こうべを垂れた。


「ちょ、ちょっとどうしたのよ、オーウェン! 出陣直前に水差さないでよー」


 しびれを切らした魔法使い・アイリスが言った。不安を紛らすためか、笑い混じりの声で。

 彼女に続いてセシリアも心配そうに言う。


「お腹でも痛いのですか、オーウェンさん? それともこのあいだの傷口が開きました? すぐ治療しますが……」


「オーウェンのことだ、どうせ腹が減ったとでも言うんだろう」


 ヒューは軽口を叩いたが少し声が裏返った。


 勇者・オーウェンはまだうなだれたままだ。冷や汗が額に浮かぶ。吐きそうになりながら、声を絞り出す。


「俺さ、実は……」


 無意識に歯を食いしばる。言葉が喉につかえて、出てこない。 


「だ、大丈夫なの、オーウェン? ほんとに具合でもわるいわけ?」


「昨日は夜まで出かけていたようだが……露店で食い過ぎか?」


「そう言えばお出かけでしたね。まさか、偵察中にお怪我でも……?」


(そうなんだよ、セシリア。怪我なんだ。怪我みたいなもんなんだ……)


 そんなふうに笑えたらどれだけ気が楽か、とオーウェンは思った。実際、昨日負った右腕の傷がぴりっと痛んだ気がした。

 しかし、勇者の”傷”はひどく深く、誰にも癒せないものだった。


 勇者は苦悩していた。

 勇者・オーウェンは罪悪感と焦燥感で気を失いそうになりながら、昨日の出来事を思い出していた。



 昨日の午後−−

 宿屋を出た勇者・オーウェンは商業街をブラついていた。

 明日……最後の戦い。

 この街の最奥には小高い丘があり、堅牢たる城壁がめぐらされている。城壁の内側には豪奢なハイデュラス城がそびえ立つ。難攻不落と名高い城だ。

 城壁内の長いスロープを登れば城から王都を一望できるが、厳しい入城規制がある。一般市民が簡単に出入りできないよう、スロープの入り口は屈強な番兵で固められている。

 城に入ることができるのは王をはじめとする王族と身内に王族を持つごく一部の貴族、そしてソルヴァレア王国の政治を司り王族の警護を担う「翡翠教」のエリート神官のみ。

 侵入できたとしても城を守る兵士や神官がいる。魔法の使えない兵士はなんとかなるとしても、神官が問題だ。青魔法と呼ばれる魔法を使うため「青神官」と呼ばれる翡翠教の神官。王都の城内の警護につく神官は皆、エリート中のエリートだ。狡猾に策をめぐらし強力な青魔法を駆使して俺たちの邪魔をするだろう。

 勇者は彼らをかたっぱしからなぎ倒すイメージをした。


(こっちには激戦をともにかいくぐってきた仲間がいる。一緒に成長してきた頼もしい仲間だ。負けるわけがない……当然、ラスボスだって、一撃で……)


 ラスボス……翡翠教の神官長。「青神官長」として知られるダイダロス・ディアドラ卿。彼は王の心身を操り、自らの手は汚さずに国民を苦しめている。


(一筋縄ではいかないだろうけど、きっと……)


 ”きっと”という言葉の持つ不確定要素が、オーウェンの思考を急にネガティブなものにした。


 誰かが大けがをするかもしれない。

 誰かが命を落とすかもしれない。

 昨日までの数々の戦いを共に乗り越え勝ち進んで来た仲間たちの誰かが……。

 これまでの戦いは苦労はしたが皆無事だった。でもそれは、ラッキーだっただけかもしれない。明日も同じとは限らない……。


「何を弱気になってるんだ、俺は」


 勇者はすぐに我に返った。

 

(俺たちは平気に決まってる。最後の敵を倒して、誰に操られることもない平和な世界で穏やかに暮らすんだ……)


 旅の目的と仲間たちとの歴戦を思い出したオーウェンは落ち着きを取り戻した。彼はふと辺りを見回し、


「あれ。ここ……どこだ?」


 左手にはブドウ畑が広がり、右手にはセレブっぽい住宅街。商業街のはずれまで来てしまったらしい。


「せっかくだから偵察でもしていくか……」


 貴族の住宅街はなだらかな登り坂になっており、その奥に城のそびえる丘がある。

 城壁が城をすっぽりと覆っている。かなり堅牢な城塞だ。これまで旅してきた村や都市にあった城とは比べものにならない。


「それに、この霧……」


 噂に聞いていたとおり、丘は霧で包まれていた。眼前数メートルも見えないほどの深い霧……というわけではないが、幻想的な雰囲気が一種の目くらましになっている。貴族街にも靄となってうっすらと漂っている。


「ここらへんは自然と霧が漂うほど標高が高いわけじゃない。やはり魔法、かな……」


 青神官たちなら青魔法で人工的に霧を作り出せる。オーウェンは思い浮かんだことを確認するようにつぶやきながら、ゆっくりと歩いていく。


「貴族街なのに意外と警備はゆるいな。やはり青神官長は自分と側近のいる城だけ護ればいいと考えてるのか……。魔法の霧で何か仕掛けてきたときのためにアイリスとセシリアには防御魔法を準備してもらって……」


 緩やかにうねった石畳の道が、一直線になった。靄の向こうに関所が見えた。大仰な門はしっかりと閉ざされ、両脇には見るからに屈強そうな番兵がいる。それでも勇者にしてみればあんな番兵、ひとひねりだ。


「番兵は大したことなさそうだ……でも早々に目をつけられるのも良くないな」


 オーウェンは踵を返し、今来た坂を下りはじめた。関所にほど近いこの辺の住宅は貴族街の中でも特に大きな屋敷が集まっているみたいだった。


「特権階級の貴族様なのかな。それとも宮仕えの貴族の家か?」


 城に近い家の住人は城に勤めている可能性が高い。


「ここらで情報収集できるかもしれないぞ」


 オーウェンはキョロキョロと見渡したが、セレブ特有の高い外壁や垣根で囲まれた住宅ばかりだ。

 ラスボス戦に備えてもう少し情報を……とも思ったが、


「わざわざ危険をおかして忍び込むこともないか。金持ちの家は物理的にも魔法的にも警備が充実してることが多いしな……」


 オーウェンがそう思った次の瞬間、


「きゃー!」


 近くの家から若い女性の悲鳴が聞こえた。

 オーウェンは聴覚を研ぎ澄ました。すぐそばの家の、垣根の向こうから聞こえてきた。鉄製の柵に薔薇のつるが絡まったゴージャスな垣根だ。

 何事かと身構えながらも、勇者たるもの真実を確かめずに逃げ出すのは矜持に反する。悲鳴をあげた人が危険にさらされているならできれば助けたい。垣根に近づくと、カサッと音がした。オーウェンはさらに慎重に身構える。しかし続けて聞こえた声は意外なものだった。


「道路にいるお方、お気をつけて!」


「へ? 道路にいるお方……俺のこと?」

 オーウェンはキョトンとした。

「気をつけてってどういうことだ……? うわっ!!!!!」


 垣根の薔薇の棘が、いっせいに、シャキンと音を立てて伸びた。その長さ、およそ三十センチ。

 とっさによけたものの、何百もの棘のうちのひとつがオーウェンの腕をかすめた。

 門が開き、息を切らした若い女性の顔が覗いた。

 彼女はオーウェンを見つけて泣きそうになりながら叫んだ。


「申し訳ございません! すぐに手当てを!」


 彼女を見たオーウェンは雷に打たれたような思いで立ち尽くした。




「本当に申し訳ありませんでした……」


 広々としたテラスで噴水を眺めながらオーウェンは腕の手当てを受けた。


 若い女性……シャーロットと名乗った女性は涙目でオーウェンの腕の消毒をしている。白魚のようなすべすべの手。普段着らしいワンピースは上質の布でいかにも育ちの良さを感じさせる。ブロンドの髪が午後の光を受けてキラキラ光っている。


「防犯用に垣根に魔法をかけているのですけれど、ジョン……犬と遊んでいたら手元が狂ってボールが薔薇に当たってしまいまして……」


「刺激によって棘が一時的に伸びるタイプの魔法をかけていたんですね……」


 どことなく一本調子のオーウェンの声。それを聞いてシャーロットが目を輝かせた。


「そうなんです! 魔法、お詳しいんですのね。あ、すみません! わたくしったら失礼を……その魔法のせいでお怪我をさせてしまいましたのに……」


 シャーロットはまだ落ち込んでいる。


 オーウェンは生まれて初めての衝撃からいまだ立ち直れずにいた。


 胸の鼓動が激しい。

 身体中が熱い。

 頭がぼーっとする。

 彼女のすべてがいとおしい。


 シャーロットを見た瞬間、オーウェンは恋に落ちたのだ。

 シャーロットのことを運命の女性(ひと)だと感じた。


(オロオロしているなんて気取られたくない……ああ、どうしたらいいんだ)

 勇者とて心根は普通の少年。好きな女性にいいところを見せたくて必死になるのは当然だ。オーウェンはこっそり深呼吸した。貴族の女性に軽蔑されないような男に見えるように、「洗練されていて品のいい男」に見えるように祈りつつ、言った。


「どうか気になさらないでください。旅をしているのでこのくらいのことは日常茶飯事ですから」


「まぁ、旅を? 素敵ですわ。どちらからいらしたの?」


「あ、ええと……」


「いやだ、わたくしったら不躾でしたわね。お忘れになって。でも不思議ですわ、貴方様にはとても親近感を持ってしまうのです……」


(勇者とわかってしまうのを躊躇して即答できなかった俺がわるいのに、なんて慎ましい人なんだ……)


 オーウェンは感動しながらも、アドレナリンが大放出する自分の脳をなんとかしたかった。

 ていうか親近感持ってくれてるのか! ッカーーーーー!

 しかも呼称が!

 ”貴方様”!!!!!

 のたうちまわりたかったが、極力冷静に言う。 


「貴女のような方からそんなふうに呼ばれると恐縮します」


「まぁ、では……失礼ながらお名前をお聞きしても?」


 そうだった。ああ俺はアホだとオーウェンは思った。一目惚れしてぼんやりしてて、名乗るのを忘れていた。


「オー……」本名はマズいか、とまたオーウェンは躊躇した。「ローレンと申します」


「ローレン様。素敵なお名前」


「どうぞ呼び捨てで」


「ではわたくしのこともシャーロット、と……」


 そう言ってシャーロットは頬を染めた。


(ヤバい。かわいい。かわいすぎる)勇者の頬はシャーロットの二倍に赤くなった。(”シャーロット”なんて呼んだら暴走して”俺のお嫁さんになってください”って言って抱きしめちゃいそうだ……)


 しかし、アドレナリンが落ち着いてきたのか、次にオーウェンの心に訪れたのは罪悪感だった。


(こんなにも身も心も美しい女性に、俺は偽名を使っている……しかし勇者としてこれから為そうとしていることを思えば、誰にも気を許すことはできない……)


 シャーロットに対する申し訳なさに胸が痛くなった。

 オーウェンは冷静になるために話を変えた。


「……それにしても、すばらしいお屋敷ですね」


「そんなことありませんわ。散らかっていてお恥ずかしいです」


「とんでもない。屋敷も庭も美しい」


 実際、庭の手入れは隅々まで行き届き、テラスも落ち葉や砂ボコリがなく清潔だ。館の外壁も美しいレンガ造りで、ヒビひとつなかった。


(もちろんシャーロットが一番美しいが……とと、また妄想に浸ってしまった)


 オーウェンはシャーロットとの会話に集中した。


「父にも、よく叱られますの。家の管理をしっかりしなさいと……」


「お父上がいるんですね」


「ええ、母は私の小さい頃に亡くなりまして、兄もいますが外国にいて長く不在にしております。ですから今は父と二人暮らしなんですの。とはいえ、父も仕事で家をあけることが多いのですけれど……」


「それは、寂しいですね」


「そうですわね……兄とはいろいろありまして、父と二人三脚で生きてきたようなものなのです。父に何かあればわたくしは……」シャーロットの表情に翳りが生まれたが、すぐにハッと気づいた様子で「私ったら、申し訳ありません、初対面の方にこんなことを……」


「いえ、自分でよければ聞かせてください」


「ありがとうございます……。貴方様といると、気持ちが落ち着いて……とても話しやすくて、つい……お許しくださいませ、ローレン様」


「どうぞ、ローレンと」


「はい……、ローレン……」


 シャーロットは恥ずかしげに微笑んで、


「父は、国民の役に立つ仕事をしています……そう思えば日頃の寂しさはなんとかなりますわ。使用人もおりますし慣れました。でも、ローレン……」


「なんでしょう」


「また、いらしてくださるとうれしいですわ」


「ええ……ぜひ」


(彼女のためにも早く戦いを終わらせよう。青神官長(ラスボス)を倒して平和をもたらすんだ。そして……)


 オーウェンは生まれて初めての感覚が自身の内に宿るのを感じた。


(目の前の女性……シャーロットこそ、俺の運命の女性(ひと)だ。最後の戦いが終わったら……青神官長(ラスボス)を倒したら、シャーロットにプロポーズしよう。シャーロットと幸せに暮らすんだ)


 と、オーウェンは決意を新たにしながらも、


(でも彼女は貴族街(ここ)に住んでいる。お兄さんは外国にいるというから大丈夫だろうけど、お父さんは「国民の役に立つ仕事をしている」と言ってた。愛する父親が城に勤めていたりすると俺は親の仇になってしまうかもしれない……)


 自分を守るために誤魔化しを重ねるようで情けなかったが、それでもシャーロットの父を傷つけることがないかどうか確認するためにオーウェンは尋ねた。


「お父上は、お城で国のための仕事を?」


 シャーロットは笑顔で答えた。


「ええ、お城で翡翠教の長(おさ)をしていますの」


「えっ……」


「?」


「もしかして……貴女のお父上は……」


「はい。ダイダロス・ディアドラといいますの」


「貴女は、青神官長・ディアドラ卿のお嬢さんなのですか」


「ええ。わたくしはディアドラの娘ですわ」




 オーウェンは、その後のことはあまりおぼえていなかった。

 ディアドラ家を丁重に辞しては来たが……


 まさか、運命の女性がラスボスの娘だなんて。



 勇者・オーウェンは、苦悩の真っ只中にいた。

 アイリス、セシリア、ヒュー。彼らの心配そうな目が、勇者に突き刺さる。


 ラスボスを倒してしまったら、運命の女性(シャーロット)は父親を殺した俺を恨むだろう。当然、恋愛はおろか結婚などできない。彼女を永遠に失うことになる。

 とはいえ、ラスボスを倒さなければ、これまで運命を共にして来た仲間は……。そして世界は……。


 言えるものなら言ってしまいたい。

「ラスボスを倒しに行けなくなった」と。

 そしてシャーロットのもとへ駆けていきたい。

 しかし、勇者として取るべき行動は。

 いつものように「よし、みんな、行くぞ!」と鼓舞することだ。


 言うべきか言わざるべきか。

 何をなすべきか、なさぬべきか。


 勇者・オーウェンは再び口を開いた。


「みんな、あのさ……」



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